わたしのニルバーナ 今年の庭。
西洋の庭園思想を辿ると、ギリシア・ローマの「アルカディア・桃源郷」やキリスト教の「エデンの園」に行きつくが、これらの庭園は、たわわに実る果樹が重要な要素だが、日本庭園ではこうしたものは排除されている。
仏教の極楽浄土や蓬莱などの楽園思想・庭園思想には生産に結びついた農作物はみられない。
我々が今、イングリッシュガーデンと呼んで憧れる鑑賞を主にしたイギリスの風景式庭園は18世紀以降に現れたものだ。
西洋の庭が、いかに生きるかというテーマのキリスト教の、修道院の食料生産の為の庭から発展したものとするなら、仏教寺院の庭に発する日本の庭は、いかに死するかというテーマの仏教の浄土の具現であり、生産や労働を止揚した精神の理想郷の具現化である。
のどかな農村風景は理想郷であっても我々には庭園ではないし、豊かに実る果樹園は庭園ではない。 な~んちゃって。
まあ、そんなことを小難しく語ってみたかった老人の今日この頃だが。
男、還暦を過ぎて、庭も芸術も歴史も語れないヤツなんてクソだぜ! なんてことをヘタに言ったりしたら気が狂ったように遠くで吠える老人がいるから、老人なんてものはろくでもないヤツが多いからホドホドの付き合いに収めている。
さて、毎年、その年の庭の完成形を写真に撮ってブログに残しているが、庭に完成形など無いのであって、あの花が咲いたらと思っていると、こちらの葉がしおれ、この葉がひらいたらと思っていると、あちらの枝が徒長したりしてナカナカ写真アップの踏ん切りがつかない。
梅雨入り前のこの時期に撮るか、梅雨で徒長した植物を剪定して充実したところを撮るか、いや、梅雨の長雨で折れたり、虫に食われたりで梅雨の後ではリスクが大きい。
今年も、上手くいかなかったことも二三あるし、まだこれからのこともあるが、今、パティオの壁面緑化も、裏庭の壁面も強剪定にもめげず新緑に覆われている。下草も今年は特に充実している。
老人の、ささやかな秘密のミュージアムは緑に覆われて至福の時を迎えている。
ニルバーナ 没入の至福。
老人は、緑の光のなかで、一日なんども死んでいる。
むかついたらゴメン。
君はそうして怒り狂って死んでいくのか。