ヘレンド。
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並べて、比較するというのも少し酷だ、なにせバタフライハンドルのカップはロイヤルウースター(英)がニューヨークのティファニーの専売品として造った物だもの。年代は1878年(明治11年)。
すっかりネット上では有名になってしまったオールドノリタケのアールデコのフラワーハンドルのデミタス。1933年頃(昭和8年頃)。
違いは、時代の違いだったり、力の差だったり、対象とする客層の違いだったり。
オールドノリタケのコレクションにはナショナリズムが潜んでいるな。
コレクターのオイラが言うのもナニだが、コレクターの基準が別のトコロにあるんだ。もっと比較して見た方がいいよね。まず第一は、美しいがどうかから始めないと。もちろんオールドノリタケは、それはそれで良いのだけれどね。
と、反省をこめて・・・。
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世界最強のロイヤル・ネイビーといわれたイギリス海軍ではあるが、すでにこの時代はそれが幻影にすぎないことが常識となりつつあった。
すこしピンボケだが原画がピンボケなんだ。
エドワード7世の海軍元帥姿。H.M.The KING ADMIRAL of the FLEET
Publisher: Misch & Co.
Series Number: 'H.M. The King' no.477.
Photographer: from a painting by Fred Howard
Back Divided: Yes
Postally Used: No
Condition: Good - discolouration to reverse - graining to surface on left side edge and slight blurring to image
Surface Finish: artistic
さてさて、先日来、思わせぶりに画面に登場している、そのカップはなんだ?って方には、「海の上のカップ&ソーサー」なんてキーワードで検索してみて欲しい。
そんなコトは、面倒だという方のために、昔のブログを引っ張ってみた。
五年も前に、書いたオイラのブログだ。
カップを逆さまにすると、アレキサンダー大王のヘルメットの形になるワケで、なんで、それが関係あるのだというコトは、下の英文を読んでいただくが、まあブログを読んで欲しい。
日本には、「板子一枚下は地獄」という喩えがあるが、
船底の下は大海原であり、いったん港を出てからは波任せ風任せで人の力が及ばない、と船乗りの仕事が危険に満ちた仕事であることをたとえた言葉。“板子”とは和船の船底のこと。
ソーサーの中心にプリントされた英文がキモなのだが。船での生活は、板子一枚の上での共同体、その中での指導者の責務、ありかたを説いているワケだ。
"From out his helmヘルメット once Alexander poured Water水を注いだ in self denial 自己犠牲o'er the ground. Now quaffがぶがぶと飲む we gather at the social board-From out a helm.the fragrant tea sent round回し飲み"
この英文を理解する為、アレキサンダー大王のエピソードを紹介。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
紀元前325年、インド遠征の帰り、大王の一行はマクラン砂漠に迷い込んでしまいます。皆、水に飢えた死の行軍となります。
ある兵士が、貴重な水をヘルメットに汲んで大王に捧げます。しかし、全ての兵に水が渡らないと知った大王は、大地に水を棄ててしまいます。
大王は、「私ひとりが、この水を飲んだならば、他の者たちは、どんな想いするだろうか」と。
この一言に兵士達は泣き、そして一斉に立ち上がり「いざ前進を!」と叫び「この王ある限り、疲れも渇きも、ものの数ではない」と彼らは勇気凛々快活に行軍を始めた。
このカップの年代は、1882年。ヴィクトリア期でイギリス海軍が世界の海を制覇し、帝国の領地を太陽は常に照らしているという栄華を誇った時代。
プリンス オブ ウェールズ、後のエドワード7世 41歳の時。イギリス王の帝王学は海の上で授けられたといって過言ではない。 なんちゃって。
と、こんなコトを書きながら、老人は、この秋冬のワードローブのプランを練っているんだ。Pコートやら、シェットランドのセーターで海の上のエドワーディアンを気取るって感じ、時代考証は正しい。
今回のブログ、30年の時間差を埋められず(笑)、いささか支離滅裂でゴメン。
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さて、本当に久しぶりのアンティークカップの話題で恐縮。アンティークカップは、当コレクションの中心的カテゴリーにも関わらず、ブログにカテゴリーを作らないまま、ダラダラと来てしまったワケだが、それらはマイカップコレクションというカテゴリーで見てほしい。
さてさて、冒頭の写真は、別冊家庭画報 「日本の個人美術館を旅する」の一ページなのだが、三井記念美術館の、“茶の湯を愛した三井家歴代当主の美の極み”として紹介された「和全作 赤地金襴手鳳凰文天目茶碗梅木地銀縁天目台」がオイラのコレクションの永楽和全の銀彩のアンティークカップと同じ手の物だと発見した。
「和全作 赤地金襴手鳳凰文天目茶碗梅木地銀縁天目台」は、三井家の当主が明治天皇への献茶の為に用いられた物だという。金彩と銀彩の違いはあるが、元三井の小僧のオイラとしては、身に余る光栄で、過ぎたるコレクションで、またまた恐縮。
この辺りのコトは、永楽 和全 アンティークカップ などというワードで検索すると当ブログのページが出てくるから見て欲しい。
dankaiparty.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-d801.html
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さて、ヴィクトリア女王のダイヤモンドジュビリー・在位60周年記念のアンティーク マグカップ。
なんだかシャビー過ぎるカップで、オークションに出るとマニアだけが過熱するパターンの物なんだけれど、これが実は、いかにもヴィクトリア期を表しているパターンで貴重で面白いと歴史派のコレクターであるオイラは思うのだ。
THE SUN NEVER SETS つまり、世界に拡がる大英帝国とその植民地を赤色で塗るというパターンで、「日の没することのない大英帝国」の支配地域の広大さを謳った絵柄。
ヴィクトリア期は、かって「日の没することのない帝国」と謂われたスペインを凌駕し、広大な植民地と、産業革命の成果を背景に大英帝国が世界に君臨したイギリスの絶頂期。
パックスブリタニカと謂われた繁栄も、じつは、ヴィクトリア女王の在位60年記念式典が行われた1897年の頃は、二度の大恐慌に見舞われ、工業化はアメリカにお株を奪われ、世紀末の大不況に突入した不安に満ちた時代だった。
そう思うと、この貧しさも、繁栄から取り残された悲惨な下層労働者の悲劇の時代を色濃く反映していて、たまらなく面白いと思う今日この頃なのだ。
さてさて、いよいよ年末にかけてオイラのコレクションの展開、かなりレアなピンバッヂの本邦初公開の連続で、暗い世相を帝国主義で明るく盛り上げよう、いや!戦争の世紀の悲劇を告発しつつ、アベノミクス戦争内閣に翻弄される美しい日本をトリモロソウ?という企画なんだ?
それはアタカモ燃え尽きる前の蝋燭(ろうそく)の灯の様でもあるが、人生最後のスターマインの様でもあり、オイラの人生の締めくくりでも有るワケで乞うご期待なのだ??
ANTIQUE Queen Victoria Diamond Jubilee Commemorative Mug 1897 "Sun never sets"
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