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2017年5月18日 (木)

ミントンのウィーローパターン(柳模様)のアンティークタイル。

無残にも二つに割れて、さらに下手な修復がされているブルー&ホワイトのミントンのタイル。

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柳模様、つまりウィーローパターンというやつだが、よく見るとウィーローパターンの重要な要素である二羽の鳥も、橋も、追ってくる人も、船も塔もない。ただ中国人の二人は大きく配置され、椰子の木の様な、いやウラシマ草のような、柳とフェンスのみがある。それでもドウ見たってウィーローパターンというところに、おもわず「ステキ!」と叫んでしまったのだが、ミントンと言えばウィーローパターンの発祥だという説もあるくらいで、トーマスミントンがヴィクトリア期に流行らせたパターンではある。

 

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裏足の銘はMINTONS CHINA WORKSとあるから1850年から1918年にかけての物だ、絵の調子といいヴィクトリア期の物であることは間違いない。

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この不思議なWILLOW PATTERNを画像検索してみた。ミントンのデルフト風と謳ったものが数パターンあった。いわゆるイングリッシュデルフトと説明されている。

私の物とは、傘やフェンス・塔の有無、中国人の描写に違いがある。

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ネット上には、こんな画像もある。四点のうち三点は更に別の絵柄だ。計7パターン見つかった。年代は、1870年とある。

 

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この絵柄のシリーズは、現在のウィローパターンが定着する前の、ミントン初期のウィーローパターンではないかと思うのだが、ネット上にはミントンの初期のウィローパターンには、橋も鳥も無かったとの記述もある。
 
とりあえず初期のウィローパターンというのは18世紀末のことであり、このタイルは19世紀後半の物。ミントンも色々と会社が代わったり経営が代わったりしているが、後のミントンが原点回帰でウィローパターンを復刻させた物ではないか。  と、言っても百五十年も前の話だが。
 
当ブログの「ウィーローパターン(柳模様)について考える」は、人気ページのひとつでもあるから、ウィローパターンを語る者としては、たとえ二つに割れていようが、珍しい絵柄で本家ミントンの「ウィーロー」だというコトで手に入れたのだがドウだろうか。
 
以前、当ブログで紹介した「柳模様の世界史」には、1849年に創刊された骨董などの研究誌「NOTES AND QUERIES 疑問と注解」に何度か持ち上がった柳模様の起源についての論争が゛紹介されているが、このタイルは、その論争の時代の物でもある。
 
ちなみに1887年1月17日の「タイムス」に、ミントン社長のトーマス・ミントンの投書が掲載されている。
「柳模様は、他の文様よりもおそらくよく売れ、多くの業者によって採用されたもので、帰化したイングランドの文様 a naturalized English patternといってよいものである。この文様は、(ジョサイア・ウェッジウッドの同時代人である)私の曾祖父であるトーマス・ミントンによって中国製の絵付けの皿からコピーされ、磁器に転写されたものである。 」柳模様の世界史 東田雅博著から引用。
 
ジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)
 
今回色々と調べていくなかでイングリッシュデルフトという言葉が浮かんだが、柳模様を英国と中国という構図ではなく、デルフト、更にはマイセンの模倣という視点で見たらどうかという気がしてきた。このシリーズにはシノワズリー以外に同じ調子で稚拙だけれど港湾風景も存在する。まさにマイセン写しのデルフト写しなんだ、いや中国写しならオランダ東インド会社のデルフトが本場か。
イングリッシュデルフトで画像検索すると、こんな調子なんだがね。

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「柳模様の世界史」では、柳模様はイギリスの案出であるとして、さらに“柳模様はオランダ人が案出した”という説を「一笑に付す」と言って決定的に否定されているけれど、大きな間違いを犯しておられるような気がする。
 
柳模様の物語という「後から出来たイギリスの童謡」のパーツを完全に揃えて定着させた物はイギリスだとしても、陶器の絵柄の流れは本家中国からデルフトやマイセン、そしてイギリスという流れがあったわけで、悪くいえば流行のパクリにたいそうな理屈などないはずだ。そして対独感情を考えたらマイセン写しとは言えないわな、どこかの国のウリジナルと同じと言ったら失礼か。
 
もちろんミントンも中国陶器のコピーであることは認めていますが、何度も言うが「柳模様の物語」のパーツを全て揃えた物だけをウィローパターンだとするのならイギリス発祥とすることもできるかもしれないが、歌の文句は後付けなんですよね。
パクリのパクリのパクリであった陶器の絵柄にオリジナルを主張、いや「正統」を定義すること自体、無理があると浅学な老人でも思うのだ。
 
ちなみに、下の写真はネットで拾った18世紀のデルフトのタイルの画像なのですが!!! 人物の描写など19世紀末のミントンが酷似しています。

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「デルフトの影響など一笑に付す」などというのは余りにナニだと思うのですよ、田舎住まいのシロートの老人でも。

デルフトどころか、中国のパクリすら否定して、オリジナルを言われるのなら、これはドウでしょう。

先日、常滑のINAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」で見つけた中国の明と清の時代のタイルです。

 

キャプションには、染付陶板(人物) 明時代(1573-1619)とあります。

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更に、もう一枚、

染付陶板(山水) 清時代(1616-1912)

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構図・フェンス・人物・橋と橋を渡る人物。全く酷似しています。

更に、年代は記録してきませんでしたが、ミュージアムショップで売られていたアンティークタイルの絵葉書の絵柄です。空に二羽の鳥は飛んでいませんがウィローパターンそのものです。

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今回のミントンの七枚のタイル、デルフトやらマイセンのシノワズリーを強く感じるワケだし、柳模様の構図もパーツも、明の時代からあった中国陶器の絵柄の“ただのコピー”であることは明らかで、イギリス発祥など議論することすらナンセンスであります。

ちなみにネットで拾ったミントンのウィローパターンのタイルです。

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学者さんが、柳模様を生産していた日本の陶器会社の歴史に、しきりと柳模様を取り入れた説明やら経緯やら絵柄を変えたのが誰かなどということを追及されたりしているが、憲法9条でもあるまいに、パクリの現場に大儀も理念もあるワケがないのであって、そんなコトを詳しく記録して残す程の優雅な現場では無いと思うのですよ。ただ売れるから作って、ここが寂しいからこれを入れて、これがジャマだから外したという事じゃないのかな。
 
 
なんてコトを、毎日が連休のオイラの庭で“すべったコロンダ”と言いながら、ナカジマセイノスケしたりの今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
 
 
 
そして、我が家の唯一の障子は、自作の「柳模様のタイル尽くし」であります。

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MINTON   TILE- CHINA  WORKS  Willow Pattern 1870

4.99ポンド(714円)で落札した割れたタイルで随分と遊ばさせて戴きました。アンティークって面白いよね。

 

 

 

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