オールドノリタケコレクション

2019年3月15日 (金)

フラッパーのハーフドール。

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さて、ハーフドール。半分人形というワケだが、スカートの部分をピンクッション(針山)にしたり、ブラシにしたり、ティーポットカバーの取っ手にしたりする磁器製の人形で、今でも手芸のパーツとして売られていたりする。

ネットでそれらの参考画像を拾ってみた。

ピンクッション。


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そして、ブラシ。


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ティーポットカバー。


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ハーフドール は大別して、髪を上にあげてそびえさせるマリーアントワネットやヴィクトリアンレデイと、断髪ボブスタイルのアールデコ期のフラッパーに分けられるが、当ブログが注目しているのはアールデコのフラッパーだ。

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外国のオークションのサイトでも、アンティークショップのサイトでも、ハーフドールをどれもこれもアールデコとひとくくりにしていたりするが、造られた時代はアールデコの時代だが、全くアールデコとは別物のファッションがアールデコとされている場合がある。

オールドノリタケの絵皿でも、アールデコ期の物で、こんな絵柄の物がある。


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たしかに、色使いやら構成は、アールデコだが、肝心の女性の髪形は、天にも届きそうなマリーアントワネットで、ウエストはコルセットでギュッと締め上げられていて、前時代的で、これをデコレデイと呼んでいるのは間違い。


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美術の常識がある方ならば、吹き出してしまうマンガチックなものだし、シロートでも違和感を感じるが、輸出陶器の持つ誤解やら勘違いが、レトロなテイストを感じさせて、違和感が面白くもあって、他人に悪趣味と言われようが、ハマっている人もいる。


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さて、今回のハーフドール、フラッパーガールではあるが気品がある。

お決まりのクロッシュと、ローポイントのラペルのコンテンポラリーなジャケット。人形がファッション通信でありメディアだった20世紀の始めの事だ。 H11cm


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といいつつ、まあどう見てもコピーだな。 600円だもの、ついでに買っておいた。



オリジナルはドイツ・チューリンゲンのFasold & Stauch。
 


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絵付けのセンスが違うよね。写真はイーベイから。

Fasoldのコピーのメイドインジャパンも多い。あの第一次世界大戦前後のドイツ製品排斥の時代だ。この時代のアメリカ市場のハーフドールはほとんど日本製になっていたようだ。


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アメリカのネットでは、『私たちはアンティークのハーフドールをたくさん持っています。注文をいただけば、それから完璧に型を取って50ドル程度で一週間以上お時間を戴けばコピーをお作り致します。』なんて会社もある。チャイナペイント用に白生地の物も売られている。これはこれで楽しそうだが。w

コピーで、こんなに語るのもナニだが。


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20世紀前半のアールデコ期は、社会が大きく動いた時代で、人々の考え方に大きな変化があり、とりわけ女性の社会進出が大きく進んだ時代で、ファッションが大きく変わった時代であり、歴史好き、ファッション好きのコレクターとしてはタマラナイ時代だ。


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ただ、残念なことに、フラッパーのハーフドールは、ヴィクトリアンレデイに比べて数が少ない。クリノリンのスカートでないとピンクッションやポットカバーが作れないからかな。

次は、ラベルが残っているFasold & Stauchの本物を。

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2019年2月 7日 (木)

アールデコ フラッパー ビスクドールのドアノッカー。

とてもめずらしいドアノッカーをアメリカのイーベイで手に入れた。

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オールドノリタケで言うところのデコレディ、つまりアールデコ期のフラッパーガールの、しかも、ビスクドールのドアノッカーだ。

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ご承知のように、老人はドアノッカーのコレクターだが、オールドノリタケのコレクターでもある。

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まあ、コレクターというには、たいしたコレクションの数ではないが、たとえば老人のコレクションのデコレディなどは、ここ十年、グーグルでもヤフーでも画像検索のトップページに鎮座する、日本一有名なオールドノリタケのデコレデイだ。

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デコレデイのピエレッティも老人の物がずっとトップページに居続けている。



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        裏印 HANDPAINTED M-JAPAN

        1918年(大正7年)~1931年(昭和6年)


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さて、デコレデイなどと言うと、田舎では、人形をデコと言ったりするわけで、なんだか土人形みたいだから、そこは是非、ART DECO PORCELAIN FLAPPER DOLL 、フラッパードールと呼んで欲しい。

