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2009年6月27日 (土)

高山市民は、東京都民より大阪府民より香川県民より偉いのだ。

090627_003 大きい方が偉いという考え方があるのなら、東京は大阪より大きいから偉いと思う。であれば、平成の市町村大合併で、岐阜県の高山市は、東京都よりも大阪府よりも、四国の香川県よりも大きくなって偉くなったのだ。近頃、調子こいてしまっている大阪の橋下君も、いまさらオリンピックの石原君も、少しは大人しく静かに高山市民にはコウベヲ垂れるべきだと思う。なんちゃってな今日この頃なのだ。

H21年の面積

高山市 2,177.67 K㎡

香川県 1,862.29 K㎡

大阪府 1,897.86 K㎡

東京都 2,102.95 K㎡

さて、そんな小学生みたいな問答を車の中で考えてみたりしつつ、今日も飛騨高山の荘川への釣行。09年 荘川・庄川 釣果 釣況などというキーワードで当ブログをお尋ねいただく例も結構あるようで。

カラ梅雨のお陰で、増水もなく、平水で川は極めて釣り易い状況。魚影もあり、団塊堂、今日も二桁の釣果。

先週の釣行で一色川との出会いの橋の下にカナリの魚影を確認して今日は朝一番ここを攻めるが。リリースサイズのアマゴばかり、大物はウグイ。餌入れ一杯のイクラを消耗して谷へ移動。お目当ての淵には先日の雨で大きな流木。仕掛けを手前から流し込みながらの釣り。岩魚の大物三匹をゲット。その後小さな落ち込みを探りながら、アマゴ混じりで二桁達成。勿論、その数倍をサイズ不足でリリース。片手に釣竿・片手にデジカメのピンボケ写真で失礼。

都道府県の面積

http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200904/opening.htm

090627_001

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2009年6月24日 (水)

センス・オブ・プロポーション。

090623 お金を使うときは「身の程を知ること」あるいは「身の丈にあった使い方」が大切だと私は思っています。それも「自分らしさ」の一部なのです。

見栄を張って分不相応な買い物をする人は、あまり上品には見えません。お金の使い方にインテリジェンスが感じられないのです。

何にどれくらいのお金を使うのが「程よい」のかは、人それぞれです。収入によって、あるいは人生観によって、何に幾らくらい使っていいか、という線が決まります。

その「程のよさ」を知る平衡感覚「センス・オブ・プロポーション」といいます。「比率感覚」とでも訳したらいいでしょうか。

                  林 望 「帰宅の時代」

090623_001 団塊の良識・林望先生は、「自分らしく」暮らすための十カ条の、第七カ条 “身の程を知れ”のなかでそう説いて、昨今の不景気を、我々日本人がバブル期の成金趣味を脱し、抑制の効いた「身の丈に合った」お金の使い方を考える良い機会であるとしています。

さて、団塊堂の暮らしの「物」のホトンドをネットで晒した当ブログ、物欲の浅ましさを晒した様で。匿名だからといって始めたものの、近頃では、友人にも知れわたり、恥さらしのソシリを恐れつつ、しかし俺ってどうよ?って、「自分サラシ」の居直りの今日この頃、団塊の皆様いかがお過ごしでしょうか。

林望先生は、“私は、敢えて「清貧」ではなく「清富」でありたいのです。”と結んでおられますが。

たしかに、貧というには無理があり、富と言うにはマズシ過ぎるけれど、ここいらを富と感じる「程のよさ」こそ大切なのではと近頃思うのです。

090420_002 さて、季節は完全に真夏、「多治見のやまちゃん」に於かれましては、近頃、激務による檄痩せのご様子、命あっての人生ですぞ!とりわけ第二の人生では。

「大曽根のNさん」におかれましては相変わらず波乱万丈の毎日、生きるのに精一杯と言いながら逞しい貴兄、しかし、我々に平安の日々は訪れるのでありましょうか。

「東京のTさん」に於かれましては、相変わらず現役モードで、世の中という奴に怒りながら、アグレッシブに生きる姿に感動しつつ、もうそろそろ良いのではないかと思ったりもするのです。

