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2008年12月29日 (月)

今年最後の、さてと。

Image120 さてと、今年も残り僅かで、なにやら、心に浮かぶアレコレがあって、ひとり今年をごちてみたい気持ちで、昨日、大掃除が一段落した夕方、近くのエクセルシオールでカフェラテを頼んだ。

シュガースティックの封を切ってカップに注いで気が付いた。ハートマークのラテアートなのだ。

そんな事など期待していた訳でもないので、驚いた。そして嬉しかった。

ハートマークなど久しく遠のいているオジサンとしては、恋は想い出だけの遠い日の線香花火だけれど、せっかくのデザインカプチーノに気が付かず写真を撮る前に砂糖をかけてしまったのが悔やまれる。

さて、そんなこんなで、今年もアト二日。

ありがとうございました。とても楽しい一年でした。

ありがとうございました。とても充実した一年でした。

すべては、皆様のアクセスのお蔭です。貴方の同情と僅かな愛が「団塊のブログ」の持続力の源です。来年も、どうぞよろしくグダグダとお付き合い戴きます様、お願い申し上げます。

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2008年12月24日 (水)

なんとなくバロック&ロココ風のアールヌーボーのアンティークカップ&ソーサー。

France_001 ANTIQUE RARE FRENCH

CUP AND SAUCER

Beautiful collectible antique porcelain

Made in France

19世紀末

さて、この「なんとなくバロック&ロココ風」のアールヌーボーのカップ&ソーサーであります。裏印はフランスとのみあります。団塊堂のコレクションのリモージュのカップと共通したテクニックが使われておりリモージュの物だろう。デミタスカップより小さいキャビネットカップ、実用に使われたわけでは無いのにハンドルとソーサーに金彩のスレがある、よほど愛されたカップなのだろう。

France_003_2 アールヌーボーといえばガラスであり、陶磁器など余り良いものは無い、アールデコも然りだと思う。だがしかし、アールヌーボーこそは団塊堂の40年来の探求テーマであり我がアンティークカップコレクションに、アールヌーボースタイルのカップは欠かせないのであります。

さてさて、このカップ、サザエの様な形、ハンドペイントで小花が描かれ、ソーサーは定番のホタテ貝の形状である。ジャポニズムというよりバロックの流れをくむヨーロッパの流儀。ギリシャ的均整を拒絶した非対称の形状、世紀末の退廃を色濃く伝えています。

以前にも書いたと思うけれど、「様式美の流行は、曲がりくねった川の流れのようで、理性の右岸と、感情の左岸に、ゆったりとぶつかりながら変化していく」という。ああだこうだと言いながら年の瀬にアールヌーボーに戻る、アールヌーボーこそは団塊堂のアンティークへの興味の原点です。

メリークリスマス。

どなたさまにも、等しく神のご加護がありますように。

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追伸

さて、このブログ、当初はアールヌーボーのアンティークカップとしてアップしながら姑息にも少しずつ書き換えているのです。アールヌーボー贔屓の団塊堂は、当初からアールヌーボーと決め込んでいましたが、昨日仕事中に、アレッ!あれってバロックそのものじゃないか?なんて事が年の瀬の忙しい最中に頭に浮かんだのであります。いや言い訳は致しませんバロックと書き直すべきです。実はこのカップ、若い頃、本で見たことがあるのです。そこで、当時から残っている資料を調べてみたのですが見つかりません。先日来、図書館の資料もあたってみたのですが。さて、そんなこんなで、迷っていたところ、わが師・アンティークカップ界の重鎮・和田泰志は、このカップを「なんとなくバロック&ロココ風の」と表現しました。

この、「なんとなく」がタマラナイではありませんか?いや正確にはバロック・ロココとのみ言うべきでしょうけれど。

さてさて、アールヌーボーもバロックもロココも、ほとんどの皆様にはドウでも良い事ではありますが、深夜すぎまで和田先生とメールをヤリトリしながら一日が過ぎていきました。し・あ・わ・せ であります。

0812_003

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2008年12月21日 (日)

