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2007年3月31日 (土)

天然 アマゴ

Kanzaki_006_1 こんな美しい魚を、こんな美しい景色のなかで、まるでミネラルウォーターのような水の中から釣るのです。

だからといってこんな残虐な行為が許されるものか?

餌のイクラに針を隠して、落ち込みの白泡の中に落とし、流れに乗せて糸を引く、流れよりほんの少し早く。

虚実皮膜、虚と実のハザマで餌を躍らせて魚を誘う。実のままでは誘いにならないし虚のままでは魚は騙されない。まるで演技論のようではないか。観阿弥世阿弥か、スタニスラフスキーか、はたまた千田是也か。

仏陀は魚が嫌いだったみたいだけれどキリストは漁師だったというし、月に一度や二度の殺戮は、普段の虫も殺さぬ誠実な生き様で相殺されるのではないだろうか。

それにしても、桜を愛でながらの釣行は、まことに最高。

アベチャン、君たちの施策は、この山奥には何も及ばないけれど、この国はそのままで美しい国だよ。

Kanzaki_007 長良川支流神崎川釣行 2

魚篭には今日も魚より重い石数個

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2007年3月30日 (金)

ノリタケスタジオコレクション 葡萄杯

Noritake Studio Collection

久々にノリタケの登場。オールドノリタケという訳ではないけれど70年代なかばのスタジオコレクション。

Nb0nechina_003 当時のIWANAの収入ではかなり決断が必要だった買い物。その頃のノリタケのポジションといえばデパートの家庭用品のフロアーでも他を寄せ付けないステータスを誇っていた。とりわけスタジオコレクションのコーナーは黒一色のモダンな造りで近寄りがたいオーラに包まれていた。もちろんノリタケのスタジオコレクションなどという物は、ごく一部の一流デパートでしか扱へなかった。

ノリタケは昭和10年からボーンチャイナの本格的生産を始めるが、名実ともに世界の一流品としての名声を得たのはボーンチャイナによってではないか。

硬質磁器とは異なり、軟質磁器独特の温かみがあり、優雅かつ清澄で艶麗。

IWANAのボーンチャイナとの出会いは、小学校五年生の頃に遡る。

とても背が高くて美人で、水泳の選手で、朝は始まる前に、教室でシミーズ姿になって平気で着替えする男みたいな性格の藤田先生。

Nb0nechina_001 IWANAは、先生のお気に入りで、よく内緒で学校帰りに約束して岐阜駅前の食堂でオムライスを食べさせてもらった。先生の家は、庭に滝が三本もある凄い豪邸だったけれど、当時はお父さんもなくなって斜陽。

先生の自慢はノリタケのボーンチャイナの金魚の置物。先生のお宅は、庭を見に進駐軍が良く来たが、アメリカ人は皆、ノリタケに大騒ぎすると繰り返し聞かされた。でもIWANAは何時も「滝が三本」に驚いていた。そりゃあそうだろ先生がスイッチを入れるとドドーッと音を立てて滝が流れだすのだから。バスに30分乗って何度も先生の家に通う価値は充分あった。

この頃の藤田先生の影響だろうね今のIWANAは。

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2007年3月28日 (水)

アイアン ガーデンチェアー

Iron_010ショッピングセンターの、 花屋さんのウインドにデイスプレイされていたアイアンの椅子が気に入って分けてもらった。

値段からみてもアジア製のものだと思うが不都合な部分は見あたらない。繊細なデザイン。どことなくチューリップをモチーフにしたようで、アジアンテイストのシツコサもなくオシャレ。少し錆びも浮かんで程よくエイジングも進んだので、このあたりでワックスをかけてやろうと思う。

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2007年3月25日 (日)

ロートアイアン ブラケット

Iron_007 ジョン・スミスといえば英語圏でもっともありふれた男の名前で、日本で言えば鈴木一郎さんみたいな名前。スミスとは鍛冶屋に由来する名前、ブラックスミスが鍛冶屋、ゴールドスミスが金細工師。

ちなみにドイツ・オランダではシュミット、フランスではルフェーブル、ロシアではコヴァルスキー、イタリアではフェラーノ、フェラーリはフェラーノの派生語でやはり鍛冶屋。ちなみにシューマッハは勿論、靴屋。F-1の話みたいだけれど、鍛冶屋の話。

こうして、鉄の素材のブログを続けてアップしてみると、なんとなく画面に雰囲気が出てきたんじゃないかな? つまり鉄という素材は、建物やインテリアのイメージつくりにとても有効なアイテムなんだよね。デジタルカメラの画像は少し色合いがオーバーに出るけれど、鉄さびの汚れすらナカナカいい雰囲気を出しているだろ。

ブラケットはイギリス、鳥篭は中国。ブラケット、いかにもブラックスミスの意地みたいなものが伝わってきていいだろ。

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2007年3月23日 (金)

