« サトイモの葉の水玉。 | トップページ | ジョージ五世の小さな缶バッジ。 »

2016年6月 1日 (水)

神様がいたらごめんなさい。無神論の弐。

Dsc02134

誤解を恐れず言うと、オイラが神様を語るのが好きなのは、だれでも分かるようなウソだとか、インチキな論理をオチョクルのが面白いワケで、その誰でもわかるウソやインチキに依存する人間の弱さや愚かさ(おろかさ) がイトオシイ(愛おしい)わけで、おいらは無神論者だけれど、本当は、いちばん神様が居たらいいなと思っているかもしれない、はまり易いタイプかもしれない。

いわば「だれか私をスキーへ(天国へ)連れてってnote」と歌うユーミンって感じかな。???

だから、この建築のように、神様なんていないのに、神様が居るようなインチキに、難しい顔をして取り組んだ、おろかな人間の行為が、可笑しくも(おかしくも)あり愛おしいワケで、あいだみつお風にいえば、建築っていいなnoteって思うんだ。仏壇つくりも一緒だな。

名古屋市市政資料館

|

« サトイモの葉の水玉。 | トップページ | ジョージ五世の小さな缶バッジ。 »

野に咲く花のように」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/190484/63693954

この記事へのトラックバック一覧です: 神様がいたらごめんなさい。無神論の弐。:

« サトイモの葉の水玉。 | トップページ | ジョージ五世の小さな缶バッジ。 »