痛快・靴のミサイル。

0812_001 年末になると色々なことが起こるものです。

さて、終末を迎えた、アメリカの言いがかりで始まった“デタラメな侵略戦争”イラク戦争。

この戦争の結末を飾るに相応しいニュースが流れた。痛快である。イラク人記者に「イヌ」と侮辱されたブッシュ。

アメリカのどんなミサイルよりも強力なミサイルが発射された。避けて強がるブッシュの姿がチンピラのようにヘラヘラして見えたのは、団塊堂の偏向によるものだろうか。それにしても、となりのマリキ・イラク首相が笑っているように見えるのはテレビは正直だからだろう。

さて、アホの麻生の愛用の靴を調べてみた。やはり「バリー」だったので笑ってしまった。いかにもいかにも麻生であります。

20081218_2  退屈しのぎに、こんなゲームはどうでしょう。

http://play.sockandawe.com/

0812_002

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2008年12月18日 (木)

ジュリー祭り。

Shiwasu_001 そういえば、今朝の朝日新聞によれば「とにかく、すごかったとしか伝えようがない。東京ドームで3日、ジュリー(沢田研二)が6時間以上で80曲を歌いきった還暦記念コンサート「人間60年ジュリー祭り」。終始パワー全開で広い舞台を縦横に走りジャンプし、熱唱した「祭り」に居合わせた三万二千の観客の一人として、興奮の余韻が当分去りそうにない。」とジュリー祭りに、最大の賛辞を贈っています。

さて、団塊堂にとって、ジュリーの後にジュリーは無く、ジュリーの上にジュリーは無いのであります。

ジュリーこそ、団塊の世代にとって永遠のスターであり「神!」なのであります。

椛の湖の全日本フォークジャンボリーで軟弱なヨシダタクローに帰れコールを浴びせた政治少年の団塊堂とて、ジュリーは「神!」だったのです。

例えジュリーがナベプロという商業主義そのものの産物だったとしても、タイガースは誰もが認める団塊の世代の神でありました。ビートルズにもアニマルズにもモンキーズにもクリーデンスクリアウォーターリバイバルとも並存しうるグループだったのです。

そんな事は、団塊の皆さんを読者とする団塊のブログでは説明無用でした。失礼。

さて、先日来、団塊堂周辺では「ジュリー」は大きな話題で、いくら神のジュリーとて、果たして「ドーム」が埋まるものだろうかと注目いや心配していたのであります。

ジュリー・還暦60年の勝利です。

「この窮状 救うために 声なき声よ集え」と起ちあがった団塊の勝利です。

お正月の名古屋公演が待たれます。

久々に柳ケ瀬のスナックで「時の過ぎゆくままに」を唄わなければイケナイ気分です。ついでに近頃賑やかな水谷豊の「カリフォルニアコネクション」も! S君電話を待ってます。

写真 「南京はぜ」

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2008年12月15日 (月)

走らない。

Shiwasu_002 さて、団塊堂はといえば、昨日も一昨日も楽しく酔っ払って、シアワセの日々なのであります。ブログなどでグダグダと麻生の馬鹿などに絡んでいる暇など無かったのであります。

一昨日は、年末恒例の大学の演劇部の同窓会。既に還暦を過ぎた先輩、企業のなかで、学校で、居場所を失った同輩、タソガレ始めた後輩。いろいろあるけれど、同窓会というのはそんな事はドゥでもいいのであります。

みんないろいろあって、しかし歳を経るにしたがって皆あの日に戻りつつあるように思えます。

険しかった顔が皆すこしずつ柔らかくなって、しかし白いものは確実に増えて皺も深くなってはいるけれど。

昔をかたり、未だに失わぬ演劇への情熱をかたり、女のことなど語ったりしていると、居酒屋があの日の学生会館のクラブ室に知らない間に変わってしまっている。

このごろ皆、すこし若くなって、いや学生ガエリして、少年がえりして、楽しい。

昨日など、一日中アンティーク三昧で、大きな骨董フェアをユックリと観て周り、更にアンティークモールをハシゴして、夜が更けるまで歴史やら映画のこと等語ったりして、たまらなく幸せなのであります。近頃、韓国の歴史を教えてくれる友人がいて、団塊堂の僅かな陶磁史の知識と摺り合わせて考えたりすると、とても面白いのです。

