ダヴェンポートの伊万里風カップ。
Davenport founded a ceramic factory Longport (England) in 1793 which operated until 1882.Certain marked pieces from the first half of the 19th century.are still extant. The Derby style predominated,with richly gilded rims and naturalistic flowers and fruits being characteristic. (Directory of European Porcelain)
ダヴェンポートのロンドンシェイプのカップです。ダヴェンポートの最も代表的な模様である“大胆にアレンジされた派手で大きめな植物文様”と、そして日本の伊万里の模倣。ダヴェンポートのみならず19世紀中頃の英国磁器の代表的な作品といえる。と、ここまでは、和田泰志先生の青い本“アンティーク・カップ&ソーサー”の56ページのダヴェンポートのカップの解説を引用しつつ、この解説にぴったりと嵌ったと思われる、団塊堂のホームランのダヴェンポートの伊万里風カップの御自慢であります。
裏印の時代は、1815-1825年。およそ200年前の物といいますから立派なアンティークであり、なおかつコンディションも最高で、ミントコンディションであります。
和田先生によれば、このような「イマリアレンジ」はリージェント時代(ジョージ四世摂政時代)の1811~20年、ジョージ四世国王時代の1820~30の英国磁器の特徴です。
また「ロンドンシェイプ」は1825年を過ぎると「フレア・タイプ」といってラッパ型に口が開いてきますので、このダヴェンポートの製造年代は遅くとも1825年までです。また窯印のブラウン・アンカーは非常に古いマークで、めずらしい物です。青い本の57ページ、52番にこのマークの写真があります。
ダウェンポート社の歴史については、和田泰志先生のマンダリン・ダルジャンのホームページに極めて詳しく書かれています。http://www.antiquecup.com/museum/davenport/davenport.html
右の写真はダヴェンポートの創始者John Davenportです。
ジョン・ダヴェンポートは1765年、リークのダービー・ストリートに生まれた。六歳で父を失ったジョンは、未亡人となった母を助け、貧しい家計を支えるため、すぐに小学校を辞めて働きに出た。十代の頃は銀行勤めをしていたとされる。
1785年、二十歳でリヴァプールのトーマス・ウルフが経営する「イズリントン・チャイナ・ワークス」に入り、三年後には共同経営者となった。ダヴェンポートはここで窯業の経験を積むとともに資金を蓄え、1794年にロングポートの陶器工場「ユニコーン・バンクス」を買収した。この工場はロングポート初の陶窯で、1773年からジョン・ブリンドレイとジェイムズ・ブリンドレイの兄弟が経営していたものである。 (引用 マンダリンダルジャン美術館HP)
さてさて、John Davenportは、産業革命のイギリスの立志伝中の人物なのです。そしてダヴェンポート社は最盛期には1400人の従業員を擁し、更にインド、アルゼンチン、ペルーにまで支社を出していたイギリス最大の窯業メーカーであったのです。
当時のイギリス労働者の悲惨な状況は、やがてマルクスの資本論を生む事になるけれど、上記のアドレスの、和田先生のマンダリンダルジャン美術館に詳しく描かれている。
余りにも残酷な背景をかかえながらも美しい。200年も前のものが、かくも美しくあり、しかし、さて、使われた事はほとんどなかったのだと思うと悲しい。
さてさて、大陸では、ベートーヴェン、ナポレオンの時代に、美しいカップが英国にあったことを、しっかりとお伝えして、本日のブログの〆とさせていただきます。
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