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アールデコは、1910年頃から1930年頃、つまり20世紀初めに流行したデザイン様式で、そのピークとなったのが1925年のパリ万国装飾美術博覧会だから1925年様式ともいわれる。

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磁器製のフラッパーのフィギュアは、ドイツが本家で、マイセンは勿論ローゼンタールやフッチェンロイターなど素晴らしい物がある。アールデコは、初めて大衆消費が主役となった様式で、大量生産されたフラッパードールもアンティークとして人気がある。ノーマークのハーフドールでも良い物は十万を超す。(上の写真はEtsyから)

アールデコは、ファッションであり流行だから、王様や王妃までも虜にした。


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老人は、イギリスの歴代の王様の缶バッジや記念品のコレクターでもあるが。

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エリザベス女王の父君ジョージ六世(在位1949-1952)だってモボであり王妃はモガだった。

話がややこしくなるが、現女王・エリザベス二世の母親の名もエリザベスで、クロード・ボーズライアンの末娘で、エリザベス一世(在位1558-1603)ではない。。

母親のエリザベスは、残念ながらフラッパーというより、少しスーザンボイルだ。

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さてさて、そんなことで、ドアノッカーであり、アールデコの磁器で、フラッパーときたら、たとえオールドノリタケでなくとも、これはもう老人が何が何でも手に入れるべきで、少々高めの値段でスナイプ入札を掛けておいたのです。このところイーベイは低調で、あまり競り上がることはないのだが、さすがにこれには、たくさんの競争者が現れた。参加者はいずれもプロのようで、無茶な値段に跳ね上がることはなかったから、ほんの少し頑張った老人の手に落ちた。


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さて、このフラッパードール、ポーセリンマークがないから、オールドノリタケでもローゼンタールでもない。ドイツのチューリンゲンの物か、日本の瀬戸あたりで造られた輸出陶器か。

老人は、毎日が日曜日で、毎日がゴールデンウィークだから、退屈しのぎに、このアールデコの時代の事など色々と調べてみた。

さて、オールドノリタケのデコレディに付いている裏印のM-JAPAN印の年代、1918年のアメリカについて考えてみた。

第一次世界大戦が1914年から1918年だから、第一次世界大戦が終わった年だ。

第一次世界大戦は、連合国側 ロシア フランス 英国 (日本 アメリカ)と、中央同盟国側 ドイツ オーストリア (オスマン帝国 ブルガリア) が主にヨーロッパを戦場にして戦った。

アメリカは、当初、南北戦争(1861-65)による疲弊で手が出せずモンロー主義を唱え傍観を決め込むが、1915年イギリス船籍のルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈され、乗員の128名のアメリカ人が犠牲になったことから一気に反ドイツ感情が燃え上がり、連合国側に参戦、すべてのゲルマン的な物をアメリカから排除しようという反ドイツヒステリーが国を覆う。

当然ドイツの陶磁器は排除の矢面に立つこととなる。


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ご承知のように、老人はアンティークカップのコレクターでもある。

以前、裏印が削りとられたマイセンのカップ&ソーサーを紹介したことがあるがこの時代の事だ。



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当時のアメリカの音楽界はドイツ人やオーストリア人で占められていたが、オーケストラからドイツ・オーストリア人が排除されて立ち行かなくなったり、アメリカ人が大好きで、最もアメリカ的と思われるハンバーガーもドイツの都市ハンブルグに由来することからリバティバーガーなどと改称されることとなった。50万人のドイツ系市民は写真と指紋の登録を義務付けられ、二千人が収容所に送られた。第二次世界大戦では、同じような事が日本人に対して行われることとなったが。

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戦場となったドイツの工業生産は大きく打撃をうけ、さらに反ドイツ感情でアメリカ市場を失うが、そこでアメリカ人バイヤーが目を付けたのが日本というわけだ。

自らの国土は戦火にさらされることなく、戦場となり生産能力を失ったヨーロッパへの輸出で好景気に沸くアメリカ。そのアメリカの大衆の活況に彩りを添えたのが、流行のアールデコの日本製の陶磁器だ。アメリカのバイヤーのオーダーによるドイツの陶磁器のパクリとも考えられるが、流行というのはパクリのパクリであって、そのファッションはパリのものであったりニューヨークの物であったワケで、パクリと断じるのは酷かもしれない。

こうしてみると、なんだか有田焼が、本家・中国の景徳鎮が国内の混乱で生産能力を失い、困った東インド会社が日本の有田にパクリの生産を頼み、やがて有田が本家中国をしのぐ存在になったのと似ている。


