アンティーク

2009年12月24日 (木)

エインズレイのティファニーブルーのデミタス。

L1040309 メリークリスマス。

といってマア、アラ還の団塊堂など、目出度さもデミタスくらいで、ネタもないから、ちょうど先日届いた、AINSLEYの、ティファニーブルーのデミカップがあったから、アップした次第で恐縮。

アシッドゴールドのボーダーが、上質でエインズレイとしてはナカナカではなかろうか。

ティファニーといえば、30年も前にデパートにショップがオープンした頃は、団塊堂も三十歳、仕事盛りで、デパートもまた面白いくらい売り上げを増やしていた時期で、クリスマスの時期のティファニーのショップは、バーゲン会場の様な混みようで、ケースの周りには二重三重にアベックが取り囲み、ショップは入場制限をして、外に行列をする有様だった。

「ティファニーで朝食を」なんて映画による知名度と、オープンハートやらティアドロップといったデザインの素晴らしさ、なによりシルバーなら一万円という、程よい価格が、爆発的人気の源だったわけで、男性にとっても、ティファニーは、とても有効で、有難いクリスマスアイテムだったのです。

 ティファニーも 想い出となり クリスマス。  団塊堂L1040307_2

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2009年12月 8日 (火)

HUTSCHENREUTHER PORC. DEMITASSE CABINET CUP & SAUCER

L1040240 上品で美しいフッチェンロイターのキャビネットカップであります。濃いコバルトの藍の上に、抑えた色合いの金彩、さらに黒真珠を思わせるジュールがとてもシックです。ソーサーは中央が台状にふくらんだスタンドというスタイル。

「いかなるものよりも品質の優れたものをつくる」というのがフッチェンロイターが1822年バイエルン王に誓った開窯の条件でした。

フッチェンロイターは、ウイーン会議が開かれた1814年、ドイツ南東部のホーエンベルグカルル・マグヌス・フッチェンロイターによって開かれた窯。L1040241 さらに1822年には前述のバイエルンにて開窯許可を得た。当時、陶磁器は王立窯が全てであり民間人による開窯は始めての事だった。2000年にはローゼンタール社と合併。

L1040262 さて、ジュールという手法であります。当ブログに何度も登場する手法で、下手するとトテモ下品になる手法でニッポン物やオールドノリタケのジュール・金点盛りなど悪趣味な物が多い。ところが同じ手法でもヨーロッパの物には、卑しさが感じられない。文化の本質的な違いだと思う。この後つづく二点のカップにもジュールがあしらわれている。結構オイラの趣味もチャラチャラしているのかも知れないが、まずはこのカップの渋さを評価してほしい。さあ、まもなく始まるオイラのアラ還ライフも、このように渋く美しくありたいと思う。

参考 「王侯・貴族の愛したうつわ」 編集 岐阜県現代陶芸美術館

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2009年12月 1日 (火)

1羽の白鳥を盗む者、2羽も3羽も白鳥を得る。ニッポン物アールデコのカップ&ソーサー。

091117_003 アールデコ期のアメリカへの輸出陶磁器であります。さて、誰の目にも明らかにアールデコなのですが、アールデコは、こうだからアールデコなのだと一言でいうのは、アールヌーボーに比べて難しい。

あの、クネクネとした曲線のヌーボーに比べて直線的という特徴があるが、例えばこの絵付けなどどう説明しようか。

末續尭氏は「日本のアールデコ」のなかで、この絵のパターンを「分解再合成の手法」Reorganizingと定義している。日本独特の展開で、絵柄を平面的な幾つかのパーツに分け、再び合成したもの、としている。

ナイーブなこの絵のテーマ、白鳥を盗んだ盗人を、仲間の白鳥が必至に追いかけるホノボノとした白鳥の友情物語だが、さてこの盗人、一羽の白鳥を盗んだら仲間の白鳥まで付いて来て、さらに(皿に)カップの一羽も含めれば合計三羽の白鳥を手に入れる事が出来るわけで、まさに“濡れ手で粟”なのである。友情もホドホドにという教訓を含んでいる。なんて解釈がヒネクレ過ぎか。

