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2007年8月 1日 (水)

オールドノリタケ考・マルキ印

  527_008 オールドノリタケの年代はバックスタンプ・裏側の裏印で判定します。

オールドノリタケの裏印の、「初期マルキ印」はイギリスへの輸出品に使われた裏印。1900年頃(明治33年)から使われた。次に出てくる527_012_3 「マルキ印」は1908年頃(明治41年頃)。

この頃のイギリスの事と日本の事を少し考えてみた。

イギリスが最も輝いていたと言われる時代は、ヴィクトリア時代。ヴィクトリア女王は1819年に生まれ、1837年から1901年までの63年あまりを女王として君臨した。

Meiji_001_2 ちなみに、ヴィクトリア女王が崩御した1901年(明治34年)、この年、夏目漱石はロンドン留学中であり、昭和天皇裕仁殿下の誕生の年でもあります。

「世界の工場」と呼ばれ繁栄を謳歌するイギリスと比べて、漱石は当時の日本の状況を小説「それから」の中で主人公の代助にこう言わしています、「日本ほど借金を拵えて、貧乏震ひをしている国はありやしない。比借金が君、何時になったら返せると思うか。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を任じている。」

Maruki_002 そして、日清・日露の戦争で日本が勝利をおさめた軍艦は、殆んどイギリスで建造された物だったのです。つまり、当時の日本は、気のMaruki_003 遠くなる様な借金を抱えて世界の一等国入りをすべく見栄を張っていた時代なのです。

日露戦争(明治37-38年)当時の日本の国家予算が六億八千万円。日露戦争の戦費が年間四億五千万円。ノリタケ・日本陶器の輸出額が明治37年106万円・明治38年160万円という事ですからノリタケが稼ぎ出す外貨が如何に貴重なものだったかが解ります。オールドノリタケのマルキ印の時代にはこんな背景があります。

Meiji_002_2 少し話題が広がりすぎた様です。

オールドノリタケの初期マルキ印の物がイギリスへ輸出された時代。19世紀末20世紀初頭ヨーロッパの陶器は黄金期を迎えていました。とりわけイギリスのこの時代は様々な陶磁器業者がしのぎを削る素晴らしい作品が生まれた時代です。「マルキ」とは困難の「困」を図案化したもので、外国との交渉の困難に由来するとガイドブックにはあります。日本には伝統の美的資産はありましたが「洋陶器」の文化を理解するには大変な困難を経なければならなかった事は想像するに難くない事です。

Maruki_001 ヨーロッパのアンティークカップがコレクションされるのは、この時代の作品が最高の出来だからです。それ以降、陶器は大量生産に向けて工業製品化していきます。それと共に美術的価値を失っていきMaruki_004 ます。

侘びさびに価値を置く骨董ファンからは、これらの作品は派手で成金趣味との批判を浴びますが、侘びもさびも好きで、これ等の物も好きなIWANAとしては、恥じる事なく、これらの華やかな物も「美しい」と申し上げます。間違いなく美しいのですから。それが洗練というものです。

もう一度いいます。煤けた仏像より、生身の美しい女性の方が、IWANAを極楽に導いてくれる様に、美しいものは美しいです。

写真上から

初期マルキ印 1900年頃(明治33年頃)

マルキ印 1908年頃(明治41年頃)

マルキ印 1910年頃(明治43年頃)

  他に、ヴィクトリア期のイギリスの家庭を描いた銅版画と明治25年頃撮影の日本の家庭の写真。

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コメント

大変な高尚なオールドノリタケストーリー
ためになりました。

投稿: 似非常人 | 2007年8月 3日 (金) 09時51分

似非常人様 重ねてのお立ち寄り有難うございます。
長良川の花火のコメントへのお返事、本日ブログでアップしておきました。

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2007年8月 3日 (金) 21時21分

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