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2007年11月16日 (金)

追善供養

Kannon_001 室町時代に広まった経典「地蔵菩薩十王経」によれば死後における幸・不幸は、遺族が行う追善供養の度合いによって決まるとされている。

三世因果の道理という言葉がある。過去・現在・末来とつながる人間の生命は、その行いの善悪が三世にわたって作用するというのである。

良い行いを積んだ人は良い果報を受け冥土においても人間界・天界・極楽に住み、悪行の者は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちてもがき苦しむとされている。

そこで、死後に良い果報を受けている霊に対してはますます善い道に進むように、また悪道に堕ちている亡者には、その苦悩から逃して安楽の道へ差し向けるように、遺された身内の者が供養する事が追善供養だというのである。

馬鹿野郎である。糞坊主の馬鹿野郎である。いかにもインチキ坊主の考えそうな屁理屈である。釈迦の教えとも仏教の本質とも何も関係のない糞坊主の金集めの為のレトリックである。

死者の死後に於ける幸・不幸は遺族が寺に積む金銭の多寡によるというのである。本当に馬鹿野郎である。こんな事を平気で言う坊主がいたら思いっきり馬鹿にして叩き出してしまえばいい。釈迦の教えとも、仏教の本質とも、まったく関係が無いインチキなのだから。

千の風になって・・・という歌がある。人間が死ねば一切が無に帰する。「死者の魂」とは遺された者の死者への思いなのです。ただそれだけです。

だからこそ、心残りやらワダカマリやら成仏とはいかない様々な思いわずらいが遺された者の中に生き続ける。供養とは、そうした遺された者の、「心の中の残念を浄化する事」なのです。

明日はA大・演劇研究会恒例の同窓会。ここ二十年、欠かさず続けられた同窓会である。そして明日は、我々にとって今年正月に亡くなった横山伸哉君の一周忌でもある。

今年一月に書いたブログ「野に咲く花のように」のカテゴリーを読み返しながら、もう一度、兼好法師の言葉をアップしてみます

「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」  
                  兼好「徒然草」

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