091111 裏印は、オールドノリタケと類似しておりハンドペインテッドジャパンとあり、ノリタケと同じ下がり藤を逆転させた物、中にIEとあるのが企業名であろうか。大正あるいは昭和初期の名古屋絵付け、オールドノリタケのウッドランドパターンと同類。と思う。

091117_002_2  さてさて、たとえば昭和10年頃、日本の珈琲碗皿の66%は岐阜県の滝呂(現在の多治見市滝呂町)で作られていたという。ちなみに昭和9年(1934)のアメリカの陶磁器輸入高の68%が日本からであり、ドイツから18%、イギリス5%、チェコスロバキア4%、フランスその他が5%だったという。岐阜県の東濃地方・愛知県の瀬戸・名古屋の陶磁器商社の輝かしい時代だったのです。やがて日米戦争に突入する前夜の事である。

ひと足早く里帰りしていたオールドノリタケのデコと一緒に記念撮影。今夜も我がコレクションルームでは、陶器たちが、アメリカでの暮らしを振り返りながら、なにやら同窓会。つらかったとか楽しかったとか。

Nippon Demi Cup & Saucer Man Stealing Geese Art Deco

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参考 日本輸出陶磁器史 (財)名古屋陶磁器会館

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2009年11月21日 (土)

明治の華・横浜SATSUMA千顔のデミタス。その弐

091118_005 明治維新といわれる混迷の時代に、日本各地の諸窯では華麗な陶磁器が盛んに製造され、諸外国に輸出された。主な消費地であった欧州では、それらを「SATSUMA」と総称して嗜好されている。

本薩摩と呼称される薩摩焼の窯地は、主に鹿児島市内多賀山近辺の堅野系といわれる諸窯と、苗代川系といわれる諸窯であった。

「SATSUMA」の前提は、いわゆる「薩摩焼」とイコールではなく、それらは最初にも触れたが、幕末から明治時代にかけて製造された日本各地の輸出陶磁であった。したがって輸出されなかったり、輸出できなかった遺品を「SATSUMA」と呼称するわけにはいかない。

「SATSUMA」の産地は主流の鹿児島、京都を筆頭に東京・横浜・大阪・神戸と諸外国に開港された都市にあり、後には金沢、美濃も加わった。

           引用 幕末明治の薩摩(SATSUMA)焼 大森一夫著

091118_004_2 本品の横浜「SATSUMA」の発祥は、明治3年ころ京都の宮川香山が横浜南大田の富士見台下に窯を開設した事によるが、明治8年ころ本町通りに店を構え相生通りに工房を開設した井村商店は明治10年代には職工200余名を擁し外国人の好みの意匠を取り入れた陶磁器で大いに繁盛したという。ほかにも中村屋や鎮導商店などが店を構え明治18年ころにはおよそ400名だった製陶関係者は明治25年ころには600名に増加した。

さて、小さなデミタスの内にも外にもソーサーにも、狂おしいほどビッシリと人物が描かれている。ポーダーは櫻の花のようである。人物の華やかな衣装といいまるで元禄花見模様ではないか。茶溜りには金彩で龍が描かれている。千顔というが果たして何人の人物が描かれているのやら、薩摩焼ならさしずめ「人物風俗文洋茶碗」と呼ぶべきか。

樋口一葉の「うもれ木」の書く、SATSUMA絵付け画工の心意気、「天晴道(あつぱれみち)の奥を極めて、萬里海外の青眼玉に日本固有の技芸の妙、見せつけくれん。」職人の心意気が、デミタスの小さな面にびっしりと巡ってナカナカであります。091117

Satsuma 1000 faces Demitasse cup and saucer

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2009年11月17日 (火)

