野に咲く花のように

2018年3月20日 (火)

晴れの日も雨の日も。

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晴耕雨読というが、耕すような畑もないわけで、老人は、晴れの日も雨の日も退屈しのぎに本を読んでいるわけだが、机に向かって本を読むなんてことはないワケで、ほとんどソファーでデングリ返って読んでいる。

去年の今頃はアンティークタイルに嵌まっていたなと、ヴィクトリアンアートのグロテスクが懐かしく、昨日からウィリアム・ド・モーガンの事なんかを勉強している。

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2018年3月18日 (日)

この夏の老人。

さて、急に暖かくなったとおもったら、少し寒さがぶり返したりして、いつものことだが。
 
 
キーンのジャスパーの底に穴があいた。キーンは売ってる時に細身に紐を締めてあるとオシャレだが、足の形に合わせて拡げるとなんてことは無いただの登山靴でたいして面白くなかった。アッパーはどこも傷んではいないのに、底に穴が開いて使えないというのもシャクだが、老人は天気の良い日だけしか外へ行かないから靴のアッパーは傷まない。
 
 
まあ、しょうがないから、安物のレースアップのマウンテンブーツ風のLEEのオックスフォードをアマゾンしたのだが、アンティーク風のブラウンのグラデーションが安っぽくてよくないから、黒で染めてやったら焦げ茶になって落ち着いた。とてもイイ味だ。
ブラウンと言えば、ベルトが切れたので、ブラウンのむら染めの革のベルトをアマゾンした。パンツの革のトリミングと合ってとてもいい。
 
 
お気に入りの和染めのTシャツが色褪せてきた。一度だけは染め直しをしてくれることになっているから、今年、もう一枚購入してついでに染め直しを頼もうと思ったが、面倒なので、アヴィレックスの白のTシャツにした。
 
 
老人はただでさえ見てくれが汚くなるからTシャツは白に限る。しかし残念なことに、ただの白だと、「丸首の下着で夕涼みのサザエさんのお父さん」になってしまうから、アヴィエーターテイスト(飛行機乗り)の袖にポケットなどアシラッタものにした。
 
 
まあ、この夏の老人のコーディネイトは、きわめてオーソドックスなものだが、差し色で靴下をラソックスのブライトミックスという意表をついたものにしてみた。老人の意地だ。
浮気は文化という石田ナニガシのように裸足で靴を穿くほど若くはない。臭くなるしねアシは。
 
 
石田ナニガシの足だって臭いと思うぞ、もう老人だし。
 

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2018年3月16日 (金)

MJQだな。

身体の大きなバカたちの話やら、右翼に乗せられたバカ殿や、その女房のキャラメル屋のバカ娘のことや、ケツの穴の小さなレスリングバカの話なんかを一日中テレビでやってるからウンザリで、ひたすらブルートゥースでジャズを聴きながら読書の今日この頃だが、こう書くとまるで、あいつは馬鹿だ、こいつは馬鹿だとみんなを睨みつけている、行き詰った攻撃的社会不適応型老人のアイツのようだなと反省。
 
なにも画になることをしていない今日この頃だから写真がない。
 
読書のBGMは、やはりMJQだな。洒落ているよね。

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2018年1月 5日 (金)

毎日がお正月。

何んのそのどうで死ぬ身の一踊り  藤澤清造
 
 
 老人は、リタイアメントで、毎日がお正月だから、お正月だといって大して目出度くもないのだが、できれば毎日がお正月と言えるくらい掃除が行き届いた環境で暮らしたいと思う。
 
といって掃除婦が居るワケではないから、自分で掃除をするワケだが、我が家を全部掃除するには35時間かかるという計算をしていて、去年の暮は師走の18日から毎日二三時間、29日などは朝の8時から一時まで徹底的にお掃除をした。
 
 
まあ、掃除が趣味なワケで、趣味だから掃除をゴマカスなんてことはしないワケで、おかしいくらい根本的に掃除をするワケだが、そういう老人って家族に嫌われたりするワケで、なるべく嫌われないように、遠慮して暮らして、威張らない“お掃除ルンバ”の様な存在でありたいと思う。

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さてさて、今年のお正月は良く音楽を聴いた。暮に手に入れた安物の中華アンプがとても良くて、40年も前のスピーカーが鳴らし続けたらドンドン良くなって、かって無いような音を聴かせてくれている。音源のスマホとプルートースのアンプが良いワケだが、スマホの便利さに乗っかってアップルミュージックの聴き放題キャンペーンを享受している。
 
