ウースターのシノワズリー・ウィローパターンのアンティークカップ。その2.
和田先生から戴いたコメントを改めてブログにアップしてみました。
boss様、IWANA様
磁器の銅板(銅版)転写プリントは1750年前後にジョン・ブルックスによって発明され、
最初に実用化したのはロンドンのボウ窯とされています。
ロバート・ハンコックはこれとは別に、独自に銅版転写方式を思いついたことになっています。
これは1747年頃とされ、もし本当なら英国銅版転写の生みの親は、年代からしてハンコックかもしれません。
しかしハンコックの転写版は画風も構図も転写した具合も独特なので、
みなさんがイメージする「銅版転写」とはやや異なる趣を持っています。
ハンコックは後に弟子の銅版転写彫刻師、トーマス・ターナーが1775年に興したカーフレイ窯に移り、ウースター窯を凌ぐ水準の作品を作って、ウースターの脅威となりました。
「スポードが発明した」の云いは、またまたご都合主義の現代のスポード社・日本代理店の牽強付会です。
そもそも当時のジョサイア・スポード一世は、窯業よりも音楽家として、演奏会のギャラで家族を養っていたのですから。
和田泰志
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さて、英国銅板転写プリントの発明者は、誰なのか? 面白くなってきました。
そこで、和田先生、こんな解説を見つけましたがどうでしょう?
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抜粋
~ 銅版転写による陶器への絵付けは最初、アイルランドのダブリンで1740年代ごろ創案され、リヴァプール、ロンドンへと広がり、完成されていった。
この銅版転写絵付けを完成させるのに最も功績があったのは、リヴァプールで出版業を営んでいたジョン・サドラー(1720-89)であった。彼はこの手法に目をつけ、父の助手であったギュイ・グリーン(1729-95)と共同して1756年7月27日、銅版転写法でタイルにプリントする実験に成功した。その時の記録によると、六時間のうちに、異なったパターンのタイルを千二百枚もプリントしている。かくて、この手法による陶器へのプリントはリヴァプールのサドラーとグリーンにより、まずタイルから商業ベースにのせられた。
食器にこの手法が用いられるのは、スタッフォードシャーのジョサイア・ウェッジウッド(1730-95)のあの透明釉のかかったクリーム色陶器の量産に成功するまで待たなければならなかった。なぜなら当時盛んであった、イングリッシュ・デルフトの錫酸化によって得られた白い不透明な釉薬には、銅版転写法によるプリントが不適当だったからである。
サドラーからウェッジウッドのもとへ、クリーム色陶器にプリント絵付けして送られたのは、1761年で、これが陶器製食器のプリント絵付けの最初であった。 以下省略
THE西洋骨董アンティック 昭和52年6月 読売新聞社刊より
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さて、さて。
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和田先生から再度コメントを戴きました。見易いように本文にアップしてみました。
かなり発行と記述が古い資料!
これは「陶器」のことですね。
ジョサイア・ウェッジウッド一世は生涯磁器を焼いていませんし。
「陶器」と「磁器」は学問的には完全に区別して述べる必要がある部分が多いです。
この資料が正しいとすれば、銅板転写の実用化は磁器の方が陶器より十年近くも早いということになりますね。
和田泰志
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