老人のデジタルテクノロジー格差による幸せの極端な偏在。
先日、老人が手に入れた、安物のブルートゥースの中華アンプ、ほぼ半月使ってみたのだが、素晴らしいのだ。ノイズはないから音はクリアだし、音源はダウンロードしたスマホからの転送ということで、完璧な複製化がなされていて、まさにデジタルテクノロジーの極みという感じだ。
昔のステレオの大きなスピーカーを鳴らしてみたのだが、今まで聴いたことのないような素晴らしさだ。40年前のスピーカーが生き返ったというより、スピーカーの本当の実力を初めて発揮できたという感じだ。
なにより、低コストで、年金暮らしの老人にはとても有難い。アンプの価格など、老人のオーディオの常識からすれば十数分の一だし、コンテンツはアップルミュージックでほぼ無限だし会員になれば月々野口英世でお釣りがくるし、家族で共有も出来る。CDのラックはジャマだから納戸へ入れた。
さて、いまだに、「メールなんてバカなことは俺はやらない」という老人はいるし、ビデオのモザイクを外せるのがパソコンの上位のスキルだとと思っている変態もいるし、人生いろいろでどうでもイイが。
老人こそ、デジタルテクノロジーを享受すべきで、享受できたら、すべてを手に入れることができると思う。もちろん、関係ない人には関係ないが、関係ない人には、その幸せも関係ないワケだ。
近ごろを、デジタルテクノロジーによる第二次産業革命だと論じる学者がいるが、まさに革命であり、それは余りにも無音で、知識のない人には視認できない変化だから憐れだ。
デジタルテクノロジーによる富の偏在で極端な格差が生まれているが、リタイアメントにとって富の偏在なんてことは、もうナンともならないことだから止揚するとして、富を「幸せ」に置き換えるが、老人を取り巻く状況での“デジタルテクノロジーによる幸せの偏在、幸せの極端な格差”というのがはなはだしい。
余談だが、「べき乗則」やら「パレード曲線」という懐かしい言葉を思い出した。「少数の上位が数の大多数を稼ぎ、大多数下位が少数を分け合う」という法則があって、実は現役時代、百貨店の客の口座を徹底的に分析するということをテーマとしてやったことがあって、間違いなく百貨店の売り上げも上位二十%の客によって八十%の売り上げが作られている。
いつの時代も少数が多数の富を享受している。
さてさて、デジタル社会では、アイデアこそ最大の資源でありデジタルテクノロジーこそ、アイデアのマルチプライヤー(増幅器)だ。だから、つまらない労働は、人ひとりは、ひとり以上の価値を生まないが、アイデアを持ちデジタルテクノロジーのスキルを持つ者には膨大な利益をもたらす。
これらをリタイアメントの老人に当てはめれば、アイデアを持つ老人にデジタルテクノロジーのスキルがあれば膨大な幸せをもたらす。有難いことに、デジタルのツールはドンドン安くなり、コンテンツもべらぼうに安くなり、検索で選び抜いた最適の物が、瞬時のダウンロードで手に入れることができ、さらに場所も取らない、ささやかな年金で暮らす老人的だ。
なによりコンピュータがコンピュータを感じさせない人間に奉仕する有能な執事となりつつあるという事だ、とても有難い。
しかし、これらは目に見えない、いや、見ることができる者にしか見えないモノだから、見えない人達は、わからない不可解なヤツラの行動だと睨みつけている。
あげくは、“スマホ依存症”だから“手を差し伸べて”やらなければいけないと。
よけいなお世話だよ、アナログ野郎!
デジタルテクノロジーによる老人の幸せの偏在。
幸せになりたい者は、もっと幸せになれることは、悪い事ではないよね。
な~んちゃって!
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