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2009年11月21日 (土)

明治の華・横浜SATSUMA千顔のデミタス。その弐

091118_005 明治維新といわれる混迷の時代に、日本各地の諸窯では華麗な陶磁器が盛んに製造され、諸外国に輸出された。主な消費地であった欧州では、それらを「SATSUMA」と総称して嗜好されている。

本薩摩と呼称される薩摩焼の窯地は、主に鹿児島市内多賀山近辺の堅野系といわれる諸窯と、苗代川系といわれる諸窯であった。

「SATSUMA」の前提は、いわゆる「薩摩焼」とイコールではなく、それらは最初にも触れたが、幕末から明治時代にかけて製造された日本各地の輸出陶磁であった。したがって輸出されなかったり、輸出できなかった遺品を「SATSUMA」と呼称するわけにはいかない。

「SATSUMA」の産地は主流の鹿児島、京都を筆頭に東京・横浜・大阪・神戸と諸外国に開港された都市にあり、後には金沢、美濃も加わった。

           引用 幕末明治の薩摩(SATSUMA)焼 大森一夫著

091118_004_2 本品の横浜「SATSUMA」の発祥は、明治3年ころ京都の宮川香山が横浜南大田の富士見台下に窯を開設した事によるが、明治8年ころ本町通りに店を構え相生通りに工房を開設した井村商店は明治10年代には職工200余名を擁し外国人の好みの意匠を取り入れた陶磁器で大いに繁盛したという。ほかにも中村屋や鎮導商店などが店を構え明治18年ころにはおよそ400名だった製陶関係者は明治25年ころには600名に増加した。

さて、小さなデミタスの内にも外にもソーサーにも、狂おしいほどビッシリと人物が描かれている。ポーダーは櫻の花のようである。人物の華やかな衣装といいまるで元禄花見模様ではないか。茶溜りには金彩で龍が描かれている。千顔というが果たして何人の人物が描かれているのやら、薩摩焼ならさしずめ「人物風俗文洋茶碗」と呼ぶべきか。

樋口一葉の「うもれ木」の書く、SATSUMA絵付け画工の心意気、「天晴道(あつぱれみち)の奥を極めて、萬里海外の青眼玉に日本固有の技芸の妙、見せつけくれん。」職人の心意気が、デミタスの小さな面にびっしりと巡ってナカナカであります。091117

Satsuma 1000 faces Demitasse cup and saucer

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コメント

我が沿線に宮川香山の美術館が有り、眞葛焼でとても有名だそうです。
先日も友人が鑑賞に行って来て良かったと
私も来月には行こうかと思っていたところです。
又違った思いで見る事が出来そうです。

投稿: boss | 2009年11月23日 (月) 17時32分

boss様
お帰りなさい。横浜の輸出陶器は、横浜の開港記念の展覧会でも紹介されていたようです。帝室技芸員の眞葛香山は、凄いです。でも、明治独特のグロもあってナカナカです。
ちなみに三渓園の原三渓は、たしか岐阜郊外の柳津(やないず)の出身だったと思う。

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2009年11月23日 (月) 20時47分

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