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2007年7月30日 (月)

自公惨敗・恥知らずな続投。

Bakabon 私が首相にふさわしいか小沢さんがフサワシイのか、国民の皆さんに決めて欲しいといったのは安倍シンゾーではなかったのか?

なんどもテレビで流れた安倍シンゾーの選挙演説は誰もが覚えているのだよアベチャン!!

一国の首相たるものの演説がソンナニ軽いものなのか?

自民・公明の歴史的大敗。国民がハッキリとNOと言ったではないか。何度でも言うよ惨敗ではないか安倍シンゾーよ!国民が君の問いかけに答えて明快にNOといったのだよ。どの面下げて続投なのだよ。

てもね。アベチャンには、是非是非このまま頑張って欲しいのよね。来る衆議院選挙までは。赤城君にも・「産む機械」にも・原爆しょうがないにも・光熱費は芸者の花代にも。もちろん「さつき」さんにも。

しかし、これを諌める自民党員はいないのかね。ほんとうにガタガタになってしまっているのだね。自民党は。

頑張れアベシンゾー!! 

このまま衆議院選挙まで!!!

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2007年7月28日 (土)

長良川の花火

Hanabi_005 高校三年生の夏です。

千恵ちゃんには、付き合っている先輩がいました。大人っぽくて男は皆、千恵ちゃんの事が好きでした。

IWANAにも付き合っている娘がいました。でもその娘は他にも好きな男がいました。

千恵ちゃんと、花火に行く約束が出来ました。結構、勇気が要る事でした。

IWANAは、母親が縫ってくれた浴衣でした。千恵ちゃんは派手なプリントのミニのワンピースでした。

IWANAは何時もオーバードライブしてしまいます。男が浴衣で女の子がワンピースでは彼女に恥を掻かせてしまうのです。失敗でした。

でも、千恵ちゃんのマシュマロの様な胸がIWANAの腕に残した感触は甘酸っぱく今も残っています。

千恵ちゃんは京都の大学を目指していました。IWANAは名古屋の大学を目指していました。ふたりで大学進学の夢を語り合いました。しかし、それは半年後に二人は離れ離れになるという夢でした。

千恵ちゃんには胸より大きな夢があり、IWANAにもそれより大きな夢がありました。

恋はほろ苦い遠い日の花火です。

毎年、七月の終わりの土曜日と、八月最初の土曜日は岐阜・長良川の花火大会です。とりわけ七月の花火大会は三万発の花火が夜空を焦がす国内有数の大花火大会です。

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2007年7月26日 (木)

七夕まつり・定時制の織姫達は。

尾張一宮は岐阜市と名古屋市のちょうど中間地点にある。愛知県の尾張地方にある繊維の町です。と言いつつ残念ながらこれも過去形で、街の其処かしこにあった紡績工場は今はショッピングセンターやマンションに替わり、なんの変哲も無い名古屋のベッドタウン。今日から四日間、七夕まつりが盛大に開かれます。

Tanabata_002 何代目かの総理大臣で水玉のネクタイがトレードマークだった海部氏の選挙区で、水玉のネクタイと言えばアメリカでは優柔不断男のトレードマークの様に言われているけれど確かに海部氏も総理大臣になったとたん何がナンダカ優柔不断で何をしたのか何をしたかったのか解らないまま終わってしまったけれど。

話を尾張一宮に戻すと、この街は繊維の街、とりわけ毛織物の街。IWANAの青春時代には、九州から多くの少女が集団就職で工員として集められた。一宮の七夕まつりは牽牛織姫にちなんでの祭りだけれど、あの頃の織姫は今どうしているのだろう。

IWANAが涙とコンプレックスの苦い高校生活を送った岐阜のある街も繊維の街。高校には定時制があり、三部制。つまり、午前の部・午後の部・夜間の部と三部あり、紡績工場の勤務のローテーションに合わせて交代で午前だとか夜間だとか変わる。