明治の華・横浜SATSUMA千顔のデミタス。その壱

091118_004 描き出だすや一筆(いっすい)の筆さきに、五百羅漢十六善神、空に楼閣をかまへ、思いを廻廊にめぐらし、三寸の香炉五寸の花瓶に、大和人物漢人物(からじんぶつ)、元禄風の雅なるもあれば、神代様(じんだいやう)うづたかく、武者に鎧(よろひ)のおどしを工夫し、殿上人(でんじやうびと)に装束の模様を選らみ、或は帯書きに華麗をつくす花鳥風月、さては楚(そ)を極むる高山流水、意の趣く処景色とゝのひて、濃淡よそほひなす彩色の妙、砂子打ち(ぼつうち)を樂と見る素人目に、あつと驚嘆さるゝほど、我自身おもしろからず、筆さしおきて屡々(しばしば)なげく斯道(しだう)の衰頽(すいたい)、あはれ薩摩といへば鰹節(かつをぶし)さへ幅のきく世に、さりとは地に落ちたり我が錦襴陶器。

樋口一葉(ひぐちいちよう)は、その著「うもれ木」の中で、明治20年代の東京SATSUMAの状況をこう書いている。一葉の次兄・虎之助は東京SATSUMAの東京絵付けの名人といわれた「奇山」で一時高輪に住んでいた。

さらに、一葉は、

美術奨励の今日うまれ合はせながら、此処東京の地にばかり二百に剰る画工のうち、天晴道(あつぱれみち)の奥を極めて、萬里海外の青眼玉に日本固有の技芸の妙、見せつけくれん腸(はらわた)もつものなく、手に筆は取り習らへど、心は小利小欲のかたまり、美とは何ぞ儲け口か。

と嘆いて、

さればこそ売国の奸商(かんしやう)どもに左右されて、又も値下げ又も値下げと、さらでもの、痩せ腕ねぢられながら、無明の夢まだ覚めもせず、是では合わぬの割仕事に、時間を厭ひ(いとい)費用を減じて、十を以って一に更ふる租画濫筆(そぐわらんぴつ)、

と、このままでは。

091118_001 今十年と指をらぬ間に、今戸焼の隣に座をしめて、荒もの屋の店先に、砂まみれ成らんも知れた物でなし。

と指摘しているが、まさに東京SATSUMAは明治の三十年代には急速に衰退していく。

さて、今回は、明治の輸出陶磁器の、SATSUMAについてであります。

今回の物は、銘は・大日本 中村造とあり、明治半ばの横浜の中村屋の物ではないかと考えられます。

さてさて話は長くなりますが、まず何故、薩摩焼ではなく〔SATSUMA〕と書いたのか?

やはり、長くなり過ぎます。次回をお楽しみに。                     つづく

引用 岩波文庫 闇櫻・うもれ木 樋口一葉 昭和十四年

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2009年11月10日 (火)

Antique Porcelain Nippon Moriage Leaf Gilt Teacup Cup & saucer

091107_001 明治期のイッチン・モリアゲという技法の豪華絢爛なカップ&ソーサーです。

幕末・明治の金工や七宝などの工芸品には素晴らしい物が多く、骨董市場に名品が出ればすぐに海外の業者が買い付け海外の美術館やコレクターの手に渡るそうです。

日本の工芸品は、19世紀末のヨーロッパの万国博覧会に出品され、絶賛されます。それらは、圧倒的に高度な技術によってもたらされたものであり、文句無く美しく、日本の武家社会によって醸成された品格を備えていました。

にもかわらず、我々日本人は、それらの幕末・明治期の工芸品の事は殆んど無知といっても良いでしょう。もちろん、それらは輸出品であったわけで、我々の目に触れる事は少なく、名品の多くは海外に存在するわけで、仕方の無い事ではありますが、団塊堂もオールドノリタケのコレクションを進めるなかで、幕末・明治の輸出陶器の事を少し知ることができました。

幕末・明治の輸出陶器の代表は、なんといっても“SATSUMA”です。そしてもう一つが、日本の技法が世界のアンティーク蒐集家の共通語になってしまった“MORIAGE”です。

