« オールドノリタケ メープルリーフ期のアンティークカップ。 | トップページ | 初午祭り。 »

2013年3月14日 (木)

「歴史探訪 郡上踊り」が届いた。

たかだか、盆踊りじゃないか。そんな本を読まなきゃいけないのか?とか、その本を読んだら「免許状」がもらえるのか!とか言われそうだけれど、少し難しいところがないわけではナイが、郡上おどりの「踊り助平」だと自認する踊り助平なら読むべきだし、読んだら、踊るってことに歴史に繋がる自分みたいなものが感じられるかもしれない。

もちろん「免許状」が欲しいだけなら保存会のレッスンDVDを買った方がいいし、踊りが始まると記念館で講習会が始まるから、一度は参加して、先生と仲良しになるってのがイイと思う。講習会の先生が免許状の審査員なんだから。

L1006120_2
さてさて、今日の話題は、先日のISさんのコメントにあった、今年の初めに出たばかりの新刊書 「歴史探訪 郡上踊り」という本についてなんだ。著者の高橋教雄先生は、あの紅葉の綺麗な山門がある大乗寺のご住職で、たしか、元先生だったと思うけれど、郡上の歴史についてタクサンの本を書いておみえで、オイラが読んだものとしては「新 八幡城ものがたり」は最高で、なにより分かり易く、しかし、歴史を謳い上げたり、書き直したりというところがなくて感心したのだ。

たとえば、郡上踊りは、「いまを去ること三百年前、ときの藩主が士農工商の融和を図るため始めた」などということが良くかかれているが、これは歴史の「書き換え」というヤツで、立派にみせかけたり、権威付けを図るために書き換えられたりするってのは、観光地の案内板やパンフレットによくあることだけれど、歴史家は観光バスのバスガイドではないんだから、冷静に歴史の事実だけを語るってことが大事で、「新八幡城ものがたり」を書いた高橋先生は「郡上八幡の知性」だなってファンになったのだ。

今回の「歴史探訪 郡上踊り」では、高橋先生は、まさに、、郡上おどりの歴史の書き直しを訂正すべく、多くの紙面をさいておられるのだ。

士農工商の身分制度の厳しい時代は、百姓が3人集まれば一揆かと疑い、町人が輪になって踊れば謀反かと疑ったわけで。封建制度の時代に、百姓や商人が集まって踊るなどという事は、武士にとっては脅威で、いつ一揆に代わるやもしれない危険な行為で、だから権力は、なんども郡上おどりを禁止したり規制したりしたわけなんだ。

郡上おどりが「藩主が士農工商の融和を図るため始めた」ような、のどかなものなら「郡上一揆」は起こらなかったわけで、郡上おどりは、権力の側の禁止や抑圧にもかかわらず、郡上の町の衆の遊びごころで、郡上の若い衆の元気の良さで、郡上の百姓のど根性で、続いてきたものなんだ。

それでは、毎度、郡上踊りの最後に踊る「まつさか」の「三百年の 昔より 士農工商 おしなべて 泰平祝う 夏祭り」という歌詞は間違いなのか? そうです、間違いなのです。

もちろん、そこには郡上踊保存会設立当時(大正12年)の社会情勢やら、武士の亡霊が警察官の制服を着たような、封建的な警察署長の許可を取るための、苦肉の策の設立趣旨書の一節が、一人歩きしたってコトがあるのだと思うが。

さてさて、そんなこんなが詳しく冷静に書かれた「歴史探訪 郡上おどり」、踊り助平ならシーズンオフの今こそ読んでおきたい一冊なんだ。

「歴史探訪 郡上おどり」は、「郡上八幡屋」という特産品通販サイトで買える。オイラ、土曜日にネットで注文したら月曜日には届いた。オイオイ、最近は、郡上八幡産業振興公社もアマゾン並みだなって、仕事の速さに驚いたんだ。

踊り免許取得の必須品の保存会のレッスンDVDもここで買ったんだけれどね。

|

« オールドノリタケ メープルリーフ期のアンティークカップ。 | トップページ | 初午祭り。 »

郡上踊り」カテゴリの記事

コメント

なるほど、徳を以て治めていた訳じゃないんですね。私も俗説にすっかりだまされていた口の一人です。「三百年の昔より~」では青山の殿様はおろか、加納の戸田家が城の受け取りに出向いた遠藤氏の治世まで遡る事になりますものね。 「封建的な警察署長の許可を取るための、苦肉の策の設立趣旨書の一節が、一人歩きしたって~」・・・実はこれと同じと言うか、もっと大きく世間をたぶらかしている俗説に「敵に塩を送る」と云うのがあります。よく、松本街道の塩市(飴市)に絡めて語られるのですが、この故事、実は十八世紀に突如として人口に膾炙されるようになったもので、その真相は「犀川通船」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%80%E5%B7%9D%E9%80%9A%E8%88%B9 の営業許可を取り付けるための宣伝工作だったと松本市史だったか何かで読んだ記憶があります。あと、貞享騒動の城が傾く逸話なんかも明治に入ってからの戯曲が元ネタだし、この世の中、偽りの歴史の刷り込みが結構幅をきかせていたりしますね。

投稿: ヤマイヌ | 2013年3月18日 (月) 23時01分

郡上骨董界の巨星・青山二郎は魅力的で白州正子や小林秀雄との交流は「高等遊民」の日常そのもので憧れです、青山二郎は、郡上一揆で金森氏が改易された後、郡上に入部した青山氏の末裔です。
青山氏の末裔には、香水ゲランの「ミツコ」のクーデンホフ ミツコなどもいるのですが。
金森氏の後、郡上に入部した青山氏は、決して手綱を緩めたわけではなく、厳しい藩の財政事情やら幕府の「改革」に合わせて更に厳しい取立てやら規制を行うことになります。
青山氏の時代にも、郡上踊りは何度も規制が行なわれます。
「歴史探訪 郡上踊り」によれば、青山氏は家中の、つまり武家の妻子・召使まで含めて「盆中町方踊り場へ罷出(まかりいで)、相交(あいまじわり)踊り候ニツキ御扶持被召放」などの禁令をたびたび出し厳しく取り締まり、処分も行っています。
郡上一揆の後、融和のために「郡上踊り」を奨励したなどという事実はありません。

さて、そんなこんなではありますが、夏の初めに東京青山では、多くの人が「郡上踊り」を踊ってくれます。青山の地名の元である青山の殿様を偲んで、そして権力が抑えて抑えきれなかった、郡上踊りのパワーが東京青山で炸裂します。
郡上一揆の百姓の物語り「ヤッチク」が生歌で江戸の空に響きます。籠訴・直訴もかなわずに獄舎に繋がれ、刑場に消えた百姓の悲痛な物語りが江戸の空に響きます。痛快です、鎮魂です。
そして、ようやく「士農工商おしなべて泰平祝う夏祭り」が実現したのです。

投稿: IWANA | 2013年3月20日 (水) 08時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「歴史探訪 郡上踊り」が届いた。:

« オールドノリタケ メープルリーフ期のアンティークカップ。 | トップページ | 初午祭り。 »