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2011年9月10日 (土)

死の街と言って。

20110910l1001570さて、「死の街」と言った大臣が、訂正してお詫びした。「死の街」という表現は、文学的によく使われる至極普通の表現ではある。

ならば、あの街は希望に溢れた街と言えるのか。何年か先には普通に戻れる街なのか。

あの街は、もう戻れない街で、原発に殺された街で、無責任な「科学的根拠」に殺された街なんだ。

「死の街」と言った大臣の揚げ足をとる政治家、みずからの責任を転嫁して「死の街」に怒ってみせる知事やら町長。

大切なのは、もう戻れない街で、「死の街」であるという認識を共有して、人々の生活をどう再建するか、という事なんだ。

政治で放射能の除染は出来ないんだよ。

「戻れるようにして欲しい」という人々に「戻れるようにする」という無責任。

おどろくべきは、汚染した土を福島の「県外」で処理するなどと言う政治家、まるで鳩山の米軍基地の沖縄県外移転の再来。

原発周辺の放棄と、各地の除染により出た汚染物質は原発周辺に集積して「国土」を放棄するしかないんだよ。なぜ、それを言う国士が居ないのだ。

「東北の野菜は」と言った学者が集中砲火を浴びた。事実を見ずに風評と同情してみせるマスコミの無責任。同情と放射能は別物なんだぜ。

被害が「風評」であったり、あの街が「そのうち戻れる」なんてデタラメを言っているうちは、被災者は「なま殺し」なんだぜ。

東電には、福島県民は「ダム移転」並みの補償を要求して当然だし、政治家はその先頭に立つべきではないのか。

さてさて、明日は原発事故から半年。

9.11脱原発アクションウィークが全国で行われる。

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