紡績工場の名前が入ったスクールバスで一日三回、生徒達が送り込まれてくる。IWANA達が昼飯を食べ昼休みでハシャイデいる姿を横目に彼女達は粛々とバスに乗り込んで工場へ帰っていく、IWANA達が午後の授業を終えてクラブ活動を楽しんでいる姿を横目に定時制午後の部の生徒が粛々とバスに乗り込んで工場へ帰っていく、IWANA達がクラブ活動を終えてアイスキャンデーを舐めながら帰っていく姿を横目に夜間の生徒が工場のバスで学校へ来る。

Tanabata_001 その姿を見ながらIWANAは少し心が痛み、これでは高校なんて紡績工場の人集めに使われているのではないか、彼女達は奴隷の様で、工場とバスと学校の三角形から逃げ出す事の出来ない奴隷の様では無いかと、心を赤く燃えさせて、女工哀史は今でもあり、何時か彼女達を救い出さなければなどと思いつつ、それはそれとしてIVYで上から下までVANな青春を送っていたのです。

IWANAは高校時代、生徒会の役員で赤い赤い高校生だったから、定時制の生徒会の執行部とも交流する機会も多かったけれど、IWANAが奴隷の様で可哀想と思っていた彼女たちは、ことのほか真面目で純真で一生懸命で逞しかったのに驚いた。IWANAなら不良になってしまいそうな環境にあって彼女達が看護婦になる夢や短大へ行って保母さんになる夢を話してくれるのを聞いて、なまっちょろい正義感が恥ずかしくなったのです。

一宮市は、高校三年生の「舟木一夫」が生まれた街。高校三年生の映画は一宮の隣の尾西市の木曽川の堤防でロケしたのではなかったかしら。

Tanabata_004 この国が、政治家も「水道水」を普通に飲む国で

顔のオデキくらい説明できる大臣のいる国で

父親にお屋敷を事務所で使っていた事もあると嘘を強要したりしない大臣の国で

一年に二度も三度も起きる地震の揺れが、想定外の揺れで、溢れた放射能汚染水が初めは雑巾で拭いたと説明があったのに実は何トンも地下室にたまったりしていない国で

100年安心の年金が消えてしまってナンミョーホーレンゲキョーで安心だなんて宗教がない国で。

全ては、適法に処理されているから美しい国だという、この国を。

ナントカあの頃の真面目さに戻って変えてみたいと思う、七夕まつりの夜のIWANAです。

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2007年7月21日 (土)

コレクションについて考える。

Early_noriitake_002 IWANAが、ここ数年来ベットの枕元に置いて、寝る前のヒトトキ、幸福に浸る本が、和田泰志著 ヨーロッパアンティークカップ名鑑。

この、一部を拝借して。

モノを集めるというのは、自己表現体を形成することだといえる。人間は自らの属性のある一部の位相を、言葉や絵や音楽に託して表現するが、これがモノ集めを手段としても可能なのである。ある程度まとまった数のモノを系統立って収集することにより、それに自分の本質が反映されるからだ。

と、和田さんは述べて、さらに!!!

だからアンティークカップコレクションも、10個、20個の段階では、単なるアンティーク・ファンであるに過ぎない。何百何千個と収集することにより、自分を表現する世界が出来上がるのだ。

と述べておられます。降参です。

IWANAはオールドノリタケファンです。

老後の不安も有りますし。

でもね、詩の世界に長編詩もあれば、短歌・俳句だって在る訳だし。5・7・5の17個ぐらいあれば自分の世界は実現できる気がするけれど、小さいですか?IWANAの世界は。

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2007年7月18日 (水)

赤城農水相・疑惑の絆創膏

IWANAが、赤城農水相の事を「壊れた文楽人形の頭かしらなんてブログに書いたら、彼が本当に記者会見に、左頬と額に大きな絆創膏を貼って現れたものだからビックリして今朝は、朝から大笑いしたり、とてもこの国の事を心配したりして。