ロートアイアン 窓飾り

ロートアイアンの窓飾り、ロートアルミのプランターボックス。

Iron_006_1 八代亜紀風に言えば、「家には飾りが無いが良い、肴は炙ったイカで良い。」という事になるわけで。勿論わが家も、建築時には、予算も無く、外観は真直ぐで、刑務所のようにシンプルな物にするというのがコンセプトだった訳だけれど、余りの殺風景さに、退職金で少し飾って見たのです。

上の窓飾りがロートアイアン、下のプランターボックスがロートアルミ。ロートアイアンとは、昔からある、鉄を叩いて整形し、古色をだす製法。ロートアルミは、木造の日本の家事情に合わせ鉄の30%の軽さとアルミの錆びにくさに着目し、アルミを叩いてアンティークに仕上げた物。

我が家のそれは、上下、素材もメーカーも違い、いささかアンバランスではある。フラワーボックスも窓飾りと同じ素材の物があったが、あまりの重さに、取り付け方法を考えて、ロートアルミの他社の物にした。

後付で、しかも我が家は軽量気泡コンクリートの為、取り付けボルトが効かないので、特別なボルトを作り、表面のタイルに穴を開けコンクリートを通し鉄骨にボルトを食い込ませるという手間のかかる方法でようやく取り付けた。

家というのは、時間をかけて、育てていくものだというのがIWANAの考え方。ガウデイのように、更に時間をかけて徹底的に。でもね資金が既に・・・・。

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2007年3月21日 (水)

アルミキャスト 垂れ壁

Iron_003 昨日に続いて、前世紀風スタイルのエクステリア。

時代物なら鉄製だけれど、アルミ鋳物に黒の塗装。

ユーゲントシュティル風の控えめなアールヌーボー。我が家の玄関先の装飾。(欧米か!)

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2007年3月20日 (火)

アイアンファニチャー ベッド

STYLE FRANCE  

Iron_001 スタイルフランス、南欧風のスタイルをテーマにしたセレクトショップの物。             フィリピン製。

我が家のインテリア・エクステリアの鉄の物を少し紹介してみます。日本の家には馴染の無い素材だけれどIWANAは鉄という素材がとても好きなのです。19世紀20世紀初頭の雰囲気。これを演出するには必須のアイテムだと思うのです。

今回は、鉄製のベット。

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2007年3月18日 (日)

シーシャムスクリーン

sheesham   indian rosewood インド製

Indofrodsham_001 終わりは始め。

死を再生の契機とする輪廻転生の考え方。

始めもまた終わりであり、所詮この世は大いなる幻影・マハーマーヤなのかも知れない。

執拗なまでの文様の繰り返し、溢れんばかりの植物文様の充満。インドの人々は空白を残す事に恐れを抱いているようである。ひろくアジアでは、空白は物質的あるいは精神的貧しさの証しとされている。

60年代から70年代にかけて、インドの民芸品が、今のアジアン雑貨のように街に溢れた事がある。ヒッピームーブメントの影響だったのだろうか。シーシャム、紫檀の一種、インドローズウッド。重くて堅い、加工の難しいこの木に、びっしりと彫刻を施した家具や小箱がブームになった。とても細かい装飾が施されているけれど、驚くほど雑で、買う時はかなり注意しないと彫刻が途中で放棄されていたりした。

Indofrodsham_003_1  当時、インド中部の、とある彫刻の町では、古くから素晴らしい彫刻技術が受け継がれてきたが、日本を始め世界的なブームで、作れば売れるという状況が続き、にわか彫刻師による粗製濫造でシーシャムが枯渇し更に技術も荒廃し、あっというまにバブルは崩壊し、木彫の街の伝統が消えたという話を読んだ事がある。

Indofrodsham_002_1 計算高くて商売に細かいインド人だけれど、あらゆる物が無頓着とも思えるほど未完成である。

これを、あるインド人は、こう言っている「物事は完結してはならないのさ。きっちりと終わってしまうより、たとえギクシャクしていても、そこにかえって生命が宿り、その力をもって、また新しい展開がはじまるのだ。」と。

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2007年3月16日 (金)

フロッザム掛け時計

Frodsham     Gracechurch Street London

Indofrodsham_004 19世紀のイギリスには、およそ八万にのぼる時計メーカーがあったという、それらが今は跡形も無くなってしまった。あのロレックスでさえ元々はイギリスのメーカー。

フロッザムもまた、英国王室御用達の時計メーカー。文字盤のローマ数字とFrodshamの装飾文字がイギリス気分満点ではないか。手描きの味が残った印刷、文字盤も額縁も、木の板に印刷紙である。日本人ならプラスチックと金属でサッサとやっつけてしまうところがこれだよ、産業革命の名残さえ感じるよね。イギリスって良いよね。

てもねクオーツだし、と思って裏をみたら機械はHERMLEヘルムレ、ドイツ製なんだよね。ヘルムレの方が今や有名な時計メーカーなんだけれどドイツ製の機械で動く英国製の時計ってどうよ。ヘルムレの心臓にフロッザムの皮を纏った時計ってどうよって、オジサンは理屈をこねて、絡みはじめるわけだけれど。