今夜は、団塊堂五十八歳最後の夜であります。しかし冬の夜も、団塊堂の今には短すぎます。

Shiwasu_005

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2008年12月10日 (水)

Oさんが会社を。

010 Oさんが会社を辞めた。今頃、Oさんは本所の料亭もどきで送別の宴の最中か。はてさて、行く道の険しさなど他人に言われるまでもなく、Oさんは痛いほど知っているはず。

それでも良く頑張った。嫌だ嫌だと言いながら二年近く勤めたのだから。

ロマンチストのOさんは、相変わらず現役モードで。“棄てていない”から、困難な現役モードの仕事を選ぶ。わたくしなど、“棄ててしまった”から気楽な仕事を優先に選んだ。

一週間後、Oさんの何度目かの新しい仕事が始まる。Oさんらしい選択で数人のベンチャーとでも言うべき企業の中枢、いや、いやでも中枢だろう数人なのだから。気楽に頑張れと言っても、気楽に居られるはずもない。“棄てないOさん”の頑張りに声援を送り、しかし頑張りすぎるなよとも言い。気楽に辞める事が出来るのも、我々世代の特権なのだよ、何度でもやり直すことが出来るのだよ、第二の人生は、と一人ごちる、団塊堂の今日この頃です。

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010_2 ますます景気は悪くなり、リストラの嵐が首切りの嵐となり、来年は大量の失業者が街に溢れる事となった。団塊の世代は、オイルショックもバブル崩壊も経験した世代だけれど、今回ほど、厳しい不況はなかったと思う。間もなく誰の目にも今回の不況の実態が見えてくるはず。

しかもこの国は、永らく続いた好況で、社会保障のネットを、そんなものは“社会主義だ”と改革の名のもとにズタズタに切り裂いてしまった。気が付いたら日本の社会は“自己責任”の言葉が全てで、労働者はあっけなく首を切られ、インチキ労働組合は幹部のご出世の為だけに平気で労働者を切り捨て、リストラの先達を務めたりする。平気で裏切る社会になってしまった。

傲慢トヨタの、インチキ組合も、傲慢キャノンの便所野郎・御手洗のインチキ組合も派遣労働者の首切りはなんの痛みも感じないものらしい。もちろん、そんなインチキ組合のインチキ幹部が民主党の代議士だったりするから、派遣労働者は赤旗たてて暴動するしかないのですよ、歴史的に見ても!

なんて、コタツの上でミニノートパソコン叩きながら、自分は安全圏で、過激な檄をとばす団塊堂は“あいかわらず”ですか?無責任ですか?

派遣労働者諸君! 闘わなければヤラレルだけですよ!

団塊の世代が闘わなくなって遣られっ放しになったように!

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2008年12月 7日 (日)

さてと。

Denen 今日の団塊堂のすることといったらガソリンスタンドへ灯油を買いにいく事ぐらいしかないので、久しぶりに柳ケ瀬でお茶でもしようと厚手のセーターとバウワーのコートで暖かくして出掛けたのであります。

ついでにデパートでもと思って、デパートをヒヤカシデ魔法使いのオバアサンみたいな店員ばかりのデパートをブラブラしてみたりしたのであります。最上階のレストラン街など人もそれなりに居て、さすが日曜日なのだと思ったのだけれど、よくよく考えてみたら、今日はボーナスサンデーではないか!