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日本の元祖モダンガールと言われる断髪洋装の新聞記者 アナキスト・望月百合子が、木挽町の外国人女性の行きつけの美容院マリールイーズで大橋房と共に髪を切ったのが大正八年(1919)の夏頃、評論家 新居格がモダンボーイ・モダンガールという言葉を初めて使ったのが昭和二年(1927)頃だ。左翼がオシャレで輝いていた時代だ。


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さて、このフラッパードールのドアノッカー、ドイツ製だろうか,ニッポン物だろうか。


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オークションの出品者は、ドイツ物としていたが、デザインや絵付けの少し緩いところがニッポン物の様な気もする。じっくりと観察すると、ドイツの雰囲気が濃厚だ。

ワレモノの磁器で、叩いて音を出すドアノッカーを造るという発想は日本人には無いと思う。

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割れやすく造りづらいバックプレートは、半分の長さにし、本来ならば足でヒットするはずなのだが危険過ぎる為、腰の部分でヒットするという工夫がされている。ドアへの取り付けは、バックプレートを釘付けにするかビス止めするわけだが、陶器の釘穴に釘を打つのは勇気がいるから、使用された形跡はない。

老人は、アメリカンアールデコのコレクターでもあるが(笑)、クライスラービルや摩天楼の対極にあるような、庶民的でアメリカンアールデコの底辺に迫る様な面白い物が手に入ったと喜んでいる。


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そういえば、フラッパーと言えば、こんなブロンズがあったな。


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我が家の、フラッパードールを集めて、記念の写真を撮ってみた。

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ダラダラと長いブログに最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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明日、あなた様に良い事がありますように。 

ごきげんよう。              デコ爺

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2017年9月12日 (火)

オールドノリタケ ピエレッタのピンディッシュ。

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オールドノリタケのアメリカンアールデコ期の物。

第一次世界大戦(1914-1918)によって、世界は、フランス・イギリス・アメリカ・日本などの連合国とドイツ・オーストリアなどの中央同盟国に分かれて戦うことになるが、すでに世界一の消費大国となっていたアメリカの市場から敵国のドイツ製品は排斥される。

その巨大な市場で、ドイツに取って代ったのが日本製品。

第一次世界大戦の戦場からは遠くはなれ、生産力と安価な労働力に溢れる日本の製品は、ドイツ製品のコピーから始まり、やがてその地位を奪っていく。

オールドノリタケのアールデコもドイツ製品のあきらかな劣化コピーから始まっている。ドイツ製品に比べると少しデザインが劣るが、そこがコピーの悲しさ、生活感覚の違いは否応なくあらわれる。しかし、その異質な部分がオールドノリタケの味であると言えなくはない。

老人は国粋主義者ではないが、オールドノリタケの、そういうところを愛している。

 

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アールデコ ピエレッタのピンディッシュ

裏印 HAND PAINTED M-JAPAN印 アメリカ向け輸出品

        1918年(大正7年)以降 1931年(昭和6年)以前

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2017年9月11日 (月)

オールドノリタケのフライングスワンズ。

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オールドノリタケ

フライングスワンズ デミタス

裏印 ブルー メープルリーフ印 アメリカ輸出向け

1902年(明治25年)-1910年(明治43年)

 

フライングスワンズ トレイ

裏印 グリーン M=NIPPON印 アメリカ輸出向け

1910年頃(明治43年)

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2017年9月10日 (日)

ツリー&メドウ。

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老人の場合、アンティークの写真は暗い写真ばかりだから、今日は退屈しのぎに明るく撮ってみた。それでも暗いな。W

道具もないし、室内で自然光で撮る、つまり、お日様次第という、ひたすら根気の要る作業だが、退屈しのぎだからナニだ。黒い床が空の青に染まったひと時なんだ。

 

でも、老人は、アンティークが趣味なのであって、写真が趣味ではないのだ。念のため。

 

オールドノリタケ

ツリー&メドウ カップ&ソーサー

裏印 グリーン マルキ印 英国輸出向け

明治41年頃(1908)

 

ツリー&メドウ セロリ皿

裏印 ブルーメープルリーフ印 米国輸出向け

明治24年頃(1891)

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2017年9月 6日 (水)

色の氾濫。

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この二年間のアンティークは、ドアノッカーやらドアノブという渋い色の物ばかりだったが、久しぶりにオールドノリタケに戻ってみると、老人には少し眩しいような色の氾濫だ。

