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2007年3月18日 (日)

シーシャムスクリーン

sheesham   indian rosewood インド製

Indofrodsham_001 終わりは始め。

死を再生の契機とする輪廻転生の考え方。

始めもまた終わりであり、所詮この世は大いなる幻影・マハーマーヤなのかも知れない。

執拗なまでの文様の繰り返し、溢れんばかりの植物文様の充満。インドの人々は空白を残す事に恐れを抱いているようである。ひろくアジアでは、空白は物質的あるいは精神的貧しさの証しとされている。

60年代から70年代にかけて、インドの民芸品が、今のアジアン雑貨のように街に溢れた事がある。ヒッピームーブメントの影響だったのだろうか。シーシャム、紫檀の一種、インドローズウッド。重くて堅い、加工の難しいこの木に、びっしりと彫刻を施した家具や小箱がブームになった。とても細かい装飾が施されているけれど、驚くほど雑で、買う時はかなり注意しないと彫刻が途中で放棄されていたりした。

Indofrodsham_003_1  当時、インド中部の、とある彫刻の町では、古くから素晴らしい彫刻技術が受け継がれてきたが、日本を始め世界的なブームで、作れば売れるという状況が続き、にわか彫刻師による粗製濫造でシーシャムが枯渇し更に技術も荒廃し、あっというまにバブルは崩壊し、木彫の街の伝統が消えたという話を読んだ事がある。

Indofrodsham_002_1 計算高くて商売に細かいインド人だけれど、あらゆる物が無頓着とも思えるほど未完成である。

これを、あるインド人は、こう言っている「物事は完結してはならないのさ。きっちりと終わってしまうより、たとえギクシャクしていても、そこにかえって生命が宿り、その力をもって、また新しい展開がはじまるのだ。」と。

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コメント

物事は完結しない。永遠に続くから。
しかし人の命は、限りがあり、家には死体を安置し洗う場所がある。リトルワールドで驚いた「インド」の家を思い出しました。
時々このまま息が止まるのではないかと思うことがあります。約1時間の通勤途上音楽を聴きながら(クラッシック)本を読んで過ごしています。この生活をこれから何年するのかと毎日思いながら朝を迎えます。
インドも日本もそして我々もこれからを考えると何が見えるのでしょうか?

投稿: Wienの薔薇 | 2007年3月18日 (日) 23時30分

Wienの薔薇様
今日の電車の車窓からは何が見えましたか?インフルエンザがまた猛威をふるっているようです。今頃はビルのコーヒーショップですか?
日本総研の寺島実郎氏は団塊の世代に「老成を気取り小成に安んずる前にやるべき事に向き合わねばならない。」と煽っているけれど安んずる事など出来ない俺たちってどうよ。
まだ、20年以上生きなければならないのですね。早く俺たちをオジイサンと認めて欲しい今日このごろです。
それなりに今日も生きて下さい。明日またTELします。

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2007年3月19日 (月) 08時44分

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