今日と来週の日曜日辺りは、暮れのボーナスの時期でデパートはカキイレの時期で、夕方のテレビのニュースではゴッタガヤス、デパートの店内を子供を肩車したオトーさんの姿なんかが映し出されたりする日ではないか?団塊堂がデパートで15秒に一羽くらい飛ぶ鳥を撃ち落していたバブルの時期など、今日辺りは、エスカレーターの周りは危険なくらい人でゴッタガエシテ、綿埃がコロコロと球になってころがっていて何度も清掃をお願いしたりしたものなんだ。

さて、どうよ近頃のボーナスサンデー、“すこし何時もより人が多い”程度ジャマイカ。そういえば11月の百貨店売上は軒並み前年比で一割近い落ちようで、名古屋の松坂屋なんぞは18%ものマイナスだったというから背筋も凍る今日この頃です。団塊の皆様いかがお過ごしですか?

ボーナスサンデーだけれど、人のホトンド居ない、とてもアリガタイ喫茶店で、ひさしぶりにヴィヴァルディなど聴きながらお茶しました。世の中が静かな事は私には有難いことではあります。

存在することが空白といわれる。無力無能の麻生自公政権に感謝です。

お爺様の吉田茂は「バカヤロー」といって解散したけれど、孫の阿呆太郎・いや麻生太郎は国民から「バカヤロー」といわれて解散したなんてNEWSが間もなく流れそうな気がする師走であります。

今夜も創価学会やら自民党の皆様には、400円のカップヌードルでも食べて暖かくしてオヤスミ下さい。

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2008年12月 4日 (木)

ウィローパターン(柳模様)について考える。

Worcester_003 Willow_001 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                               さて、ウースターのアンティークカップの入手を機にウィローパターン(柳模様)について考えてみた。

といって、団塊堂オリジナルな見解など一つもなくて、ただ、東田雅博(とうだまさひろ)著の「柳模様の世界史 大英帝国と中国の幻影」大修館書店刊をベースというより、ほとんどパクリながらウィローパターンについてまとめてみた。

まず、冒頭の写真ピンクの物、今回の団塊堂のウースターについて和田先生に解説を戴いた。

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Worcester_009_2 骨董屋は十把一絡げに「ウィロー・パターン」と言って済ませますが、
より細かい名称がそれぞれあって、この作品は
「フェンスト・ガーデン・パターン」Fenced Garden といいます。

太鼓橋を渡る三人がいないことや、上方に二羽の飛ぶ鳥がいないことなどが特徴。
丸い実を付けた木が宙に浮かんでおり、そのすぐ下に松の枝というか、
細長いタワシの集合のような、シダ植物のような木が描かれていますが、
これが本来は柳=ウィローだったのです。
各部の図柄が変形されているということで、名称は別になっています。

もともとカーフレイ窯でデザインされたものを
ウースターがコピーした可能性があります。
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Willow_006 キタ キターっ! 和田先生は、言外に、我がウースターについて、これを正統なウィローパターンとは言いがたいと断じておられる訳で、正統なるウィローパターンについて学べと叱咤しておられるのだ。ペンギンのプールにイワシが投げ込まれたのだ!

右側のブルーの物。本物のウィローパターンの絵皿である。本物?いや、正統な、と言うべきかもしれない、あるいは、柳模様物語模様と言うべきだろうか。

さて、いきなり、細かな部分まで語ってしまったけれどウィローパターン・柳模様とは何か?をコピーして引用してみる。

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Willow_005 柳模様willow patternと呼ばれる、中央に柳を置き、愛をささやきあうかのごとく空を飛ぶつがいのキジ鳩やマンダリン(中国の高級官吏)の館、その館を取り巻くジグザグのフェンス、さらに中国風の橋の上を歩く、もしくは走るように見える三人の人物などを周辺に配した陶磁器の文様。この文様はマンダリンの美しい娘とマンダリンに仕えた若い書記との許されざる悲恋の物語を表わしているともいわれている。この模様は、18世紀末にイギリスで案出されたもので、17-18世紀の中国ブーム=シノワズリーchinoiserieの産物である。 引用

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さて、この18世紀末にイギリスで案出されたものでという部分こそが今日の重要なテーマなのだ。

Willow_002 シロートのど自慢の団塊堂としては、この絵の何処がイギリスで案出なのよ?これってどうみても唯の楼閣山水文、英語に訳しても、ただのDesign of Pavilion and Landscapeってところじゃないのか?なんて思うけれど、違うのです。