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非公開の作業だが、ちょっとだけ。

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2017年2月 3日 (金)

ハリウッド映画の初期にトップスターであった早川雪州の「チート」を観てオールドノリタケについて考える。

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古典的ハリウッド映画に分類される20世紀初期の無声映画の時代のハリウッドで、チャップリンと肩を並べる程の大人気であった映画スター・早川雪州を世に送り出すこととなった「チート」1915年 は、アメリカに渡り巨万の富を得た日本人美術商トリと堕落した白人中産階級の有閑夫人イーデスの関係を描いた無声映画だが、映画のストーリーはウィキペディアに任せるとして、

 

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20世紀初頭のアメリカで日本美術を商って、巨万の富を得た美術商という主人公の設定は、山中商会やオールドノリタケの森村ブラザースのアメリカでの成功を思わせるものであって、当時のアメリカのアートシーンを席巻したJapanese Taste日本趣味と、日露戦争の勝利など台頭しつつある日本人へのYellow Peril黄禍論の高まりを感じさせるものだ。

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「チート」は、赤十字の基金を使い込んだ有閑夫人のイーデスが、交際する金満美術商のトリに借金を申し込み、返済不能ならば、イーデスの背中に焼き印を押すというショッキングなものだったが、

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背中に焼き印を押すなどという趣味は日本人には無いわけで、その設定が国辱物であると邦人からも大反発を買い、この映画は日本では上映されることはなく、チャップリンと並ぶ大スターとなるも、雪州の日本への凱旋はならなかった。

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1880年代以降ヨーロッパでの流行を取り入れるかたちでアメリカにもたらされたジャポニズムは、当初からハイアートとして位置づけられ、洗練された日本の美術品や工芸品を家庭空間に取り入れることは、文化的リーダーとして社会的地位をしめす重要な要素であった。

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これが問題のイーデスの背中に焼き印を押すシーンなのだが、テキサスのカウボーイでもあるまいに、背中に焼き印を押すなどと言う設定は黄禍論を反映した、為にするものだという反発も納得ができる。

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在米日本人の抗議と第一次世界大戦の同盟国でもあった日本への気遣いによって1918年の再上映からは、字幕の設定だけはビルマ人の象牙商となったが。絵的にはそのままで、着物を着た日本人の部下もそのままだ。今回アマゾンで手に入れたDVDは、このビルマ人版だが。

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「THE CHEAT」は、ヨーロッパ各国、とりわけフランスでも大ヒットとなる。1920年代のアメリカの反日感情の高まりのなかで雪州はアメリカを去りフランスへ渡り、「ラ・バタイユ」(1923年)を始めフランス映画産業の一翼を担う大スターとなった。

 

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さて、こうして映画を通してエドワード期やベルエポックのアメリカをみると、アメリカでのオールドノリタケの 位置もみえてくるし、このところ見てきたイーストレイクスタイルのアンティークやヴィクトリア後期のアンティークがまた輝いてみえてくる。

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アールデコ期のアメリカも、

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オールドノリタケのデコレディのアメリカも見えてくる。

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映画の著作権保護期間の70年をとっくに過ぎているので、DVDを遠慮なくキャプチャしてみた。

 

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アンティークの楽しみは無限です。

 

チート THE CHEAT

監督 セシル・B・デミル

キャスト 早川雪州/ファニー・ウォード/ジャック・ディーン/ジェームス・ニール/阿部豊

1915年 アメリカ作品

 

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2016年10月16日 (日)

オーストリアのO&E.Gのアンティークカップ。

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The O&EG Royal Austria hallmark on porcelain was originated by Oscar and Edgar Gutherz of Alt-Kohlaw, Austria between 1889-1918.

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このごろは、グーグルの検索で、メーカー名もマークの検索も、とても簡単にできる。

O&E.G AUSTRIA MARKSぐらいで画像検索すると、おもしろいほど“オールドノリタケ”そっくりの物が現れる。まさか、向こうが真似たなんて言う人はいないよね。

 

ールドノリタケ 画帖(ノリタケ創立100周年記念復刻版)

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2016年6月29日 (水)

ヴィクトリアンのイーストレイクスタイルのブラケットで部屋を飾る。

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さて、アメリカンアールデコのコレクターでもある老人が、これってアメリカンアールデコの代表的なスタイルじゃんって飛びついたワケで、こんな物を我がアンティークコレクションルームに迎え入れることが出来たら最高だな、まあエドワーディアンな改装計画としては少し外れるけれど、このブラケットを、棚受けでは貧乏臭いけれど、二つを向かい合わせで垂れ飾りみたいに使ったら、オシャレじゃんって。