今回は、およそ120年の時を経てアメリカから里帰りしたモリアゲと金彩のカップ&ソーサーです。こまかな点盛りも施され大変手の込んだ物です。

091107_002 カップは大ぶりでけっして洗練されたサイズではありませんし、ソーサーの裏側などは和皿そのものです。カップは石膏型成型で作られていますが、未だこなしきれていない感じがあります。石膏型成型は慶応三年(1867年)にはパリ万博から帰国した瑞穂屋卯三郎によって日本に紹介されていますが、本格的に取り入れられるのは明治のなかばからのようです。

091107_004_2 このカップも“伏せ焼き”で焼かれています。以前、当ブログのオールドノリタケの金彩とジュールのカップやヨーロッパのカップとの比較で紹介した、カップを正立ではなく、伏せて裏向きにして焼いた物です。まだ技術的には不十分で口縁部はザラついています。磁土は酸化鉄の薄青みを帯びており瀬戸の千倉石を含んだ物であり。愛知県の瀬戸で焼かれた物と考えられます。瀬戸の生地に名古屋絵付け、名古屋絵付けに付いてはまた後日書きたいと思いますがイッチンは名古屋絵付けの得意分野でありました。

ノリタケの前身・森村組の本拠地名古屋、美濃・瀬戸・名古屋に拡がる一大産地は日本の輸出陶器の中心でありました。団塊堂が大学時代を過ごした名古屋の東区・北区こそ、このイッチン・モリアゲの産地でありました。

さて、趣味の良し悪しは別として(笑)、団塊堂的には貴重なコレクションです。明治の日本の輸出陶磁器の息吹を強烈に感じさせてくれます。コレクターとしては必ず手に入れねばならぬ物であります。盛り上げのロスも少なく、盛り上げとしてはミントコンディションと言って良いでしょう。勿論こんなカップ、生活には使えないタグイの物ですから。

最後に、オールドノリタケの盛り上げの花瓶と、ドラゴンのカップ&ソーサーを一緒に記念撮影です。

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次回のカップは“SATSUMA”のデミタスのご紹介です。趣味の良し悪しは別にして。(W)

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2009年10月24日 (土)

ROYAL WORCESTER CUP & SAUCER HAND PAINTED 1890

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 ・・・・ ロイヤル・ウースター(英)のボタニカルアートのカップ。ロイヤルウースターは、そのDATING TABLEによって一年単位で製造年を特定できるから気持ちが良い。 裏印のマークの下の小文字のaからこのカップは1890年(明治23年)製。

091024_006_2  1851年、第一回万国博がロンドンで開かれ、その後、パリ万博、ウイーン万博とヨーロッパは熱い万博の興奮に沸くことになります。時あたかも日本は、幕末・明治の大変革の時、これらの万博で、日本の工芸品は驚きを持って迎えられヨーロッパに日本ブームを巻き起こします。

シーボルトが持ち帰った日本の植物画は博物的興味のみならずヨーロッパの絵画表現に大きな影響を与えましたが、たとえば、世紀末のヨーロッパを席捲したアールヌーボーの流行を語るにはナンシー派のエミール・ガレなどに大きな影響を与えた日本の高島得三(北海)の植物画を見逃す事はできない。

091024_007 農務省留学生・高島得三がナンシー森林水利学校に入学したのが1885年、翌1886年にはガレと交友、ガレに日本の植物図鑑を贈ったりしている。この後1889年のパリ万博でガレは大成功を収めアールヌーボーは大きな潮流となります。

この時期のロイヤル・ウースター(英)には、日本の植物画に影響を受けた作品が多くみられます。フランスのアールヌーボーの流れが大きく影響を与えていた事は明白です。

このデミタス、清楚な野の花に金彩の縁取りを与えて華やかさを増しています。ソーサーの2つの花束はカップの花と連続しています。カップの正面と裏面で異なる二つの絵柄が楽しめる。ペインターのサインはカップとソーサー共に同一です。デミというよりキャビネットサイズのカップ。ミントコンディション。