もちろんパーツは何れも中国でありナンキンなのだけれど、この絵はイギリスのオリジナルなのだそうだ。

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柳模様の案出者 引用

「古陶器鑑定法」の著者は柳模様の案出者をトーマス・ミントンとしている。スポード社の創始者、ジョサイア・スポードが1790年頃案出したとされることもある。トーマス・ターナーが1779年にイギリスの窯業の中心地スタフォードシャーに隣接する県、シュロップシャーのコーリーで作り出したとされる事もある。

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こうした中で、著者の東田雅博先生はバーナード・ウォトニーの次のような考え方を支持している。

柳模様は、実際にはオリジナルなコーリーのシノワズリーではなく、1760年頃からイングランドの磁器工場で使用されていた多くの似たような転写デザインの結晶に過ぎない。

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多くの似たような転写デザインの結晶に過ぎない。のに、正統なる柳模様について永年議論がされてきた。しかるにこれは「悲恋の柳模様物語」が大いに影響している事は間違いない。柳模様物語を紹介するにはブログが長くなりすぎるので、下記のブログをご紹介いたします。是非クリックしてお読み下さい。

柳模様に描かれた純愛物語

http://allabout.co.jp/gourmet/tea/closeup/CU20050321A/

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さて、それだけでは、余りにナニなので、イギリスの家庭の中で語り継がれた「柳模様」のカワイイ詩くらいは紹介しておこう。

Willow_008 二羽の鳩が天空を飛び

中国の小船が浮かび

しだれ柳があたりを覆い

橋の上には、四人ではなく三人の男たちがいる

中国の寺院がすべての大地を支配するかのようにある

リンゴの実をつけたリンゴの木

かわいいフェンス

これで私の話はおしまい

・・・・・・・・・つまりこれは、イギリスの、どの家庭にも溶け込んだ比較的庶民的な「柳模様」の皿の絵の物語をオバアチャンが夜毎に孫に聴かせた詩なのです。

という訳で、これらの要素が含まれていない「柳模様」は“正統”では無いとするのが正統派なのです。

さて、柳模様は、イギリス発祥の物なのか、案出者は誰なのか、柳模様物語は柳模様の皿が生まれる以前からあった物なのか?

ブログが余りに長くなりすぎた。東田先生の本からビクトリア・アンド・アルバート博物館の柳模様の解説文を貼り付けて結論としよう。

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柳模様は、もっとも有名なイギリスの陶磁器デザインの一つである。橋のそばの寺院、小船と柳の木の景観は、中国の陶磁器に見られたイメージによって影響されたものだが、イギリス窯業業者の創出したものであった。その文様が描くとされる恋物語は、のちに賢明な市場戦略として捏造されたものである。

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博物館は、物語を後の捏造とし、更に、案出者を特定する事を避けている。

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さて、チベット弾圧と、ウイグル、内モンゴルなどの侵略と少数民族抑圧で、その非民主的体質を問われ、低賃金と不公正な通貨管理で世界経済に混乱を起こさせ、世界中の製造業を破壊し、労働者から職を奪った現代中国は、北京オリンピックの聖火リレーで世界中の人民から罵声を浴びせられた。鄧小平以降の「醜い中国像」が世界中に存在することは間違いない。

Willow_003 シノワズリーとは、17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパの中上流階級を席捲した一大文化現象である。東洋陶磁の流入が大きな要因であるが、質の高い磁器は東洋への憧れを生むのは当然であるし、ギリシャ的な均整に厭きた人々に中国の変則性は新鮮であった。

マルコポーロにはじまり、イエズス会の宣教師などを通じて、老荘思想・曲がりくねった寺院の装飾・シャクヤク・閃光を発する鳥、伝えられる中国像は、まさに優美なシャングリラであった。

これらがシノワズリー(中国趣味)をもたらすが、18世紀から19世紀にかけて中国の実像が知られるにいたり「哲学者の王国という古い夢は、堕落した帝国の現実に道を譲った」といわれる中国感の大転換をもたらす事となり、シノワズリーは終焉を迎える。