Akagi 赤城大臣の絆創膏があまり派手で、そのうえヒゲだって三ミリくらいに伸びているもので、いやこれはチョイワルを気取ったのかなと、好意的に見てみるけれど、どうみても栄養のわるいホームレスみたいで、あんな立派なお屋敷に住むオボッチャマとはトテモ思えなくて、ますます心配になって、オイオイどうしたんだって、出来の悪い我が子の様に思って記者会見を見ていたら。

記者が失礼だけどそのキズはどうなさったのですかと聞くと。大臣の赤城くんは、「何でもありません。この事は答えません」と答えるものだから、オイオイその答え方は何だよ、それはマズイよって父親になった様な気持ちになって声を出しそうになったけれど、赤城君は、立たされた中学生が臍を曲げて、先生が如何したって尋ねても、「何でもありません、僕はこの事はしゃべりません」ってイジケテしまったガキみたいに言うものだから、記者が「公人の大臣が大きな絆創膏をして記者会見に現れたら、どうしました?と聞くのが普通でしょう」と突っ込みを入れるけれど彼は完全にヒネクレテしまって「なんでもありません、この事は答えません」って繰返すものだから。IWANAは完全にオトーさんの様な気分で、バカヤローそういう時は「ヤッチャッタヨーって笑ってごまかすんだよ!!」って声をだしてしまって、みのもんただよ、アベチャンのお友達になりたいミノモンタだよ、ミノモンタみたいに笑って誤魔化せって、おもわずアドバイスしてしまったのです。

書くのが、タメラワレル程、悲しいね。この国の大臣は。

Unnan_1 梅雨の晴れ間に、雲南しょうまが咲きました。アベチャンの人事が及ばないIWANAの庭は美しい独立国です。

我が子なら思い切りぶん殴ってでも直してやりたい赤城君の今日この頃です。

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2007年7月15日 (日)

提灯まつり

Maturi_003_1 IWANAが住む、岐阜市の加納は、中仙道の宿場町で、江戸の昔から、下級武士の内職から始まった和傘と提灯の産地だった。だったというのは過去形で、IWANAの子供の頃は未だ和傘屋さんが町内にも沢山あって空き地という空き地には和傘が干されていた。

今では、傘屋さんは数軒しかなく、提灯屋さんだって有るのか無いのか?という感じだけれど。

夏のこの時期、とりわけ梅雨のこの時期は、夏のまつりのシーズン。六月の終わりの「みそぎ」と七月半ばの「提灯まつり」に子供達は心をザワザワさせて小遣いを握り締めて神社の境内に集まる。

この時期の祭りはいずれも(病封じ)を願っての事。提灯まつりでは、各町内、大きな竹一本に赤い提灯を沢山つけて天満宮境内の津島神社に向かう。町内毎にお祓いを受けて帰ると子供達は竹笹を一本づつ折って提灯をそれぞれ持ち帰った。

しかし、これとて過去形で、今では各町内、子供など二三人しか居らず、大きな竹笹に付けられた提灯は、小さな神輿風の物か、台車に飾られた粗末な物に変わった。

Maturi_004 最も悲しむべきは、各町内とも、夕方明るいうちに御参りを済ませてしまう事、赤い提灯の美しさは失われてしまい「早く済ませてしまいたい」という大人の都合が優先されて、ひどい町内では提灯に灯を灯す事もないという。提灯がロウソクで燃えるからという理由だそうだが、提灯が二三個燃える事など当たり前の事で、提灯など使いきりであるべきで、大切に取って置いて来年も使うという物では無いのだよと思いつつ、美しい国はこんなところでも壊れ初めているなと思いつつも、下手な事を発言しよう物なら、すぐ町内会長を押し付けられそうだから祭りにも出ないで遠くで見ているだけの今日この頃のIWANAです。

