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2009年2月25日 (水)

ダヴェンポートの伊万里風カップ。

Davenport_006 Davenport founded a ceramic factory Longport (England) in 1793 which operated  until 1882.Certain marked pieces from the first half of the 19th century.are still extant. The Derby style predominated,with richly gilded rims and naturalistic flowers and fruits being characteristic.   (Directory of  European Porcelain)

ダヴェンポートのロンドンシェイプのカップです。ダヴェンポートの最も代表的な模様である“大胆にアレンジされた派手で大きめな植物文様”と、そして日本の伊万里の模倣。ダヴェンポートのみならず19世紀中頃の英国磁器の代表的な作品といえる。と、ここまでは、和田泰志先生の青い本“アンティーク・カップ&ソーサー”の56ページのダヴェンポートのカップの解説を引用しつつ、この解説にぴったりと嵌ったと思われる、団塊堂のホームランのダヴェンポートの伊万里風カップの御自慢であります。

Davenport_001 裏印の時代は、1815-1825年。およそ200年前の物といいますから立派なアンティークであり、なおかつコンディションも最高で、ミントコンディションであります。

和田先生によれば、このような「イマリアレンジ」はリージェント時代(ジョージ四世摂政時代)の1811~20年、ジョージ四世国王時代の1820~30の英国磁器の特徴です。
また「ロンドンシェイプ」は1825年を過ぎると「フレア・タイプ」といってラッパ型に口が開いてきますので、このダヴェンポートの製造年代は遅くとも1825年までです。また窯印のブラウン・アンカーは非常に古いマークで、めずらしい物です。青い本の57ページ、52番にこのマークの写真があります。

ダウェンポート社の歴史については、和田泰志先生のマンダリン・ダルジャンのホームページに極めて詳しく書かれています。http://www.antiquecup.com/museum/davenport/davenport.html

Davenport_001 右の写真はダヴェンポートの創始者John Davenportです。

ジョン・ダヴェンポートは1765年、リークのダービー・ストリートに生まれた。六歳で父を失ったジョンは、未亡人となった母を助け、貧しい家計を支えるため、すぐに小学校を辞めて働きに出た。十代の頃は銀行勤めをしていたとされる。
 1785年、二十歳でリヴァプールのトーマス・ウルフが経営する「イズリントン・チャイナ・ワークス」に入り、三年後には共同経営者となった。ダヴェンポートはここで窯業の経験を積むとともに資金を蓄え、1794年にロングポートの陶器工場「ユニコーン・バンクス」を買収した。この工場はロングポート初の陶窯で、1773年からジョン・ブリンドレイとジェイムズ・ブリンドレイの兄弟が経営していたものである。 (引用 マンダリンダルジャン美術館HP)

Davenport_007 さてさて、John Davenportは、産業革命のイギリスの立志伝中の人物なのです。そしてダヴェンポート社は最盛期には1400人の従業員を擁し、更にインド、アルゼンチン、ペルーにまで支社を出していたイギリス最大の窯業メーカーであったのです。

当時のイギリス労働者の悲惨な状況は、やがてマルクスの資本論を生む事になるけれど、上記のアドレスの、和田先生のマンダリンダルジャン美術館に詳しく描かれている。

余りにも残酷な背景をかかえながらも美しい。200年も前のものが、かくも美しくあり、しかし、さて、使われた事はほとんどなかったのだと思うと悲しい。

さてさて、大陸では、ベートーヴェン、ナポレオンの時代に、美しいカップが英国にあったことを、しっかりとお伝えして、本日のブログの〆とさせていただきます。

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2009年2月21日 (土)

花みれば。

Bairin_002 花みればそのいはれとはなけれども

心のうちぞ苦しかりける

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さて、花といえばやはり梅だなんて、団塊堂は古すぎる、おいおい梅だなんて、いにしへの奈良かよって。ひとりごちながらの梅見のポタリングの今日の団塊堂であります。

Bairin_001 先日、前の会社の友人から満期定年退職の目出度いご挨拶の手紙を戴いたから、今朝、携帯に電話を入れたら、「使われておりません」って、少し寂しいではないか。自宅へ電話を入れたらずっとFAX、オイオイ多重債務者か?なんて、そんな事は絶対無い男だけれど、寂しい。