オーティス・レディングはイイがさすがに録音が古いよね。ジミー・スミスは最高だよね。薬師丸ひろ子は少しストイックすぎるが少しカマトトの斉藤由貴の方が好きだな。中森明菜のフォークのカバーなんて荒れかたがイイな。しかし都はるみの「大阪しぐれ「」や「浪花恋しぐれ」もいいよね。高橋真梨子は聞き飽きるくらい聴いたな。テンプテーションズやスティービーワンダーもいいな。
マイルス・デイビスやコルトレーンは私の青春だな。キャロルもいいがクールスあたりの方が聴けるな。しかし読書するにはヴォーカルは邪魔だからゲーリー・バートンやハービー・ハンコックだな。音楽があると読書もはかどるな。
 
 
と、労働者諸君には申し訳ないが、毎日がお正月ってイイぞっ!

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2017年12月26日 (火)

老人のデジタルテクノロジー格差による幸せの極端な偏在。

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先日、老人が手に入れた、安物のブルートゥースの中華アンプ、ほぼ半月使ってみたのだが、素晴らしいのだ。ノイズはないから音はクリアだし、音源はダウンロードしたスマホからの転送ということで、完璧な複製化がなされていて、まさにデジタルテクノロジーの極みという感じだ。

昔のステレオの大きなスピーカーを鳴らしてみたのだが、今まで聴いたことのないような素晴らしさだ。40年前のスピーカーが生き返ったというより、スピーカーの本当の実力を初めて発揮できたという感じだ。

なにより、低コストで、年金暮らしの老人にはとても有難い。アンプの価格など、老人のオーディオの常識からすれば十数分の一だし、コンテンツはアップルミュージックでほぼ無限だし会員になれば月々野口英世でお釣りがくるし、家族で共有も出来る。CDのラックはジャマだから納戸へ入れた。

 

さて、いまだに、「メールなんてバカなことは俺はやらない」という老人はいるし、ビデオのモザイクを外せるのがパソコンの上位のスキルだとと思っている変態もいるし、人生いろいろでどうでもイイが。

老人こそ、デジタルテクノロジーを享受すべきで、享受できたら、すべてを手に入れることができると思う。もちろん、関係ない人には関係ないが、関係ない人には、その幸せも関係ないワケだ。

 

近ごろを、デジタルテクノロジーによる第二次産業革命だと論じる学者がいるが、まさに革命であり、それは余りにも無音で、知識のない人には視認できない変化だから憐れだ。

 

デジタルテクノロジーによる富の偏在で極端な格差が生まれているが、リタイアメントにとって富の偏在なんてことは、もうナンともならないことだから止揚するとして、富を「幸せ」に置き換えるが、老人を取り巻く状況での“デジタルテクノロジーによる幸せの偏在、幸せの極端な格差”というのがはなはだしい。

 

余談だが、「べき乗則」やら「パレード曲線」という懐かしい言葉を思い出した。「少数の上位が数の大多数を稼ぎ、大多数下位が少数を分け合う」という法則があって、実は現役時代、百貨店の客の口座を徹底的に分析するということをテーマとしてやったことがあって、間違いなく百貨店の売り上げも上位二十%の客によって八十%の売り上げが作られている。

いつの時代も少数が多数の富を享受している。

 

さてさて、デジタル社会では、アイデアこそ最大の資源でありデジタルテクノロジーこそ、アイデアのマルチプライヤー(増幅器)だ。だから、つまらない労働は、人ひとりは、ひとり以上の価値を生まないが、アイデアを持ちデジタルテクノロジーのスキルを持つ者には膨大な利益をもたらす。

これらをリタイアメントの老人に当てはめれば、アイデアを持つ老人にデジタルテクノロジーのスキルがあれば膨大な幸せをもたらす。有難いことに、デジタルのツールはドンドン安くなり、コンテンツもべらぼうに安くなり、検索で選び抜いた最適の物が、瞬時のダウンロードで手に入れることができ、さらに場所も取らない、ささやかな年金で暮らす老人的だ。

なによりコンピュータがコンピュータを感じさせない人間に奉仕する有能な執事となりつつあるという事だ、とても有難い。

しかし、これらは目に見えない、いや、見ることができる者にしか見えないモノだから、見えない人達は、わからない不可解なヤツラの行動だと睨みつけている。

 

あげくは、“スマホ依存症”だから“手を差し伸べて”やらなければいけないと。

よけいなお世話だよ、アナログ野郎!