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なにせ我が家のエントランスには、退職記念に取り付けたオーダーのアルミ鋳物のアールデコの垂れ飾りがアイコンとしてあるわけで、その連続性は、きっと王国にダブルでアールデコ的効果を表すに違いないと、飛びついてしまったワケだが、今日も、ほとんどのリーダーの皆さまの興味とは関係ない話題で恐縮。

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オークションの出品者は、アールヌーボーでアールデコでヴィクトリアンなどとテンコ盛りのタイトルを付けていて、おいおい、アールヌーボーとアールデコでは、全然違うじゃん、ましてヴィクトリアンなんて支離滅裂で、年代は1890年ときて、しかし、その証拠を1890年のモントゴメリーワードというアメリカの通販のカタログに同類の物が出ているとしている。

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そうなるともう、老人としては調べることだらけで、美のシャーロッキアンと化してグーグル検索と翻訳ボタンを頼りに世界中を訊いて回ったワケだ。
 
今も、この手の物をリプロダクションしているメーカーなんかもあってウットリ
する写真に出会って、しばし生活のことなんか忘れて、没入の至福。
まさにギルテッドエイジつまり、金ピカ時代のアメリカなんだ。成金時代とも言うがね。

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さてさて、そんなこんなの検索のなかで頻繁に出てくるのがEASTLAKE STYLE という言葉。まだ日本語の検索ではあまりヒットしないが、さすが東京のパンカーダさんのブログにはあった。

 

ヴィクトリアンのイーストレイクスタイル。

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ロンドンナショナルギャラリーの館長で、家具デザイナー・建築家・画家でもあったチャールズ・ロック・イーストレイク卿(1799-1865)の、1868年に出版された「家具室内装飾、ディテールのヒント」に影響を受けたEastlake Movementといわれる装飾スタイル。

 

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1870年代から1890年代に流行したクイーンアンスタイルの建築と相まってアメリカの住宅様式に画期的な一時代を作った。

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アーツ&クラフトの流れをくむフォルム、幾何学模様のカーヴィングが特徴。

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現代の眼からみると装飾過剰ではあるが、ヴィクトリアンの過剰な装飾から見ればシンプルで、歯車のモチーフなど今風に言えばスチームパンク。薄い彫りで大量生産的ではあるがブルジョアジーの産業革命の機械化への歓喜が読み取れる。ヨーロッパの混乱をよそに、ひとり繁栄を謳歌するアメリカ。

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ということで、早速クリーニングとペイント 。

このブラケット、まさにヴィクトリア時代のアメリカのイーストレイクスタイルのブラケットなんだ。

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様式としては、ヴィクトリア期の、フランスのアールヌーボーの洗練とは一線を画したイギリス的なもの。アーツアンドクラフト運動を世に出したイーストレイク卿のイーストレイクスタイルで、やがてくるアメリカンアールデコのはしりであり、アメリカンスタイルの萌芽期の民衆的スタイルと言えるのではないだろうか。

 

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このあたり、アメリカへ輸出されたオールドノリタケのメープルリーフ期 の磁器とも時代が重なるわけで、一緒に見てみると、メープルリーフ期のオールドノリタケの過剰装飾の背景が読めてとても面白い。アンティークって、横に繋げてみるとマスマス面白くなる。

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ということで、時代としても、我がエドワーディアンな改装計画とは外れてはいないワケで、先日の、毎日が夏休みの老人の夏の工作、エドワーディアンな壁掛けミラーと合わせて、コレクションルームの一角を演出することとなった。

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貧乏くさい棚受けが、お洒落な垂れ飾りに変わったではないか。

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今日も我が王国は、国民の歓喜の声がやまない。

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美の女神は王と共に居ます。ナンチャッテ。

 

 

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2016年2月21日 (日)

オールドノリタケ ピエロのフィギュア。

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久しぶりに陶器を撮ってみた。

オールドノリタケ アールデコ ピエロのピンティッシュ。

オールドノリタケファンがデコレディと呼ぶフラッパー、アールデコ期のピエロのフィギュア。

この、孤独感がたまらない。

裏印 HAND PAINTED M-JAPAN アメリカ向け輸出品

        1918年大正7年以降 1931年昭和6年以前。

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