あれから。
この頃、久しぶりに会う友人が、怒りっぽくなっていたり、随分と短気になったなって感じた事が何度かある。
今日読んだ小説の老人は、昔、娼婦だった連れあいをくさしながら、言葉のはじめに「けっ」と発して毒ずくのだったが、この「けっ」に近い言葉を、最近あったAからもBからも聞いた。
面白くない、つまらないとボヤキながら、他人の事は「けっ」と馬鹿にしながら受け入れないのだ。そして、「そんなもの!」と「他人の事」は見下しながら、何も「面白い」ものが見つからず。おいてけぼりの自分をまた「けっ」と悲しんでもいるのだと思う。これは老化だと思う。
還暦を迎えた様な男が、議論で変わるわけもなく、また殴り合って闘う若さも友情もないわけで、これは離れていくしかないのだけれど、若いころなら兎も角、互いに感受性も鈍化しているから、付き合いはダラダラと続くわけで、まあそんなこんなで自分もまた仲間らしき付き合いの輪にとどまっているのだけれど、実は、こうしてまた友達も去り、世間も狭まっていくのだと思うと寂しい。
「けっ!」
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コメント
頭と心の柔軟性は何時までも持って居たいものです。
でも耳が遠くなってくると、少しの聞き取りで自分の経験則で勝手に判断してしゃべるので、益々会話が成立しなくなる(我が夫の事に起こっている現象)
目・耳・鼻の全てが整っていてこその柔軟性なんでしょうねぇ
柔軟性を持って、人生何時までも楽しみましょう
投稿: boss | 2010年9月29日 (水) 07時09分
boss様、人間は、心だけでも何時までも柔らかくないといけないよね。
でも、心が柔らかくあるためには、身体がいう事きかなくてはイケナイですね。
適度に働いて、楽しく遊んで、上手に健康を守りましょう。
投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2010年9月29日 (水) 18時10分