Bairin_001_2 さてさて、梅は良いよね。ポカポカの陽気が続いたと思ったらガツーンと寒波が戻ったりするこの季節、そう簡単に春など来るものかと厳しさを思い知らされて、コートの襟を立てて北風のなか出掛けてみると、明るい日差しの下で満開の梅。桜の季節のように酔っ払いもいなければ、下品なカラオケなども無い。せいぜい木の芽でんがくの味噌でジーンズが汚れるくらいの事だ。

さて、梅の季節は左遷の季節。桜の季節はスタートの季節だと思う。菅原道真の恨みが染み付いているのか、いや事件はいつも先に起きて、その後、何事もなかった様に世の中は進んでいく。甘ったるいサクランボよりも、染みるように酸っぱい梅ボシの方が物語りがあるのではないか。

どうよ、中川、梅ってシミルだろ!

Bairin_003

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2009年2月16日 (月)

未曾有の阿呆政権・アル中財務大臣の飲酒会見。

Ahou_001_2 麻生の馬鹿の事など、書くのも馬鹿らしくて書かないでいたのだけれど、今度は中川昭一財務大臣が世界に馬鹿ぶりをお披露目で恥ずかしいやら見苦しいやら、未曾有あるいは百年に一度の自民公明連立政権のお粗末がいよいよ頂点に達した様子で、それでも麻生やら中川を支持する自民党やら創価学会の皆様の非常識に呆れ、あんた達大丈夫かと健康すら心配になる今日この頃です。

さて、未曾有の危機と言って「選挙などやってる時か!」と言って選挙を逃げた麻生が「日本はそんなに大変か?」といったなんてのは、麻生などという馬鹿の上に無責任と恥知らずを三段重ねしたような典型的な“お金持ちの馬鹿息子”の事はさておいて、麻生の隣で何時も考えている様なそぶりで、実はタイシタ事は考えていなくて、無教養を新右翼の論理のスリカエでシノイデ、国士ぶりしていた中川昭一、近頃は完全にアルコールで“往ってしまっていた”様なのだ。一月二十八日の衆議院本会議での演説で、歳入を“サイシュツ”と読み、渦中を“ウズチュウ”とよみ、財務大臣なのに数字はデタラメになってしまい、都合26箇所の読み違いという記録的な馬鹿を披露した中川財務大臣、これだって阿呆いや麻生のご機嫌伺いの為に意図してやった事なのではないかとウガッタ見方をしてみたりしたのだけれど、どうもこれは中川昭一、すでにアル中で遣られてしまっていたのだと説明されると、なるほどそうなのかとガテンがいく。

Ahou_002 さてさて、麻生もさることながら、未曾有の危機にある経済を担当する大臣が“アル中”で思考どころか発言も千鳥足ときて、麻生が「日本はそんなに大変か?」なんて言ってて、いまさらの小泉がドウのこうのって、本当に俺たち日本人って馬鹿だと思う。

利権のオコボレにあづかっていたり、宗教で頭がオカシクなってしまっていなかったら、とても見ちゃいられません自民公明連立政権は。

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2009年2月15日 (日)

Beauty うつくしいもの。

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Beauty_001 このところ団塊堂は、すっかり映画づいてしまっていて、昨日もマイナーな映画だけれど「Beauty うつくしいもの」の封切に出かけて“うつくしく泣いてきた”のです。

さて、映画のアラスジは、ホームページをコピーしてご案内する事と致します。

 昭和10年、長野県伊那路村。村歌舞伎を初めて見た少年・半次は、村に伝わる舞踊「天竜恋飛沫(てんりゅうこいしぶき)」を舞う雪夫に心を奪われる。雪夫に誘われ歌舞伎を始めた半次は、ふたりで「新口村」を演じ、初舞台で大成功を収める。そしていつしか、半次と雪夫は村の看板役者となっていく。
 時は過ぎ、昭和19年。半次と雪夫のもとにも召集令状が届く。終戦を迎え、シベリアの強制収容所に送られた半次たちを待っていたのは過酷な労働の日々と、雪夫との死別であった……。一人帰国した半次は、いなくなってしまった雪夫の空白を埋めるかのように、かつての雪夫の役を演じ続けた。
 ある日、遠く離れた村で、伊那谷だけに伝わる芝居「六千両」を演じる役者がいることを知った半次は……。

