野に咲く花のように

2019年1月 1日 (火)

平成最後のお正月。

謹賀新年

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今年も、みんなが踊って夏を越せますように。

                        平成31年 古希元旦

                               IWANA

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郡上おどり

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2018年12月29日 (土)

初雪。

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ワイドショーは年末豪雪と煽っていたけれど、当地の予報は雪が降るかもしれないと言う程度だった。

朝起きたら、我が家はスノードーム。

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2018年12月22日 (土)

古希、さてと。

「身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」西行法師
古希と言っても、あまり実感はないが、現役の頃、五十代半ばで、会社の先輩同僚が続いて亡くなった時期があった。
また、ここ二三年で、なじみの先輩がほとんど亡くなっていたことを最近知った。なんだか、みんな無理して生きていたのだなと。
まことに、捨てぬ人こそ、捨てていたのだな。

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願わくは。
父親の寿命に達して、もう私も充分だなと思う、しかし。
この十年のコレクションは面白かったな。もう大したことが出来る歳ではないし、大したことをしたいとも思わないが、まだ十年は生きられるとしたら、この十年のように、計画し少しづつ実現していきたいことがある。
捨てて拾った古希だから。

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2018年11月 8日 (木)

黒紅葉。

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老人は、このところすっかりゴス爺して、中世を歴史散歩しているワケだが、昨日は退屈しのぎに、こんなイタズラをしてみた。
モノトーンで、黒ゴスなテイストで、博物的でナカナカいい。
書斎の天井もしてみた。

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2018年10月 9日 (火)

休眠期。


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もう少し掘り下げてみたり、拡げてみたり、絞ってみたり、するつもりです。

ブログは、しばらく休みます。    ゴス爺

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2018年9月26日 (水)

またまた台風。

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この週末は、また台風で大変なことになりそうですが・・・。
当ブログが止まってしまっているのは、過日の台風の関西空港水没による閉鎖の影響なのです。

関西空港取り扱いの外国からの荷物が成田や羽田に集中。通関作業のパンクのみならず東京行きの貨物便の奪い合いで、荷物が現地で滞留してしまい、輸送業者も現地の倉庫がパンク状態という。

ということで予定していたアンティークの到着が大幅に遅れてアップできずにいるのです。
既にブログは書いてあるのですが。

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2018年9月10日 (月)

コルトレーンの60曲を6時間39分聴く。

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今日は、月曜日のルーティンワークの掃除を済ませて、コルトレーンのA Giant Step In Jazz:John Coltrane全60曲6時間39分を、朝の八時半から途中昼食を挟んで、さきほど四時少し前まで聴いた。もちろん、読書しながらではあるが。
ブルートゥースのアンプもサブウーファーも最高だ。
老人は、毎日が自由研究の夏休みだ。

だが、少し疲れた。

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2018年9月 6日 (木)

どうなっとるんだ?

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地震の後は豪雨で、そのあとは災害といえる猛暑で、その後は二度の台風で、今日また地震。

明日からは、また当分雨のようで、今週末の郡上おどりの“踊りおさめ”は雨か?

雨を面白がって踊る季節でもないし、なにより雨にデジカメは弱いし。雨なら止めだが、なんだか収まらない納めになりそうだな。

鎮魂の、そして除災の踊りを踊って、災難を提灯で送りたいのだが。

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2018年8月11日 (土)

コレクション。

Doorknocker

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郡上おどりも、同じだわな。

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2018年7月24日 (火)

遊行期。

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なにかと、老人の人生の折々に、影響を与えた五木寛之氏が、かつて「林住期こそは人生の黄金期なのだ」と説いた。

学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆうぎょうき)と、古代インドの、人生を四つに分ける思想をもとに、人の一生とは何か、それぞれの時期においてなにをなすべきかを説いたのだが、その師が「遊行期」についてさらに書いていた。
十年程まえに書かれた「遊行の門」という本だが、遊行期とは、人生最後のしめくくりである死への道行きであり、幼い子供の心に還っていくなつかしい季節であるとし、「この世に生を受けた人間は、ちゃんと世を去ってこその人生である。」としている。

あの念仏踊りの一遍上人(いっぺんしょうにん)は、捨て聖(すてひじり)と呼ばれ、遊行上人(ゆうぎょうしょうにん)とも称され、手を振り足を踏み鳴らし、踊りの熱狂と遊びのなかで念仏をひろめ浄土を現した。

この時期、郡上踊りなどに興じる老人には感じるものがあるが、五木師は、「遊びに出た者は、いつか帰らなければならない。“遊行”とは、死に場所を求めて、あてもなくさまよう季節ではない。子供のころに還って遊び歩く時なのである。」としている。

老人より18歳年上の五木師の10年前の思索だからまだ少し時間があるが、老人の心に染み入るものがある。

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