「春日井のNさん」におかれましては、いよいよ故郷へのUターンを決意のご様子、貴兄も小生も互いに田舎者なれば、決してコンクリートやアスファルトの上に生まれたのではなく、土の上に生まれたのであります。土を耕しながら生きる、緑に水を遣りながら生きる。本当の生きるという事を教えて欲しいものであります。

さてさて、昨今の不況のなかで、団塊堂の仲間の誰もがオボレそうであります。50メートルの平泳ぎの最後の15メートル辺りでありましょうか。苦しくて溺れそうであります。でも、チカラを抜いたら人間は水に浮く物であります。とりわけメタボな我々は。

後は、タカダカ15メートルであれば、適当にタダヨイながらまいりましょう「1048様」。貴兄なんぞ飄々と、結構スマートに生きたのじゃないか? “程のよさを知る” 若い頃から、貴兄はまさに、そうだったから。

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2009年6月20日 (土)

高原のドライブ。

Hirugano_002 ときどき、意味も無く車を飛ばしたい時があって、そんな時、釣りは格好のお題目となって、実は釣りの往き帰りの独りのドライブはストレス発散には最高で、独りゴチながら、ジャズオルガンなんぞを思い切りボリュームを上げて聴くというのは団塊堂の密かな楽しみなのであります。車のボデイをビリビリと震わせてドンシャリのオーディオ鳴らすなんぞ暴走族の様でもあり下品ではありますが、独りのドライブは下品なドンシャリのチューニングが結構クールでイカスのであります。

さて、本当のところ今日は釣りにかなり勢い込んで出かけたのでありますが、家内に頼んだ餌のイクラが新鮮過ぎたのか、安物だったのか、針に付けてもポタポタと落ちてしまって釣りにならなかったのであります。思えばこの前、釣りに来たのは一年以上前の事であります。餌のイクラは、一度、冷凍して解凍すべきでありました、更に片栗粉にマブシテおくべきでした。ポタポタのイクラを岩の上に並べて風に当ててみましたが、解決いたしません。そんなこんなでボーズでありましたが、それでも帰りしな年間の鑑札をタイマイ五千円を叩いて購入するあたり、なんと紳士な釣師の団塊堂でありましょう。それもこれも橋の上から見た荘川は結構魚影が濃かったからであります。

わが愛車、今や潰れた会社のクライスラーの、スピーカーは確かボーズなのであります。これがイケナカッタのかもしれません。登り坂の往きは高速、帰りの下り阪は下の道というのが、団塊堂の考えるエコドライブ、高山市荘川町からの帰りは、蛭ヶ野高原から「奥美濃やまびこロード」という団塊堂お気に入りの快適な山道があります。

この山岳道路の緩やかなカーブが極めてタンゴ的なのだというのが今日の発見であります。少しブルーな今日この頃の団塊堂、ひさびさに香坂優の“抱きしめてタンゴ”など大音響で掛けてみたのです。これがナカナカ良いのであります。タンゴの緩急と山岳道路のカーブでのアクセルワークがピッタリなのであります。そして今の私のブルーな気分とも。

電話をくれれば カギは開けておくわ

淋しいあなたを 慰めてあげる

人生のウサを 私の胸に 落としてお行き

                          A MEDIA LUZ

Kohsaka

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2009年6月17日 (水)

「アンティークな椅子の時間」

Chairs_004 時間は流れなどせず、物質の存在自体が時間そのものなのだそうだ。(中略)おそらく時間には「物理的時間」と「人間の時間」とがあるのであって、ならばひとはひとの作り上げた「人間の時間」をもっと誇ればいいのだ。

 ある、蕎麦屋のご主人の言葉だけれど、いまひとつしっくりいかないところがあって、どう読み替えようかと、先日から考えていて、いまもしかし、いいフレーズを思いつかない。

「時間は流れなどせず、物質の存在自体が時間そのものなのだそうだ。」 つまり流れのなかの大石の様に、大石の存在によって流れが認識される様に。

置かれた、時代物の椅子の、存在自体が時間であり、「自分の時間」との差異こそが「時の流れ」というのではないか。

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2009年6月13日 (土)

エルボーグリース。

Chairs_002 「イギリスでは椅子にはエルボーグリースがいちばんというんです」。

エルボーグリースとは肘の脂。どんな油で磨くよりも、日常的に使ってやることに勝る手入れはないというのだ。

この言葉の背景には、人と過ごした親密な時間の記憶が椅子をより美しくすることを熟知している文化の存在がほの見えはしないか。        Stylebook on Antique Chairs