091024_003 というわけで予告してからアップするのに時間をかけて恐縮。このところ素晴らしい物が続いているでしよう。団塊堂のアンティークカップ蒐集熱はマスマス上がっています。

さて、オールドノリタケに始まった団塊堂のアンティークカップコレクション、ここらで原点の日本の物にUターン致します。近代から現代の狭間の日本をアンティークカップを通して見てみたいと思います。

次は、明治期のニッポン物の、凄い物をアップ致します。これは団塊堂コレクションとしては正に快挙というべき物です。オールドノリタケファンの皆様にも、是非その節は、お立寄りいただきたいな。 なん茶って。091024_005_2

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2009年10月 2日 (金)

デルフト?コペンハーゲン?BOAT-FLOW Blue&White Cup & Saucer

091004_002 さて、ロイヤルコペンハーゲン風の裏印のデミタスだけれどロイヤルコペンハーゲンと言うにはマークにドットが足りない。デルフトあるいはデルフト風。と簡単に言うけれどデルフトはオランダでコペンハーゲンはデンマークで、平気で混同するあたりは韓国と日本を混同するくらい失礼な話かもしれない。そんな事で税金を湯水の様に使ってコペンハーゲンまで少し老人性のボケと頑固が混在し時々言葉が出てこなくなった知事が出かけてもオリンピックの招致は無理だし。日本では東京オリンピックへの賛成は80%だなどとデタラメを言う辺り招致委員会は北朝鮮並みだと思う。 なんて、品良くカップの事だけ語れば良い物を、091004_005_2 人生の終わりを汚しつつある慎タローの事なんか書くから下品になるけれどゴメンこれが団塊の世代の悪癖であり限界なのだ。団塊の星・世界のハトポッポだって「バカヤローなにがイマサラオリンピックだよ!」って思ってるはずで、東京なんて落選するに決まっているわけで、だから安心してコペンハーゲンへ出かけたわけで、開催が決まってしまったら党内からはブーイングな訳で、しかし慎タローって 奴は汚い奴で失敗は確実になったから、ハトポッポがコペンハーゲンに来なかったら皇太子のセイにしたいけどチョッとナニだからハトポッポが来なかったからだなんて言いかねないから、ハトポッポは行くだけ行ったわけで、これで慎タローのボケはもう、誰のセイニモ出来ないわけで、涙目なんだと思う。ハトポッポなかなかリオデジャネイロ!なんてあんまり意味は無いから適当に読み流していただきマドリード。

091004_003_2 17世紀中頃、スペイン・ポルトガル・イギリスと並んで東洋との交易に乗り出していたオランダ商船隊は他を圧しいち早く中国・日本と貿易利権を獲得し本格的な磁器をヨーロッパへ輸入する事に成功した。

16世紀はじめ錫エナメル釉陶器がイタリアからフランドル地方にもたらされ、やがてデルフト陶器と呼ばれるようになる。

オランダ商船隊によってもたらされた中国や日本の陶器はデルフト陶器に一大転機をもたらします。

さて、このカップ、そこはかとなく有田・伊万里の染付けを感じ、ソーサーの線描きなど極めて日本的である。とはいいつつ時代はセイゼイ戦前だと思う。手描きの帆船、ソーサーにはマルに十の字のエンボス。東洋の様で東洋で無く西洋の様で西洋では無い。

団塊堂、今夜も小さなカップを手にして、シ・ア・ワ・セであります。

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2009年9月24日 (木)

ブログ開設三周年記念・パラゴンのカンカップ。

090924_002 私の好きなものを一言でいえば、甘ずっぱさのあるものということになろうか。なつかしいもの、やさしいもの。しかし、ただそれだけででなく、その中心に悲しみのようなもの、生きることの悲しみのようなものが混じっている、そういうものが好きだ。  金子国義

