« また、しばらく。 | トップページ | 庭の金魚。 »

2019年2月 7日 (木)

アールデコ フラッパー ビスクドールのドアノッカー。

とてもめずらしいドアノッカーをアメリカのイーベイで手に入れた。

Dsc05058

オールドノリタケで言うところのデコレディ、つまりアールデコ期のフラッパーガールの、しかも、ビスクドールのドアノッカーだ。

Dsc05015

ご承知のように、老人はドアノッカーのコレクターだが、オールドノリタケのコレクターでもある。

Dsc00994_2_2



まあ、コレクターというには、たいしたコレクションの数ではないが、たとえば老人のコレクションのデコレディなどは、ここ十年、グーグルでもヤフーでも画像検索のトップページに鎮座する、日本一有名なオールドノリタケのデコレデイだ。

Dsc07144

デコレデイのピエレッティも老人の物がずっとトップページに居続けている。



Dsc01430

        裏印 HANDPAINTED M-JAPAN

        1918年(大正7年)~1931年(昭和6年)


Clown_008

さて、デコレデイなどと言うと、田舎では、人形をデコと言ったりするわけで、なんだか土人形みたいだから、そこは是非、ART DECO PORCELAIN FLAPPER DOLL 、フラッパードールと呼んで欲しい。

Flapper

アールデコは、1910年頃から1930年頃、つまり20世紀初めに流行したデザイン様式で、そのピークとなったのが1925年のパリ万国装飾美術博覧会だから1925年様式ともいわれる。

1335

 

0205

磁器製のフラッパーのフィギュアは、ドイツが本家で、マイセンは勿論ローゼンタールやフッチェンロイターなど素晴らしい物がある。アールデコは、初めて大衆消費が主役となった様式で、大量生産されたフラッパードールもアンティークとして人気がある。ノーマークのハーフドールでも良い物は十万を超す。(上の写真はEtsyから)

アールデコは、ファッションであり流行だから、王様や王妃までも虜にした。


George_nz_3
老人は、イギリスの歴代の王様の缶バッジや記念品のコレクターでもあるが。

L1010890

エリザベス女王の父君ジョージ六世(在位1949-1952)だってモボであり王妃はモガだった。

話がややこしくなるが、現女王・エリザベス二世の母親の名もエリザベスで、クロード・ボーズライアンの末娘で、エリザベス一世(在位1558-1603)ではない。。

母親のエリザベスは、残念ながらフラッパーというより、少しスーザンボイルだ。

Art_deco

さてさて、そんなことで、ドアノッカーであり、アールデコの磁器で、フラッパーときたら、たとえオールドノリタケでなくとも、これはもう老人が何が何でも手に入れるべきで、少々高めの値段でスナイプ入札を掛けておいたのです。このところイーベイは低調で、あまり競り上がることはないのだが、さすがにこれには、たくさんの競争者が現れた。参加者はいずれもプロのようで、無茶な値段に跳ね上がることはなかったから、ほんの少し頑張った老人の手に落ちた。


_12_2

 

さて、このフラッパードール、ポーセリンマークがないから、オールドノリタケでもローゼンタールでもない。ドイツのチューリンゲンの物か、日本の瀬戸あたりで造られた輸出陶器か。

老人は、毎日が日曜日で、毎日がゴールデンウィークだから、退屈しのぎに、このアールデコの時代の事など色々と調べてみた。

さて、オールドノリタケのデコレディに付いている裏印のM-JAPAN印の年代、1918年のアメリカについて考えてみた。

第一次世界大戦が1914年から1918年だから、第一次世界大戦が終わった年だ。

第一次世界大戦は、連合国側 ロシア フランス 英国 (日本 アメリカ)と、中央同盟国側 ドイツ オーストリア (オスマン帝国 ブルガリア) が主にヨーロッパを戦場にして戦った。