 

デジタルテクノロジーによる老人の幸せの偏在。

幸せになりたい者は、もっと幸せになれることは、悪い事ではないよね。

 

  な~んちゃって!

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2017年12月16日 (土)

Ode to the West Wind

三ヶ月に一度、医者へ血圧の薬とコレステロールの薬を貰いにいくのだが、この次の予約は三月の十五日だ。
そうか、この次来るときは春だなと・・・。
 
 
冬きたりなば春遠からじ
 
シェリーだな。

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イギリスの詩人のドアノッカーを集めているが、シェリーの物は見たことがない。
死ぬまでに、見つかればイイね。
 
                     O'Wind.
If Winter comes,can Spring be far behind?

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2017年12月11日 (月)

スマホで昔のスピーカーを鳴らす。

実は、何年も前から我が家のCDプレーヤーが故障している。機械的な部分の故障なら自分で直そうと、修理を試みたが上手くいかないので放置してあった。

CDの音飛びもあってCDの劣化が考えられるから近頃の音源はスマホのダウンロードばかりだ。

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先月、iPhoneXに替えて、メモリーも充分になったからダウンロードも心配なくでき、これからは音楽はスマホで楽しもうと、色々と調べていたら、スマホで昔の大きなスピーカーを鳴らすことが出来るアンプがあることを知った。

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我が家には、若い頃、無理して買ったオーディオ全盛期の大きなスピーカーもあって、長くテレビ台代わりになっていたが、最近は、倉庫で粗大ゴミ化していた。

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イヤホンも進化して、音は良いし、コードの煩わしさをなくしたワイヤレスで充電式と大きく様変わりしているが、労働者諸君の様に働きながら聴く必要もなく、家で聴くわけで、耳で聴くと同時に身体でも聴きたいという古いタイプのオーディオマニアの老人なので、「眠っていた大きなスピーカーがスマホで鳴らせる」というコピーにつられて飛びついた。

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さて、中国製のBluetooth4.2受信対応30WX2小型デジタルアンプ。

諭吉一人と英世三人で、スタバのコヒー代くらいのお釣りがくる。

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よくよく考えてみれば、今までのアンプを活かしてブルートゥースのワイヤレスレシーバーを繋げば、英世三人以下で収まる。いや、変換ケーブルを探してスマホとアンプを繋げば英世の個人プレイで済むはずだが。

 

今回は、書斎用に、とりあえずテレビ台と化していたヤマハのスピーカー(NS-470)を新しいアンプで鳴らしてみようとプルートース受信対応のアンプを奢った。スピーカーのケーブルも捨ててしまっていたので、バナナプラグを溶接済の物を奢った。

 

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ネットオークションでは、昔のスピーカーが、粗大ゴミの様な扱いで売られているが、少し考えなおした方がいいかもしれない。音源のスマホは、昔のプレイヤーやらデッキに比べれば、とても小さく薄い物だし、アンプも驚くほど小さくなった、そして音はとてもクリアになった、スピーカーも小型でイイ音が出るようになった。

しかし、場所と条件が合えばスピーカーは大きい方がイイに決まっている。と、思う。

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さて、昔のスピーカーを既に処分してしまった方は、早まったかもしれない。

 

四十年前のスピーカーが見事によみがえった。

昔のアンプに比べれば沢山のツマミもダイヤルもメーターもない、そっけない小さな黒い箱だが、とてもクリアで、ノイズもない。操作のかってはスマホ側の問題だから語る必要はない。クリア過ぎて味付けが足りない気がするが、味付けというのは歪みだったり雑音だったりするワケで、スピーカーもヤマハのNSシリーズでクリアで透明感を売り物にしたスピーカーだから、ますますクリアだ。

さて、ナカナカだ。素晴らしいという程ではないが、なにも文句はない。スピーカーが古く、新しく買ったスピーカーケーブルのバナナプラグがターミナルに入らず、穴をプラスドライバーで無理矢理こじ開けるなんて事をしたが。

冒頭の写真の、こわれたCDデッキも外してタワースピーカーも試したが申し分ない。これ用に、もう一台買わなければ。  いや、沢山ボーナスをもらって、使い道に困っている息子が黙ってアマゾンに頼んでくれるはずだ。ついでに、お母さんにもスマホ用のB&Oのワイヤレスのイヤホンなんかをクリスマスパッケージで届くように手配してくれたりすると有難い。今月の我が家は車検もあって大変なんだ。

 

ネットでは、名機と言われたようなスピーカーが送料と同じような値段で売られていたり、ジャズ喫茶にあったような、大きなJBLのスピーカーが、せいぜい諭吉のサッカーチーム程度で中古専門店で売られていたりする。昔の夢を実現するチャンスかもしれない。