Maturi_005 Maturi_007 提灯まつりの後は、近くのモールの夏祭りでフラメンコを楽しんで地鳥の焼き鳥でビール。台風が過ぎて夏です。

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2007年7月14日 (土)

オールドノリタケコレクション12-2

Noritake_no_bara_0012

マーク・トウェインは、風刺小説「ギルテッド・エイジ」を著し19世紀後半・南北戦争後のアメリカを、上っ面を金メッキしたようなインチキな時代、新興成金が横行する腐敗政治の時代とした。長くこの時代は金ピカの悪趣味の時代とされてきたが1980年代に入って、この時代が非常に豊かで面白い時代であったという見方が現れてくる。アメリカの芸術的趣味の黎明期という見方である。

Noritake_no_bara_005 ギルテッド・エイジ金ピカ時代は、1860年代から1890年代とするのが大方の見方だから、オールドノリタケの裏印・メイプルリーフ印が使われ始めた1891年(明治24年)のアメリカは、まさに金ピカ時代のピークにあったと言ってよい。

Noritake_no_bara_011 アメリカの空前の繁栄と社交界の確立、夜毎開かれる絢爛豪華なパーティ。ファッションから芸術にいたるまでヨーロッパに代わってアメリカがパトロンとなる変わり目の時代だったのです。

Noritake_no_bara_013 明治の日本にとって貿易の不均衡を正す唯一の手段は、日本の美術資産でした。蒔絵・七宝・絵画・多くの日本の美術品が海外に出て行きました。江戸末期まで大名家のお抱え絵師といったかたちで絵描きやら職人は数多く存在していました。徳川幕府の崩壊でこれらの職人は一気に職を失います。お雇い外国人やら万国博の:経験から、外貨獲得の課題解決のため国策として、これらの職人が組織され輸出陶器などの制作に現場に投入されていきます。

Noritake_no_bara_015 明治維新前夜の慶應三年(1867)、幕府はフランス政府の要請でパリ万博に参加します。万博に出品された日本の陶器・漆芸・七宝はヨーロッパに一大旋風を巻き起こします。しかし、明治十一年(1878)のパリ万博までは物珍しさで売れていた日本の陶磁器もそれを境に売上を大きく落とす事になります。ディナーセット・コーヒー碗皿など高級日常陶器に於いては欧米の技術が遥かに進んでおり欧米のマーケットは日本の陶磁器に厳しい目を向けていきます。

Noritake_no_bara_007 メープルリーフ印が使われ始めた1891年(明治24年)頃の、日本の陶磁器産業の緊急課題は恒常的に売れていく日用陶器の開発でした。また、この時期から当初純日本風であった絵付けは洋風の物へと切り替えられていきます。瀬戸などの窯元との専属契約も始まり森村組は輸出商社からメーカーへとシフトし「世界ブランド・ノリタケ」の基盤が強固に構築されていきます。

⑮ 金点盛りアクアジュール薔薇絵ぺディスタル カップ&ソーサー

裏印 グリーン メイプルリーフ印

1891年頃(明治24年頃)

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2007年7月13日 (金)

オールドノリタケコレクション 12-1

Noritake_no_bara_009 ⑮ 金点盛りアクアジュール薔薇絵ぺディスタル カップ&ソーサー

裏印 グリーン メイプルリーフ印

1891年頃(明治24年頃)

Noritake_no_bara_008 これこそオールドノリタケの真髄なのだといえる物が欲しい。大賀コレクションに刺激されて、アーリーノリタケの、これでもかこれでもかという手の込んだ作が欲しい、これこそ明治の日本なのだと語れる物が欲しい。なんて事を、京都行き以来考えていて、殆んど病気になるくらい思い続けていて、ネットオークション等もクルクル検索しつつ、毎日アッラーの神様にもイエス様にも神棚のエビス大黒天にも祈りつづけていたら、カナダで見つけてしまったのです。しかもカップ&ソーサーだから経済的にもナントカ範囲内、すでにキュリオケースは飽和状態だけれど大きさもナントカ納まる範囲。