アメリカは、当初、南北戦争(1861-65)による疲弊で手が出せずモンロー主義を唱え傍観を決め込むが、1915年イギリス船籍のルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈され、乗員の128名のアメリカ人が犠牲になったことから一気に反ドイツ感情が燃え上がり、連合国側に参戦、すべてのゲルマン的な物をアメリカから排除しようという反ドイツヒステリーが国を覆う。

当然ドイツの陶磁器は排除の矢面に立つこととなる。


Dsc05610
ご承知のように、老人はアンティークカップのコレクターでもある。

以前、裏印が削りとられたマイセンのカップ&ソーサーを紹介したことがあるがこの時代の事だ。



Dsc04948

当時のアメリカの音楽界はドイツ人やオーストリア人で占められていたが、オーケストラからドイツ・オーストリア人が排除されて立ち行かなくなったり、アメリカ人が大好きで、最もアメリカ的と思われるハンバーガーもドイツの都市ハンブルグに由来することからリバティバーガーなどと改称されることとなった。50万人のドイツ系市民は写真と指紋の登録を義務付けられ、二千人が収容所に送られた。第二次世界大戦では、同じような事が日本人に対して行われることとなったが。

1334_2

戦場となったドイツの工業生産は大きく打撃をうけ、さらに反ドイツ感情でアメリカ市場を失うが、そこでアメリカ人バイヤーが目を付けたのが日本というわけだ。

自らの国土は戦火にさらされることなく、戦場となり生産能力を失ったヨーロッパへの輸出で好景気に沸くアメリカ。そのアメリカの大衆の活況に彩りを添えたのが、流行のアールデコの日本製の陶磁器だ。アメリカのバイヤーのオーダーによるドイツの陶磁器のパクリとも考えられるが、流行というのはパクリのパクリであって、そのファッションはパリのものであったりニューヨークの物であったワケで、パクリと断じるのは酷かもしれない。

こうしてみると、なんだか有田焼が、本家・中国の景徳鎮が国内の混乱で生産能力を失い、困った東インド会社が日本の有田にパクリの生産を頼み、やがて有田が本家中国をしのぐ存在になったのと似ている。


1919
日本の元祖モダンガールと言われる断髪洋装の新聞記者 アナキスト・望月百合子が、木挽町の外国人女性の行きつけの美容院マリールイーズで大橋房と共に髪を切ったのが大正八年(1919)の夏頃、評論家 新居格がモダンボーイ・モダンガールという言葉を初めて使ったのが昭和二年(1927)頃だ。左翼がオシャレで輝いていた時代だ。


2043


さて、このフラッパードールのドアノッカー、ドイツ製だろうか,ニッポン物だろうか。


568

オークションの出品者は、ドイツ物としていたが、デザインや絵付けの少し緩いところがニッポン物の様な気もする。じっくりと観察すると、ドイツの雰囲気が濃厚だ。

ワレモノの磁器で、叩いて音を出すドアノッカーを造るという発想は日本人には無いと思う。

Dsc05019

割れやすく造りづらいバックプレートは、半分の長さにし、本来ならば足でヒットするはずなのだが危険過ぎる為、腰の部分でヒットするという工夫がされている。ドアへの取り付けは、バックプレートを釘付けにするかビス止めするわけだが、陶器の釘穴に釘を打つのは勇気がいるから、使用された形跡はない。

老人は、アメリカンアールデコのコレクターでもあるが(笑)、クライスラービルや摩天楼の対極にあるような、庶民的でアメリカンアールデコの底辺に迫る様な面白い物が手に入ったと喜んでいる。


Dsc07437

そういえば、フラッパーと言えば、こんなブロンズがあったな。


Dsc05941

我が家の、フラッパードールを集めて、記念の写真を撮ってみた。

Dsc05009

ダラダラと長いブログに最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Dsc04971_2 

明日、あなた様に良い事がありますように。 

ごきげんよう。              デコ爺

|

« また、しばらく。 | トップページ | 庭の金魚。 »

オールドノリタケコレクション」カテゴリの記事

アンティーク ドアノッカー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アールデコ フラッパー ビスクドールのドアノッカー。:

« また、しばらく。 | トップページ | 庭の金魚。 »