しかし、イギリスに既に土着した理想郷としての「柳模様」は転写という庶民的な陶器のカテゴリーの中で今も生きている。

Worcester_002

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今夜も、団塊のアアダコウダに最後までお付き合いいただき有難うございます。

最後までお読み戴いたなんて感激です。きっと貴方は、とても良い人です。普通の良い人なら柳模様物語あたりで終わってしまったはずです。

貴方と出逢って、団塊堂は今夜も、シ・ア・ワ・セです。どうぞ、暖かくしてオヤスミ下さい。

Willow_009_2 

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2008年12月 1日 (月)

ウースターのシノワズリー・ウィローパターンのアンティークカップ。その2.

Worcester_008 和田先生から戴いたコメントを改めてブログにアップしてみました。

boss様、IWANA様

磁器の銅板(銅版)転写プリントは1750年前後ジョン・ブルックスによって発明され、
最初に実用化したのはロンドンのボウ窯とされています。
ロバート・ハンコックはこれとは別に、独自に銅版転写方式を思いついたことになっています。
これは1747年頃とされ、もし本当なら英国銅版転写の生みの親は、年代からしてハンコックかもしれません。
しかしハンコックの転写版は画風も構図も転写した具合も独特なので、
みなさんがイメージする「銅版転写」とはやや異なる趣を持っています。
ハンコックは後に弟子の銅版転写彫刻師、トーマス・ターナーが1775年に興したカーフレイ窯に移り、ウースター窯を凌ぐ水準の作品を作って、ウースターの脅威となりました。
スポードが発明した」の云いは、またまたご都合主義の現代のスポード社・日本代理店の牽強付会です。
そもそも当時のジョサイア・スポード一世は、窯業よりも音楽家として、演奏会のギャラで家族を養っていたのですから。

                                  和田泰志

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さて、英国銅板転写プリントの発明者は、誰なのか? 面白くなってきました。

そこで、和田先生、こんな解説を見つけましたがどうでしょう?

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Worcester_009 ヨーロッパの焼き物と明治の印判手    三好 一

抜粋

~ 銅版転写による陶器への絵付けは最初、アイルランドのダブリンで1740年代ごろ創案され、リヴァプール、ロンドンへと広がり、完成されていった。

この銅版転写絵付けを完成させるのに最も功績があったのは、リヴァプールで出版業を営んでいたジョン・サドラー(1720-89)であった。彼はこの手法に目をつけ、父の助手であったギュイ・グリーン(1729-95)と共同して1756年7月27日、銅版転写法でタイルにプリントする実験に成功した。その時の記録によると、六時間のうちに、異なったパターンのタイルを千二百枚もプリントしている。かくて、この手法による陶器へのプリントはリヴァプールのサドラーとグリーンにより、まずタイルから商業ベースにのせられた。

食器にこの手法が用いられるのは、スタッフォードシャーのジョサイア・ウェッジウッド(1730-95)のあの透明釉のかかったクリーム色陶器の量産に成功するまで待たなければならなかった。なぜなら当時盛んであった、イングリッシュ・デルフトの錫酸化によって得られた白い不透明な釉薬には、銅版転写法によるプリントが不適当だったからである。

サドラーからウェッジウッドのもとへ、クリーム色陶器にプリント絵付けして送られたのは、1761年で、これが陶器製食器のプリント絵付けの最初であった。  以下省略

               THE西洋骨董アンティック 昭和52年6月 読売新聞社刊より

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さて、さて。

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和田先生から再度コメントを戴きました。見易いように本文にアップしてみました。

かなり発行と記述が古い資料!
これは「陶器」のことですね。
ジョサイア・ウェッジウッド一世は生涯磁器を焼いていませんし。
「陶器」と「磁器」は学問的には完全に区別して述べる必要がある部分が多いです。
この資料が正しいとすれば、銅板転写の実用化は磁器の方が陶器より十年近くも早いということになりますね。

                            和田泰志

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