さて団塊堂、今日は突然、椅子磨きを思い立って、椅子のワックス掛けをしたのであります。先のブログで話題にした、リベロンのアンティーク家具用のワックスであります。黒水牛の脂ですからケダモノ臭があります。

この、アフリカの椅子など仕上げはプリミチブでツヤなど意識してつくられていませんからザラツイタ表面には埃が目立ちます。ワックスでシットリと艶を与えると彫刻が見違えるように活き活きとしてきます。

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2009年6月 9日 (火)

PRATT GRECIAN LANDSCAPE  CUP & SAUCER

Pratt_001 今回も、イギリスの古い風景画のカップであります。五月にアップしたランドスケープのカップと同じ様な絵柄にひかれて購入した物で、いずれもノーマークの為、二つを比較することで何かが見えてこないかと期待したのだけれど。

Pratt_003 いずれも画のテーマは、以前のブログで書いたように、グランドツアーの影響を受けたギリシァ・ローマ風の廃墟趣味の景観画。以前の物は手描きだったけれど今回は転写。以前の物はボーンチャイナだったけれど、今回は磁器では無く、叩くと鈍い音がする陶器。色も白が足りない。コンディションはとてもよい。さて、送られてきたカップを見て、土が古い、いや予想以上に古いものではないかと小躍りする団塊堂。

ポーターのデザインやら景観画のテーマをもとに、まづ、あたりをつけていたのが、ウェッジウッドの初期の物、少なくともスタッフォードシャーのウェッジウッド周辺の物ではないかと妄想しておりました。1773年、ジョサイアウェッジウッドがロシアのエカテリーナ2世に納めたクイーンズウェアー・フロッグサービスに近い物。クィーンズウェアというには土が悪い、という事はそれより古い物ではないのか? 妄想は天馬のごとく団塊堂の小さなテーブルの上を駆け巡ります。

Pratt_002 さて、転写だから、スポードが銅板転写を発明したのが1784年でありますから、年代がそれ以前という事は消えます。この転写、カラーであります、転写紙が多色刷りされていて、画の左右には版毎の位置あわせの為の点が付けられています。今なら画の外にトンボを入れるはずですが、極めて初歩的な印刷方法であります。ますます、古い物に思え18世紀末という期待が盛り上がります。またまた貴重な物がコレクションに加わったと。

さてさて、なんていう妄想の天馬に鞭打ちながらネット駆け巡りつつ、辿り着いたのがイギリスのスタッフォードシャーのPratt社の物ではないかという推測であります。

Pratt社を検索していて面白いコレクターアイテムを発見しました。1850年代のイギリスの整髪料などの、陶器で出来た容器をPOT-LIDSというのだそうですが、この瓶の絵柄が、今回のカップの絵柄と同じ手の物なのです。

Potlids ポットリッドのコレクターの方に教えて戴いた情報では、「Pratt社はイギリスで1820年頃から1920年頃までpotやlidを製作していた会社ですが、1920年にCauldon Potteries社に吸収され、Cauldon社もCoalport社を経て最終的にはWedgwood社に吸収されてきた経緯があるようです。」という事です。

オット ! ところで当時のイギリスでは、熊の油がジェントルマンの整髪料だったそうで!

Pratt そういえばバウワーのコートのオイルコーティングはアザラシだかオットセイの油だったかで、ケダモノ臭が強くてとてもこれを着て暖房の入った電車やバスには乗れない品物だったし、アンティーク家具の手入れに欠かせないリベロンのワックスブラックバイソンの油だし、ソノウエ整髪料が熊の油だなんて、英国紳士はケダモノ臭ふんぷんであります。ベットの上でケダモノと呼ばれるのは男の勲章だとしても、電車やバスのなかでケダモノと呼ばれるなんてシャレになりません。

Pratt_005 バックスタンプの123という番号から製作年代は1860年前後時代は、19世紀後半という事でどうでしょう。

  • Item: Antique Prattware Cup & saucer
  • Age: Late 19th Century
  • とはいえ、バックスタンプが無いので、お手上げのIWANAでございます。

    追伸。

    このNo 123 こそPratt社の窯印なのだという情報を戴きました。団塊堂かなりスッキリと致しました。

    つづき!!

