わが友、読者よ!
君なくば、
我はそも何ぞ!
感ずるところみな独りごとに終わり、
わが喜びもことばを知らず。
ゲーテ
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さて、智恵子抄の冒頭で詩人は、
いやなんです
あなたのいってしまふのが
花よりさきに実のなるやうな
種子よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理屈に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
と嘆いたけれど、九月の次が、イキナリ十一月になったやうな、理屈に合はない不自然な寒さの今日この頃、皆様いかがお過ごしですか?
たったコレだけの枕の為に智恵子抄まで引いてしまう、まわりくどい団塊堂をお許し下さい。でも秋の夜はタップリで、団塊の世代はアアダコウだと語るのが好きですから。
さて、先日来、わが師・アンティークカップ界の大御所・和田泰志氏が、このベイヤー&ボックのカップにヤタラ喰い付いて来るのだ。一晩に三本ものメールを戴いたりして、ブログのネタふりをして頂いたりして、ゲーテの詩なども和田先生の放火によるものなのだ、なにせゲーテときたら団塊堂は中学三年生からのお友達なのだから。
さて、では、なぜゲーテなのか和田先生、いや面倒だから和田さんのメールを紹介する。
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そして問題のこのカップですが、間違いなくバウハウスで学んだデザイナーの誰かがデザインしたもの、もしくはその影響下にあるモノ(まちがいない!)でしょうし、もしかしたらバウハウスの家具食器そのものかもしれない。
もしそうなら、一客数十万円の価値がつく作品となる可能性もある。そんなロマンもあるのです。
実はこのブログ、もっともっとふかーくふかーくいけるんです。
実はドイツで「ウィーン分離派」が南ドイツのミュンヘンを拠点に
活動した世紀末、(画家で言うとクリムト、エゴン・シーレなどです)
工芸の世界でも新たな運動、しかも現在まで三越の高級家具売り場を飾る
20世紀のデザイン巨匠達が大活躍(コルビュジェ、帝国ホテルのフランク・ロ
イド・ロイド・ライト、そしてヨーゼフ・ホフマンなど)したのがグロピウスが主催したテューリンゲンのバウハウスだったのです。
成立は分離運動から20年あまり後の1919年です。混同なきよう。
第一次大戦が終わり、ドイツの各王国とオーストリアのハプスブルク帝国が崩壊し(ドイツ王国は各州政府となった)1919年にワイマール憲法ができます。
その同年、同地ワイマールに出来たのがバウハウスです。清新清冽な設立ですねえ。テューリンゲン州政府はバウハウス活動に予算を投下しています。
それから、ヴァイマル、ヴァルトブルク城、マルティン・ルター テューリンゲンの三世界遺産に共通するワードは、ゲーテじゃないかと思うのですが、いかがでしょう?
テューリンゲン=ゲーテ。だめ?
ゲーテ=ヴァイマル、ゲーテ=ヴァルトブルク城、となりませんかね。
ゲーテとルターの関わりはあるのかないのか。
ゲーテはルターを尊敬しており、ルターが隠れ住んだこの城を、ゲーテがヴァイマル宰相時代、修復・維持のために腐心奔走したといわれます。
こうして三カ所の世界遺産が結びつく。テューリンゲン=ゲーテ!なんですな。
和田
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さて、ゲーテのワイマル時代は1775年~86年そしてイタリア旅行後の1788年~1813年。次の詩もイタリア旅行後の詩だけれど、ゲーテは「美」について、こんな詩を残している。
「何ゆえ、私は移ろいやすいのです? おゝ、ジュピタアよ。」と、美がたずねた。
「移ろいやすいものだけを 美しくしたのだ。」と、神は答えた。
さてさて、こんなメールを和田さんと遣り取りしながら秋の夜は更けていきます。アンティークカップの世界は極楽であり魔界であります。
今夜も団塊堂はシ・ア・ワ・セであります。
Volkstedt-Rudolstadt (Germany,Thuringia)
Beyer & Bock,porcelain factory,f.1890.
オールドノリタケ アールデコ ピエロの小物皿
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