今夜もIWANAの幸せの報告です。

Noritake_no_bara_003 見込みに描き込まれたノリタケの薔薇、緑の葉とピンクと茶の暈かし、ふんだんに使われた金彩、これでもかこれでもかと続く金点盛り、厚みのあるアクアジュールが更に重厚さを増す。ペディスタル(脚付き)のカップ正面の赤とピンクのオールドローズ、裏面の薔薇の蕾とグリーンの暈かし。ソーサーは赤とグリーンの暈かしのベースに金彩金点盛りアクアジュール。

メイプルリーフ期の極めて初期の作。こなしきれていない洋陶器のスタイル、カップの底部の少しの歪み、当時としては極限と思われる磁胎の薄さは非実用的領域で痛々しい程。焼成後摺り合わせて整えた様な畳付け。完璧な白とは言いがたい灰色生地、石灰釉のピンホール。欠点と思われる全てが、ノリタケの歴史の証人であり、貴重な資料でもある。

ノリタケがコーヒーカップの焼成に成功するのは明治16年を数年経過してからの事。ニューヨークのモリムラブラザースから送られたフランス製のカップを研究するが薄手の手付き磁器カップなど作った事の無い日本の窯元では初め作る事が出来なかった。そのうち、フランスのカップの縁先・カップの一番上の端に釉薬が付いていない事を発見した。日本の茶碗は仰向けに焼くので底・畳付けに釉薬が付いていない。伏せて焼く事で薄手のカップの形状の物を焼く事に成功したという。

Noritake_no_bara_018 このカップの畳み付けが摺り合わせて調整されているのも釉薬の掛った部分を削り垂直を調整したものだろう。

ノリタケ黎明期の意気込みと職人の情熱を雄弁に語ってくれる生々しい作。困難への果敢なる挑戦と、卓越した伝統技術。明治のダイナミズムに溢れた作。陶器が未だ宝石であり美術品であった良き時代の作。皮肉にもこれ以降、窯業の近代化によりこれらの熟練の技が薄れていく。

日本の従来の技術の延長で作る事が出来る花瓶などに比べカップ&ソーサーなどは遥かに難しいものなのです。ネットで購入したからここまで読めていなかったけれど、これは凄い物を手に入れたんだよ。確かにカップ&ソーサーとしては少し値段が高かったけれど、これはこの数倍お支払いしても良かったかなとニンマリ。Noritake_no_bara_017

                                            

                                  つづく

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2007年7月10日 (火)

赤城農水相・疑惑の事務所経費

十年間に9,000万円の疑惑の事務所経費。

誰だって、もちろん自民党員だって公明党員だって、出鱈目だって事は解っているはずだけれど、中国の役人賄賂まみれだったり、フィリピンの政治家が汚職だらけでも、アノ国はアノ国だから当然という様に。

この国もだからといってどうよ、やっぱし自民党だ、という捻じ曲がった根性の人もいて。

530_1 アベちゃんだって、イマドキ水道水ナンテノムヒトイナイデショウみたいに、今回もカエルの面にションベンで。

壊れた文楽人形の頭みたいな赤城農水大臣をやはりカバイ続けて。

て゜もアベのバカボンだって最近はカレンダーを見るたび「赤城の山も今宵・いや今月かぎり」なんてシミジミ思っているかも知れないよね。

アベチャンだって「人間だもの」。

530_2 本当にこの国の政党政治はどこまで腐ってしまったのか。自民党は本当に次から次ぎへと出鱈目が出てきて。アマリニヒドスギル

ネット上の唯一の日本の良心。「きっこ」が、さるさる日記 きっこの日記爆弾投下予告

11日か14日に投下との事。

11日と言えば今夜半か?