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さて、あれから三年になります。二度目の人生のスタートをしたはずの会社を辞めて、休業宣言をして、当分は求職活動もせずブログを始めるなんて宣言をして、家族だって内心オダヤカでは無かったはずだけど、とりあえず落ち着いて見過ごしてくれて。さすがに失業保険の給付期間を過ぎたあたりでは、自分でもオイオイこのまま失業者かよと慌てたけれど、ナントカ助けられて。090924_006

人の情けの横糸を得て、時の流れの縦糸に絡めて、ナントカ、「物」がたりを紡ぐ事が出来ました。ありがとうございました。

数字に追われるのは嫌だけれど、日ごとブログへのアクセスも増え、近頃では毎日150程のアクセスを戴いて、なによりこのアクセス数が持続のための大きな声援となりました。本当に、ありがとうございました。感慨ひとしおだけれど、マア、そんな事はさておいて、今日もアンティークカップうんぬんナノダ。

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090924_004090924_005  パラゴン(英)のキャン・シェイプのカップ。年代は1919-1934年頃だろうか、パラゴンについては去年の夏、詳しくアップしたからマイカップのカテゴリーをクリックしてご覧下さい。淡いミントグリーンのボディに金彩の転写、見込みとソーサーの中心には花柄。花柄は筆が入れられハンドペイントもどきの演出。パラゴンの安物臭さはなく、団塊堂的にはグッドテイストで、素晴らしい物が手に入ったとご機嫌の今日この頃なのだ。

090924_007 大げさなシェイプのカップが多いパラゴンのなかにあって珍しいキャンシェイプ、何の変哲も無いシェイプが控えめで、派手な金彩の転写を淡いミントの色彩が抑えて、ライトの下ではソーサーの金彩がカップに写りこんでラスター彩のようでもあり美しい。見込みの小花など清楚なはずの貴婦人の太ももに見つけたタトウの様でドキッとするほど艶めかしい。サイズはデミタス。コレクションにはこの大きさがいい、普通の大きさのカップは生活臭があって良くない。19ドル95セント、人生は「お金」だけでもないと思う。

PARAGON  CUP AND SAUCER can BLUE CUP GOLD GILT

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2009年9月13日 (日)

Antique Richard Ginori Rust and Gold Rooster Cup &Saucer

090913_004 リチャード・ジノリの赤い鶏のカップ。

どなたかのアンティークの本に、骨董屋の店先に飾られたジノリの赤い鶏のカップが気に入って、何度もタメライながらも我慢できずに手に入れた、それがアンティークカップ蒐集の始まりだったという事が書かれていて、なかなか趣味が良い人の本だったから、いつかオイラもと気にかけていたのです。そしてこの夏、26ドル27セント(米国内送料込み)で手に入れた。裏印から年代は1850-1903年の物。

090913_005 ジノリの赤い鶏は、現在も作られているデザインだけれど、お馴染みの和田泰志先生の「アンティーク・カップ&ソーサー」の28ページには、1745-65年の物が掲載されている。それによれば、二羽の鶏はジノリ窯より以前にシャンティーイで描かれていたもので、中国磁器由来のものとある。

さて、オイラの赤い鶏、ジノリのヤリカタは転写に少し筆を入れてハンドペイントを演出するワケだけれど、ペッタンコの転写に、鶏の鶏冠に濃い赤が加筆されている。磁胎は極めて薄く流石ジノリで高級感がある。

サテさて、ようやく残暑もおさまり、物思う秋。民主党政権の誕生と、一人孤高の戦いを続ける社民党のミズホタンの大人の判断に、すっかり怒りも納まって、満足の今日この頃、このままでは、満足したタダの豚となりそうで、豚になったら豚インフルエンザに罹患する可能性も増えるわけで、貧しい暮らしの日々でも美しいものを求める、痩せても涸れても暮らしのなかで美を実現すべき、いや、する事こそオイラの生きる意味ではないか?なんて、またユックリとアンティークカップの事なんか語っていこうと思うのです。

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