スマホで、使えるのですよ、昔のイイ音がするスピーカーが。

 

さて、そんなこんなで、ささやかながら、老人の青春がアイフォンでよみがえりつつある。

 

 

このところ、ジャズを聴いていたら、昔の本が読みたくなった。仕事を辞めて法律・経済や未来予測のような本は全て処分したが、捨てずに残した若い頃の本が、押し入れの書庫の床から天袋までびっしりと残っている。昔が全てイイとは限らないがね。

 

 

当分は、JAZZとその本のなかで埋もれているつもりだ。(そういう暮らしがしたかったのだ。)

 

ごきげんよう。

 

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2017年12月 8日 (金)

久しぶりにオーディオを見直す。

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実は、老人はオーディオマニアで、このオーディオという言葉は、団塊の世代とともにあったような言葉だと思うが。
 
老人が育った時代は、大人はトランジスタラジオを持って歩くのがステータスだったような時代で、小学生の時、科学館の夏休み講座で一石のトランジスタラジオを作り、中学生ではポータブル電蓄でポピュラーソングを聴き、オーブンリールのテープレコーダーでラジオのイヤホン端子から雑音だらけの音楽を取り込みコピーして、高校生では、深夜放送を聴きながら毎晩徹夜で勉強し?、「模型とラジオ」を愛読し、五球スーパー、つまり真空管を五本使ったステレオアンプを、パーツ屋で、抵抗やらコンデンサーやらトランスを買ってきて、アルミのシャーシに自分で穴を開け、ハンダごてでハンダ付けして自分で作ってしまった。
 
ラジオペンチ通称“ラジペン”と「ハンダごて」なんてのは当時の男の子の必携のアイテムだったのだ。
 
友達から中古の30センチもあるスピーカーを買って、スピーカーボックスも、近所の製材所の親父に厚さ三センチもあるラワン材を製材してもらい、自分で切って組み立てて、ガラス繊維を詰め、スピーカーboxの前面に貼るサランネットもパーツ屋で買ってきて、何もかも自分で作った。お金は、年末に郵便局で年賀状の仕分けのアルバイトで稼いだ。
 
あの受験戦争の時代にそんなことをしていたのだから、その結果は推して知るべしなのだが。
 
大学に入った頃は、サンスイやらパイオニアといったステレオを買うのが若者のステータスだった。つまり、オーディオブームというヤツだ。友達の伊藤君は、サンスイの凄いステレオを合格祝いで買ってもらったが、大学の学費だけでアップあっぷの我が家では、そんなことは言い出せないし、そんなに欲しくもなかった。ステレオは自分で作る物だったから。
 
大学時代の老人は、ようやく受験勉強から解放され“街に出た”時代で、家でレコードを聴くより、「ジャズ喫茶」で聴くというのが好きで、少し深刻ぶって、ショートホープを燻らせながら、ジャズ喫茶をハシゴして、難しい“吉本隆明”なんかの本を持って歩いたりしたものだ。
 
そういうことがカッコよくて女にモテルと思っていたりしたのだが、そういう男は、赤いサニークーペに乗った軽薄な男に彼女をさらわれてしまうのがオチで、老人の青春は、暗くて陰湿で煙草のヤニ臭いジャズ喫茶そのものだった。
 
することのない日は、三軒ものジャズ喫茶をハシゴするわけで、貧乏な大学生のことだから、一軒で二時間は居て計六時間、つまり半日をジャズで過ごすワケだ。大音響とジャズ喫茶という環境に慣れると、家で一人ジャズを聴くなどというのはとても惨めだし、だいいち粗末な我が家でジャズを思い切り聴くなどというのは不可能だ。だからレコードを買っても、家で聴くというのは殆んどしなかった。
 
社会人になって、会社の近くの、色町の芸妓組合の路地の奥に、安藤さんという、知的で細身の女性がやっているジャズ喫茶があって時々老人のことをじっと見つめていることなどあって?かよったが、放送局で一日中、音に囲まれていると、家でまでレコードを聴く気がしないのできかなかったが、機材だけは、仕事柄色々と試したくて持ってはいた。
 
デパートに転職しても宣伝の仕事が長かったから、イベントやらファッションショーと音響は欠かせない。小さな仕事は音響屋に頼まず、社内の電気室の係りに頼むのだが、電気係では気の利いた音響などできないから自分でやったりした。
 
