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2015年10月 5日 (月)

護憲派の解釈改憲。

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解釈改憲などという、安倍のとんでもないデタラメが、国会を強行突破したが、さて、安倍に解釈改憲などという手口を教えてしまったのが、実は護憲派だというのは言いすぎだろうか。

憲法九条は、戦争と武力の行使を放棄するとし、戦力は保持しない、国の交戦権は認めないとしている。

近頃は、自衛権は国際法上認められているから、自衛隊は認められるというヤカラがいるがまことにバカなヤカラで、にもかかわらず戦争と武力の行使を放棄し、非武装中立の絶対平和主義を唱えたのが憲法9条であることは、明白で、小学校高学年程度の学力があれば誰だって分かる話だ。

護憲派のなかでも、近頃は「専守防衛の範囲なら自衛隊と安保は9条に違反しない」とする人がいるが、井上達夫は彼らを修正主義的護憲派と呼んでいる。この論は、政治家としてならともかく学問としては噴飯物だ。

ちなみに、護憲派、とりわけ9条を守れ!というなら、自衛隊と安保を廃棄せよと、あいかわらず言うべきであり、近頃の、自衛隊は、なんとなく容認、事実上容認という態度は、解釈改憲そのもので、安倍並みの欺瞞的解釈改憲に他ならない。

安倍は当初、憲法改悪のため、硬性憲法の改正手続きを変え、憲法改悪のハードルを下げようとしたが、憲法改悪の意図は明白で、批判され上手くいかなかった。

その次、安倍は、閣議決定で9条の政府解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能ということにした。これは、憲法改正など経なくとも、たとえ奇想天外な解釈でも閣議決定すれば可能というデタラメなもので、立憲政治をなし崩し、憲法規範を無視する、いささか非常識な手にでたが、もうこうなると、非常識なヤツの方が強いというチンピラの喧嘩の世界で、正しいかどうかなどというのは関係ない。

さて、先日の国会で、社民党の瑞穂タンの演説を久々に聞いてスカーッとしたし、瑞穂タンっていいなと思ったけれど、しかし瑞穂タンと違い、わたしは、中国は攻めてこないとは思わないし、北がミサイルを撃ってこないとも思わないし、おとなりの韓国の人々が話せば分かる人たちだとも思わない。だから自衛隊が無くても良いなんてとても思えない。社会党・社民党が急速に支持を失ったのは、こうした現実に納得できる答えが出せなくなったことによる。

つまり我々は、いや私は、安保と自衛隊による平和の可能性を享受しつつあり、享受していると認識しているかどうかは別としてとりあえず守られている護憲派の皆さんも、きわめて大きな政治的欺瞞性を抱えているわけであります。

もちろん自衛隊は違憲であるとする原理主義的護憲論者がいれば、それはそれで生き方ですからイイと思います。

今度のことで、憲法改悪派は、改憲よりも解釈改憲のほうが楽だということを学んだ。しかもこれは、自衛隊を認め、ヘリ空母を四隻も保有するという軍事力を黙認している一部の護憲派の解釈改憲と変わらぬレールの上にあるわけで、程度の差こそあれ同じ穴のムジナなのだから。

だから、老人は、憲法9条を削除することを主張し、自衛の為の戦力の保持を当然のこととし、あくまで自衛のためであり、いかなる武力による侵略も行わないことを宣言し、国土防衛というタガをしっかりはめ、解釈の変更というデタラメを許さず、解釈の拡大というもっとも危険な手を為政者に許さない立憲主義の回復を目指すのであります。なんちゃって。

戦争の危機が本当にあるとしたら、いちばん危険なのは、歯止めの無い解釈の変更であり、安倍のようなその場限りの答弁であり、立憲主義の無視という根本的なルール違反です。

戦争という暴力の行使には、我々自身を律する憲法が必要です。

現実的な憲法の選択と、立憲主義のルールの再確認、その為にも、今回の安倍の憲法蹂躙と立憲主義の否定は徹底的に糾弾し、いまだ燻ぶっている懐古派を一掃し、健全で理性的な憲法論議を始めるべきですが、安倍のバカのお陰で、改憲は10年遅れたな。

と、今日も、老人の床屋談義に、ながながとお付き合いいただきありがとうございました。明日も日本は平和でありますように。

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