さてさて、不肖、団塊堂、泣いてしまいました。いや見苦しいから我慢いたしましたけれど、うっ!ウッ!と周りの皆さんに気が付かれないように、しかし嗚咽を漏らしてしまいました。何が美しいのか、と問われると、えっ?と一言で言えないけれど、少年が美しく、人間が美しく、暮らしが美しいのです。

もちろん、大資本の映画ではありませんから、脚本は若干未消化であり、ストーリーは反芻しなければ繋がらないところがありましたが、まあそれくらいは観客の責任でフォローすれば足りるでしょう。それもまた映画鑑賞後のお茶の楽しみであります。

映画って本当にいいです。

映画「Beauty」公式ウェッブサイト http://beautyweb.jp

Beauty_002

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2009年2月 8日 (日)

かわらぬ愚行・国交省。木曽川水系連絡導水路計画の蛮行。

090207_006 さて、この国の役人はどこまで腐っているのだろうか。かって自民党の「金まみれの金丸」は長良川河口堰を強行し彼の糞まみれの汚さを見せ付けたけれど連立の社会党も恫喝とオコボレに負けて着工を認めたけれど、その長良川河口堰は、その水は殆んど使われず、ただ長良川の河口に横たわり長良川の自然を殺し、住民を洪水の危険に晒し続けている。

かって利水を謳って計画された長良川河口堰は、伊勢湾岸の工業地帯の衰退と重厚長大産業からの転換で水余りに至るや、洪水防止の為に川の中に大きな障害物をつくるという驚くべき理屈で造られた日本の河川行政の恥ずべき金字塔なのだ。

水余りが明らかで、長良川河口堰の水も殆んど利用されずに垂れ流されているにもかかわらず、当地では揖斐川上流に徳山ダムという、流れ込む水は僅かだけれどダムとしては大きい、つまり、あまりに非効率ゆえに戦後ながらく計画は放置されてきたけれど利権と天下り役人増殖のために完成された。これすら水の需要はほとんど無い。

さてさて、「木曽川水系連絡導水路計画」という嘘の上に嘘を重ねたデタラメな計画の事なのだ。濃尾平野には、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が流れる。一番西を流れる揖斐川上流の徳山ダムの水を、導水路をつくり長良川に流し、更に木曽川に繋ぎ水余りの愛知県に持っていこうというものなのです。

さて、この計画が、経済的にいかにデタラメなものであり、自然環境をいかに破壊するものかは、是非この下のアドレスをクリックして「長良川市民学習会」のホームページでご覧いただきたい。

http://dousui.org/

さてさて、この国の役人が余りにもデタラメで酷すぎるから、団塊堂も昨夜、岐阜駅のハートフルスクエアで開かれた第五回市民学習会・[長良川への想い}に参加してきたのだ。会場は次々と補助イスを追加するほどの盛況だったけれど、さて長良川河口堰反対運動の敗北を踏まえて強力で確固たる運動を展開するべきと想う。

できれば、団塊堂など、少し足りない弟の鳩山さんに、友達の友達のアルカイダなんかも紹介していただいて、徹底的にゲリラ闘争なんかまで持っていきたいくらい腹が立つのだ。

冒頭の挿絵「えほん長良川」より

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2009年2月 7日 (土)

モーターサイクル・ダイアリーズ

090207_004 マンボで、そしてタンゴなのだ。

さて、団塊堂の今日この頃といったら刺激の連続で沢山の友人が暗にブログネタを振って呉れて、情報をくれるから、ネタが在りすぎて、それぞれが結構な面白さで、しかしネタを追いかけてばかりで、ブログが書けないという貧乏ひまなしの今日この頃なのだ。

090207_001_2 なかでも、今週どっぷりとハマッテしまったのがゲバラなのだ。昨晩などは睡魔という強敵と闘いながら、“きっこぱぱ”からの情報でBShiの(モーターサイクル・ダイアリーズ)に没入の至福だったのだ。

