« エドワード7世の戴冠式記念バッジ。 | トップページ | 昭和の大壁面・夜景。 »

2014年11月 2日 (日)

玩物喪志(がんぶつそうし)。

 

L1014787

玩物喪志(がんぶつそうし)とは、書経の、人を玩べ(もてあそべ)ば徳を喪い(うしない)物を玩べば志を喪う、珍奇な物に心を奪われて大切な志を失うこと。

玩物喪志を、戒め(いましめ)とするなら、オイラあたりはまさにそのカッコウな標的なのだけれど。

「辞任党」のことやら、軽薄すぎるアホのアベチャンの事など怒りは御岳山の頂上ほどに蓄積しているけれど加齢のせいか、それらのコトは、オイラのアーカイブスの、どうでもいい部類のポストに分類されていくようになって、それを志(こころざし)を失った、オイラのブル転(ブルジョアに転向)、あるいは老転だ、と言うのなら笑って受け入れようと思う今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

L1014777

さて、志を失った、というのなら、たしかに、貧しい人々の為に闘う社会党の闘う代議士になりたいと思っていた小学二年生の頃よりも、お金持ちの医者になりたいと思っていた小学五年生の時よりも、革命家になろうと思っていた中学生の時よりも、役者か詩人になりたかった高校生の頃よりも、志(こころざし)はスケールダウンしていて、大人になるというコトは、志(こころざし)を捨てることであったなと今になってシミジミと思うワケで、物を玩べば志を喪うを逆説すれば、志を捨てるには物が要る、つまり、大人になると物が増えると言えなくもない。

L1014776

そして、人(ひと)の志は、大小やら高低があるわけで、人が大人になるために捨てた志の大きさだけモノの多少があるのだ、と大胆にコジツケテてみた。

ただし、この場合のモノとは、くだらない生活の品とか、とりあえずの便利グッズという物ではない。そういう物は極力かわないコトにしている。

と、上から目線で偉そうに書いてみたけれど、このブログは、「オイラひとりのオイラの王国」の御用新聞、いわば安倍チャンにとっての、ヨミウリでありサンケイなんだ、文句があるか! なんちゃって。

|

« エドワード7世の戴冠式記念バッジ。 | トップページ | 昭和の大壁面・夜景。 »

アンティーク」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 玩物喪志(がんぶつそうし)。:

« エドワード7世の戴冠式記念バッジ。 | トップページ | 昭和の大壁面・夜景。 »