    今回のブログには、メールで色々と情報を戴いています。

    ポットリッドコレクターの方から戴いた資料の情報では、Prattがウェッジウッドに吸収されてからPrattの版を元に焼かれた物の様で時代は少し若くなるようです。資料の写真のキャプションに従ってタイトルを変更させて戴きました。

    たかだか数千円のカップではありますが、昨夜からアアダこうだと、色々な人と沢山メールの遣り取りをしています。 

    団塊堂、今夜もアアダ・コウダと語りながらシ・ア・ワ・セであります。

    つづきのつづき!!!

    さて、またまた識者からのメールが来ました。どうやらトドメの様です。

    製造がウエッジウッドに吸収後ということは、あり得ません。
    1891年以降は、ENGLAND を書き込まないと関税法に触れるんです。
    しかも英国の関税法って、重罰なんですよ。
    さらにコウルドンがウェッジウッドに吸収される頃は、
    植民地独立問題もあり、MADE IN ENGLANDが必要。
    世界中に販路を持つ「輸出業者」のウェッジウッドが
    ENGLAND を書き込まなかったことは1891年以降一度もありません。
    従ってこのプラットは、1890年以前、それ以後はあり得ないのです。

    今夜は、団塊堂とても充実の夜であります。

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    2009年6月 3日 (水)

    マルコス麻生のクールビズ。

    毎年この時期になると、小泉以来この国の大臣様ご一行が、沖縄の“かりゆしウェア”を着るけれど、さてこれを着ている人、つまり一般市民など見たことなど一度も無いなと思ったら、いいかげんにしろバカ野郎・小池百合子!と今夜も怒りに燃える団塊堂であります。

    Kaliyushi_002 さて、この写真でまず、笑って戴きたい。麻生自民党総裁を以前から誰かに似ていると思っていたけれど、この麻生の“かりゆしウェアのクールビズ”姿でようやく判ったのです。あのフィリピンのマルコスではないか!そっくりではないかというとマルコスと麻生を比較するなんてマルコスにとても失礼かもしれない。

    Kaliyushi_001 さて、ソノウエに、舛添の“かりゆしウェアのクールビズ”姿など貼り付けたら、この国は、ほとんどフィリピンではないかなどと、随分フィリピンに失礼な譬えだけれど、なにもかも無茶苦茶で、とりわけ政治家が無茶苦茶で、相変わらず愛すべき娘たちを世界の夜に輸出したり、中東の工事現場に男たちを輸出している、政治が駄目なアノ国を連想してしまうあたり、自民党の今日はフィリピン並みだと言ってさしつかえないと思う。が、何か?

    極めつけは、自民党の細田幹事長様。ブルーの開襟の、かりゆしウェアに、赤いネクタイをして腐ったウンコみたいな上着を着て現れたりするから、マジで団塊堂飛び上がってしまいました。いくらなんでもソレはないでしょう。ほとんど狂気ですよ自民党幹事長の細田って。

    団塊堂は、ファッションについては、厳しい見方をしていて。ファッションをバカにする奴は馬鹿だと思っていて、「見た目」はその人間が持つ「総合力」が現れていると思っていて、あたかも自民党の見識のごとく登場してコメントする細田というのは、ほんとうは、あのトンデモナイデタラメな“かりゆしウェアのクールビズ”姿の様に人格が破綻していると感じてしまうのです。そして麻生も舛添も自民党もフィリピン並みだと直感し、その判断は正しいと、間もなく還暦の人生を省みて思うのてす。

    できれば、麻生様にも舛添様にも、その“かりゆしウェアのクールビズ”姿で、日本中を選挙演説に飛び回って戴きたいと思う。麻生政権の本質がとても良く伝わっていいと思う。そして自民党に任せていたら、そのうち日本もフィリピンだよと、御バカな自民党支持者の皆さんにも判って戴けるとおもう。

    さて、さすがの自民党も、麻生では選挙を戦えないので、次は石原ノブテルだそうです。都合が悪くなると、どんぐりの様に目を吊り上げて黙ってしまうオボッチャマの石原君だそうです、世も末であります。北の世襲を笑えません。

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