23歳のエルネストと親友アルベルトの南米大陸1万2000キロの旅、チェ・ゲバラの青春の日々、そうゲバラの青春ロードムービーなのだ。恋あり涙あり、そして貧困の悲劇とハンセン病。ゲバラの青春と思索、その後のゲリラ活動へと繋がる心の旅が、貧乏だけれど美しい、貧しいけれど奥深い南米の景色を背景に描かれている。

090207_003_2 たまらないのは、このオンボロバイクなのだ、1939年製のノートンなのだ。団塊堂もこんなバイクが欲しいぞ!ノートンでもトライアンフでもインディアンでもいい、こんなバイクで四国遍路の旅に出て、恋もして失恋もして、そしてゲリラにだってなってみたいのだ。この1939年製のノートン、きわめてオンボロだけれど、1949年生まれのオイラ、このオンボロと同じって事?現実ってやつは辛いな。

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2009年2月 2日 (月)

チェ・ゲバラ二部作連続鑑賞。

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Che_001 近頃の映画館など封切でも客はまばらで、とりわけシネコンになって以来、客は一上映に数人なんてことはザラで。

さて、チェ・ゲバラの二部作が話題で、団塊の世代と30代以下の相容れないはずの二つの世代の観客を集めている。一昨日の、二部作の後半「チェ39歳別れの手紙」など満員で、団塊堂も映画館にこれ程の観客が溢れているのを見たのは30年ぶりくらいの事で驚いたのだ。

さてさて、男の価値は、ぶれない事だと思う。男の価値は、変化はしても変質しない事だと思う。

チェ・ゲバラ 圧倒的にカッコいいのである。革命家として、政治家として、権力を得てもなお唯一ブレなかった男だから。

Che_004_2  沢山の革命家はいたし、沢山の政治家もいたけれど、何れもプロセスは見苦しくて末路は汚くて。20世紀の革命家やら政治家の誰がTシャツのプリントに耐えうるだろうかと考えてカストロとゲバラ以外に思いつかない。

「チェ28歳の革命」 人民の苦しみも、革命家チェの思想の軌跡も、ほとんど何も描かれていないファッション映画なのだ。主義や思想は洗い流されて、革命がオシャレでカッコ良くもある。強欲アメリカ資本のエゲツナイ南米支配も、アメリカの傀儡政権の汚い姿もあまり描かれていない。まあ、しかし許す。たとえカッコよさだけでも、この映画に影響されて第二のゲバラが生まれるのなら。だがね、ゲバラはゲリラなのだよ、革命は「武力なしでは達成されない」と言っているのだよ、ゲバラは。

さて、「チェ39歳別れの手紙」これを観るかどうかは、正直迷いました。議論の末?とにかく観てみようという事になりました。さて、ボリビアでのゲバラは結局はスケールこそ違え、ステップもだいぶ違うけれど連合赤軍と同じで、基盤を持たぬゲバラのゲリラは現地人の裏切りでアッケなく終りを告げる。そして相変わらず美しくてカツコイイ。

Che_003 「かって、本気で世界を変えようとした男がいた。」これがこの映画のキャッチコピーだ。つまり、ほとんどの人々は本気ではなかったという事を言いたいのだろうか。確かに団塊の世代も、革命はファッションで、本気だったかと言われると自信がない。本気だった奴らは妙義山に消え浅間山荘で終わったわけで。

というわけだけれど、「チェ」の映画館は団塊のジジイで溢れているわけで、なんならオマエラもう一回ヤッテミルつもりなのか?と問うて見たいキガスルのよね。

そして若者には、「チェ」はゼネストでは世界は変わらない「武力だ」といっているわけで、オマエラの「本気」を問うて見たいキガスルのよね。

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この手紙を読まねばならないとき、

お父さんはそばにいられないでしょう。

世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、

いたみを感じることができるようになりなさい。

これが革命家において、最も美しい資質です。

子供たちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている、

だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。

お父さんより    チェ・ゲバラ 1965年 子供達へ最後の手紙

Che_007

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