きっこの日記  http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

530_3 ナンミョーにナンミョーホレンゲキョー

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2007年7月 8日 (日)

オールドノリタケコレクション 11

Swans_006 ⑭ フライングスワンズ デミタスカップ&ソーサー

裏印 ブルー メープルリーフ印 米国輸出向けSwans_010

明治35年頃(1902)~明治43年頃(1910)

Swans_001

このところ、オールドノリタケが結構な盛り上がりで、美術館の催しやらデパートの催事が続いて、雑誌で取り上げられる事も多い。

なかでも、このフライングスワンズの図柄の人気はとても高く、雑誌などに掲載された写真を良く見る。

この図柄が実はイギリスのロイヤル・ウースターのボールドウインのフライングスワンズの写しであることは過日のブログで書いたから省略するとして、IWANAはメイプルリーフ期のノリタケこそオールドノリタケの醍醐味であると、先日の細見美術館の大賀・若林コレクションによって確信したから、当分、メイプルリーフ期の物にこだわって見ようと思う。

Swans_003 このフライングスワンズは、日本のオールドノリタケファンにとって最も納得がいくオールドノリタケなのだろうと思う。メイプルリーフ期のオールドノリタケの最も特徴のある物と言ったら間違いだけれど、これが写しだと知らない人なら、オールドノリタケの中で最も日本的な情景の図柄だと思うのだろう。しかしオールドノリタケの本質は日本的なるものではなくマーケットであるアメリカやイギリス的なる物ではあるのです。しかしまあ、誰だって本質より自分の文法でしか物を見られないところがあるわけで、オールドノリタケの自分の好きな一部分を切り取って楽しむのは、それはそれで楽しい事です。

ノリタケの裏印、メイプルリーフ印は1891年頃(明治24年)から1910年頃(明治43年)まで使われた裏印。ロイヤル・ウスターが優れた画家を導入して動物・植物・果物の画風の豪華なセットを販売して名声を博すのが1902年以降の事だから当然ノリタケのフライングスワンズもそれ以降の作という事が出来るだろう。

美しいミントグリーンの背景と伸びやかな白鳥、金彩の水辺の草と口縁部の金盛りとピンクのジュール。まるで美しい貴人の着物を見るようだ。ボールドウインのアイデアを日本的情感で纏め上げオリジナルを上回る作を造り上げた。アッパレと言うべき。

マイセンが柿右衛門の写しで、あらゆるヨーロッパの名窯がそのまた写しであった時代もあるわけで、写しという事は当時を考えれば非難にあたらない。

念願のフライングスワンズのカッブ&ソーサーを手に入れた。希少価値の高いメイプルリーフ期の物。ジュールのデザインはニッポン期の物に少し負ける。デミタスなのが残念だけれどメイプルリーフ期の物はチョコレートカップやらデミタスサイズが多い。

たとえば10点のコレクションでオールドノリタケの全体像を語らなければならないとしても、このフライングスワンズは外す事は出来ないと思う。渋くて派手。やはりこの図柄は暗くて重厚な部屋に置きたい。

Swans_004 南北戦争(1861-1865)後の四十年間というのはアメリカが一挙に世界の大国となった時代。オールドノリタケのメイプルリーフの裏印の物は専らアメリカへ輸出されたものだから、その背景を語るには日本の国内事情よりマーケットであるアメリカの事を語る事が必要だろう。

アメリカ史では19世紀後半、南北戦争の後にギルテッド・エイジ(金ビカ時代)と呼ばれる時代がある、金ピカのメッキ時代と訳す時代だけれど。ギルテッド・エイジについては次回のオールドノリタケのブログで詳しく語るつもりです。

Swans_012 南北戦争後、とてつもない富を蓄積し始めたアメリカ、しかし伝統というものを持たないアメリカ、それゆえに保守的なもの伝統的なるものに対するあこがれが強かった。そのアンバランスなマーケットの心情を、このフライングスワンズが見事に捉えたと言えないだろうか。伝統と気品、アメリカのコンプレックス。

