硝煙の香消えうせて
欧亜の山河に春来れど
ローマアテネに比ぶべき
ロゴスの憧れ涸れ果てて
濁れる黄河の水を汲む
たたずむ遊子に愁ひ濃し
愛知大学寮歌
さて、今日は、38年振りの卒業式。早咲きの桜が冷たい雨に打たれて凍えそうななか、団塊堂も、有給休暇を頂いて出かけてまいりました。我が愛知大学の2009年度第63回学位記授与式(卒業式)と昭和47年卒業式。つまり本年の卒業式と、学園紛争で行われなかった昭和47年の卒業式をあらためて行うという卒業式が行われた。
思い起こせば昭和47年は、すでに学生運動は終焉を向かえていたのだけれど、我が愛知大学には、名古屋校舎での日本共産党による暴力襲撃事件があり自治会の分裂、教授会の分裂による学長不在という状況があった。
これは、日本共産党支配下の民青系の学生が支配していた自治会が自治会役員の選挙の公示を忘れるという失態を犯し、その虚を突いたノンセクトと反日共系学生による自治会執行部が成立してしまうという「闘う執行部」事件があった。
かつて日本共産党の牙城といわれた愛大名古屋の学生自治会がノンセクトと反日共系学生に取られたと、危機感を抱いた日本共産党は他大学の学生、労働組合まで動員をかけ、夜陰に乗じて暴力をもつて襲撃、クラブハウスで夜間まで残っていた一般学生を包囲し襲撃するという事件が起きた。ほとんどヘルメットもゲバ棒など持たぬ学生にヘルメットとゲバ棒で民青・共産党が襲い掛かるという事件だったが、当時、盛んに「暴力学生」と学生運動に敵対していた日本共産党が、実は欺瞞の党であり、極めて暴力的な党であるという事を示した事件だけれど、悲しいかな非力な学生自治会は民青の暴力に一時的に屈することとなる。
なんて事を書いたけれどその晩の団塊堂は、名古屋・栄のモンシェルで千恵ちゃんとデイト、千恵ちゃんは残念ながら全くのノンポリでむしろ学生運動など馬鹿にしているタグイの馬鹿女。団塊堂もその晩はJUNのコンチネンタルのスーツで決めて、千恵ちゃんときたらビックリするような付けまつげにマスカラのカルメン・マキ。ナニヤラかみあわないデートで、その後あえなく振られた訳だけれど。とにかく、そんなこんなの青春の蹉跌だったりしたわけで。
というわけで、世間では既に、学生運動の季節は終わっていたのだけれど。大学内では、民青の暴力襲撃を正当化する教授と事実を直視しようとする教授の対立が続き、事件の総括が出来ないまま、学長も不在で卒業式が出来なかったのだ。
だから、卒業式が我々の(オツト!)運動によって出来なかったというのは正しくないのだ。卒業式には反対などしてはいなかったのだから。
さて、蛍の光など歌うと、還暦のジジイでも、ウルウルとしてしまうものなのですね。卒業式はいいものです。
中国大陸の東亜同文書院や外地の帝大から引揚げた教授と学生により設立された、最後の旧制大学であり戦後の初の新制大学でもある愛知大学は中国への留学生も中国からの留学生も多い。
美しい民族衣装の中国人留学生が首席で学位記を受け取る姿などいかにも愛大的ではある。
さてさて、還暦の卒業生。二千数百人の卒業生のうち物故者が70人。多いというべきか少ないと感じるか。
卒業式の様子はテレビニュースでも流されたが、それを見た家内の感想。「ちょっと!みなさん老けすぎじゃない?あの女性の首、シワシワだけど、わたしはアンナじゃないよね?」って、あんたも同じ!って言わなかったけれど。そうだろ!オイラが如何に若々しいか分かったかよ!って言ってやった。
さあ、みんな、もうすこしがんばるか?!
ツボイノリオの「聞けば聞くほどブログ」
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