まあ、そんなオイラでも、現役時代は生きていくのに必死で、家でレコードなど聴く余裕はなかったが、会社が嫌な日は、鞄にCDプレーヤーを入れて通勤の電車の中で聴くことはあった。
 
レコードからカセット、レーザーディスク・CDあたりまではなんとかついていったが、その後は、変化にウンザリで、もう音響機器はジャマで迷惑な粗大ごみと化していた。
なんど、タダで持っていってくれるという怪しい廃品回収車に声をかけようと思ったかしれない。
 
数年まえ、携帯をアイフォンにしてから、音楽をダウンロードして聴くようになった。
 

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ここ数年の我が家の買い物で、一番良かったと思われるのが、このBOSEのサウンドドックで、スマホをドックに差すだけで充電しながらダウンロードした音楽やラジオを楽しめる。ほとんど家内の専用だが。
 
老人の年代からみると、最近のスマホドックの小さなスピーカーは、これで大丈夫かと心配するが、音は馬鹿には出来ない。しかも、安価で邪魔にならない。
 
我が家のドックは少し大きい方だが、BOSEの音は、スピーカーの音をホーンやらドームで加工して、ナチュラルではない加工された、いかにもいかにもという音だ。
 
しかしこれが、もともと人工の音である電子オルガンなどとの相性は抜群で私の好きなジミー・スミスを聴くには最高だ。
 

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スマホという手軽さ、スイッチもボリュームもないスタイルもイージーリスニングの極みで、その割切感はとてもイイと思う。
 
さて、近頃の事を色々とググっていたら、スマホにダウンロードした音楽をブルートゥースで飛ばして、昔の大きなスピーカーを鳴らす事ができるアンプがあるという、しかもかなり安く。
 
老人は、カードの月替わりを待って早速アマゾンでポチッ!としてみた。
 
30年ぶりに鳴らすスピーカーの可動を祈るばかりだ。
 
 
                                    つづく
 

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2017年11月24日 (金)

アップルストアでデート。

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昨日は、朝からグッチ爺と名古屋でデート。

まだ、退院三日目、手術から十日も経ってないのに大丈夫なのかなと心配したけれど、ちょいモレだけれど、普通に動いて、普通に暮らす事がリハビリになるようで、多治見から名古屋の真ん中まで出てきてオシャレなアップルストアのセミナーに参加しようというのだから、素晴らしいことだ。

ネットで申し込むiPhoneのベーシックな講座なのだが、参加者は、私とグッチ爺の二人のみ、親切なインストラクター専有で、ほとんどiPhone人生相談状態。

お二人だけですから、なんでも聞いてくださいという展開だが、こちらもiPhoneX三日目で、分からないことが分からないワケで、むしろカリキュラム通りに一方的に進めてもらって、それで分からない事を質問した方がよかったのかな。

でも、聞いたことをヒントに、家に帰って色々とためしたら、バックアップやメールの履歴の問題も解決したし、写真の加工も、アニ文字や動画の転送も出来るようになった。

 

昨日は、久々に、グッチ爺と存分に話した、本当に友達はいいな。

パソコンのことも、ネットのことも、スマホのことも、すべて友達がいて進化できるのだなと、つくづく思った、67歳と68歳の老人二人なのだった。

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2017年11月22日 (水)

ユビキタス社会。

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昨日は、グッチ爺がメデタク退院し、私のiPhoneXが入荷し、二重の喜びにつつまれたワケだが、ソフトバンクショップは資格を持った者が今日はいないということで、データー転送も初期設定も自分でやるハメになって、大変だったが、なんとかクリアし、放置してあった色々な設定もやり直して気持ちよいスマホになった。メモリー不足で何度も墜ちてしまい面倒だから放置してあったポケモンGoも久々にアクセスしてみたら快調に使える。

フェイスIDなどという顔認証やらホームボタンの撤去という新しいシステムに不安はあったが、そんなものは数分で解消。顔認証は最高で、もはや認証という作業があると認識できないくらいスムーズだ。

設定も、気力がないと面倒で、こんなことを出来るのも、ここいらあたりが限界かな、人生最後のiPhoneだなと思いつつ、やってみると進化というヤツは、どんどん老人に寄ってきてくれて、便利でコンピュータを感じさせないくらい有機的だ。

ユキピタスコンピューティングって、こう言うことだな、コンピュータがコンピュータを感じさせないかたちで、あらゆる状況に存在する、そして人間をサポートする。すくなくともiPhone5SよりiPhoneXは、老人に優しいと思う。

当分、いじり倒してみようと思う。

 

 

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