ベルエポックのニューヨークのハイ・ソサエティに思いを巡らせながら、今日もIWANAは小さな幸せにオボレテいます。Swans_009 Swans_007

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2007年7月 4日 (水)

T様への手紙

果物のいちばんの食べごろは腐りかけるときです。

少年の最盛期は正に終わらんとするときです。

酔っ払いを喜ばすのは最後の一杯です。体中に染み込んで酩酊に最高の仕上げをする一杯です。

楽しみというものはみな、それ自体のもっている最も楽しい部分を、最後まで残しておきます。最も楽しい年代といえば、すでに下り坂にはなっているが、まだ絶壁にはならない時期です。

                           セネカ「道徳書簡集」

そしてセネカは、楽しいのは、そこにはもう楽しもうという欲望さえないゆえにすべてが楽しくなるのだと言っています。

昨夜は、あの仲間と、楽しい酒を飲みました。

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2007年7月 1日 (日)

原爆投下しょうがない発言。

蒸し暑い昼下がりだけれど、窓を開けっぱなして風を入れて、昼寝を楽しんでいたら、近くの公園の防災無線が大音響で放送を始めた。「原爆」でも落ちたのかと思ったら、七月は青少年の非行防止の月間なのだという。その標語がステキで「大人が変われば子供も変わる」というので、大音響で都合三回も繰返して聞かされたものだから、まったりとした午後の昼寝がぶち壊されて目が覚めてしまったから、パソコンに向かってみる。

Hosta_001 このところ、またオールドノリタケにどっぷりとはまっていて、明治大正の日本とアメリカについて調べてみるととても面白くて、当分はこのテーマで遊べるななんて思いつつ、アベチャンの事など語るのはとてもオゾマシクテ下品な事の様にも思われて。しかしその感覚こそ「第三のクラスのブルジョアジーの美意識」で、カッコ悪くても下品でも怒り続ける事が大事だとも思うのよ。

「大人が変われば子供も変わる」ホントだぜアベチャン。年金の始末も、ミンチ偽装の放置も、だから全てアンタが悪いからだぜ、人に説教してる場合かよって。

「原爆投下、しょうがない」 自民党衆議院長崎二区の久間防衛相の発言。ほんとうに自民党は滑稽なくらい馬鹿ばかりだぜ。

このタヌキ。ただの馬鹿だから、ただ力学的にアメリカの大きな爆弾が、日本の戦争継続にトドメをさした。という程度の事なんだろうけど、この馬鹿には、戦争にも、やっていい事と悪い事がある。大量の市民の虐殺という国際法で禁じられたとんでもない行為を、被害国の防衛大臣が肯定した。とりわけ長崎の原爆なんてものは広島への原爆投下で日本の敗戦受け入れを知ってなおかつ、実験としてアメリカが行った極悪非道の行いなのだという事は、完全に何処かへ行ってしまっている。この発言を聞いてなおバカボン・アベは相変わらず官房長官程度のコメントで“肯定も否定もしません”という類の小役人的コメントしか出来ず、さつそくニュースが世界に流れ“世界の笑い者”となってしまった。

いやはや、凄い国だね。

Hosta_001_1 水道水なんてイマドキ飲まない牛肉偽装のロビイストが農水大臣だった国、女性は産む機械で年金が消えても隠し通そうとするボケ老人が厚生大臣の国、自国の市民の大量虐殺被害を肯定する防衛大臣の居る国、殆んどの法案を強行採決で済ます国。この国で「美しい国」という馬鹿なキャッチフレーズが通る国。

「大人が変われば子供も変わる」今月の青少年非行防止月間の標語だけれど、これは自民党に対するアテツケじゃないのか?

政治が変わらないと、不良になってしまいそうな、今日この頃のIWANAです。

皆さんいかがお過ごしですか。庭のギボウシに白い花が咲きました。

それでも貴方は、利権偽装ミンチの自民党ハンバーグを食べ続けますか?

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