じゃあ印刷した、この紙一枚が英国魂か? maid in Britain 君たちのスピリットはそんな薄っぺらな物だったのか?なんて。

たしかにクオーツの時計を以ってして、英国魂を語ろうとしたIWANAが世間知らずだったんだけれど、印刷した紙の文字盤と額縁だけでも、そこはかとなく君たちイギリスの、いやグレートブリテンの気品を感じるよね。すくなくとも日本製のクオーツムーブメントを使わなかっただけでも君たちの誇りを感じるよって皮肉を言ったりして。

この、「面の皮一枚」ってヤツも大事だよね。皮一枚でイギリスを感じさせるイギリスって凄いよな、なんて変な感心しつつ、今日も退屈しのぎにブログを綴ってみたけれど。

世間はどうよ、景気はどうよなんて、パソコンの液晶相手に「つぶやきシロー」の今日このごろです。皆様いかがお過ごしですか。

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2007年3月13日 (火)

T様への手紙

T様 お元気ですか。

仕事は上手くいっていますか。ビルから富士山は見えますか。

暖かかったはずの冬が最後の最後に荒れ狂っています。冬が冬を馬鹿にするなよとばかりに冬を主張しているようです。

もう終わったと思った厚手のセーターをまた着ています。でも後一ヶ月もすれば夏の背広に変わるのですね。

再度働き始めてネクタイは買いましたか。背広は買いましたか。

まさか惰性で、アノ頃のネクタイを使いまわしで着ていないだろうね。IWANAは去年、気合を入れるためネクタイは何本か買ったよ。T様が好きなクレリックのシャツは今年の流行の様だね、派手目のストライプのクレリックをノーネクタイでというパターン。

IWANAはといえば、この夏はシーメンスタイル。ビンテージミックスのホワイトのカバーオールに去年のビンテージのジーンズを合わせようって。靴は学生時代みたいにソールを麻で巻いたエスパドーリーユ、俺たちの頃は確かカナリーシューズとかいってたよな、石津謙介がこれみよがしに素足に履いてたヤツだよ。

昨夜はテレビで小椋桂にしっかり泣かされて、T様に手紙を書きたくなったミッドナイトの孤独なブロガーのIWANAです。

明日も風は強そうです。この頃ベッドに入ると、このまま目が覚めない夜であって欲しいと思います。

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2007年3月12日 (月)

水石

Niwa_003 昨日は、完全日陰の、箱庭の様な裏庭の、石を並び替えて遊んだのだけれど。

これについて語るなんて野暮だよね。

そのまんまで、まるい気持ちになれるよね。

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2007年3月10日 (土)

柄足袋

Tabi_003 先日来、着物の事を考えていて、男の着物って奴が欲しいと思っているのだけど、家内にそんな事は70になってからにしてと笑われていて。昔オフクロが作ってくれた、大島と、親爺の物を仕立て直した単衣は持っているのだけれど、少しばかり粋なものが欲しい。しかし確かにIWANAが、今、着物を着て歩いても粋とは程遠く、変なオジサンそのものだという事もとても理解できる。

作務衣か甚平あたりが無難で。作務衣は好きで色々持っているけれど、楽なところが良いのだけれど、どこか締まりの無いところがある。足元なんだなと、考えていて、作務衣の時の履物といったら、だいたいがサンダルだけど、やはり足袋に下駄か雪駄だよねと思いつつ、寺の坊主は白足袋だけれど、汚れがあると興醒めだし、素人が履けばオカマみたいで、しかし黒足袋ではお百姓みたいではないかと思いつつ、ネットで見つけた柄足袋を買おうと思っていたら、今日、恒例の岐阜・金神社の骨董市で見つけたのよ柄足袋を。

Tabi_002 もちろん、骨董ではなく、新品。中国製。一足千円。履いてみたけれどナカナカ良し。

フェアトレードショップで買った、タイの未亡人手作りの、綿紬の作務衣に、インナーはエディバウワーのヘンリーネック、これに柄足袋と雪駄。

Tabi_001 やはり、変なオジサンかなと、金神社横の件の喫茶店で、モーニングコーヒーを戴きながら、退屈しのぎの今日この頃です。みなさんいかがお過ごしですか。

モーニングサービスもお洒落だし、ウェッジウッドの器も良いよね。シナモントーストがとても美味しかった。

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2007年3月 7日 (水)

重錘式掛時計

SEIKO 8DAY

Clok_005 どこの家にも、これが我が家のアイデンティティだと言える物があるだろう、もし我が家のそれを問われたら、間違いなく、我が家のそれは、この掛時計だと家族みんなが答えるだろう。

この時計が、昨年の秋、止まってしまった。さすがに、三十年間なんのメンテナンスもしないまま動き続けた時計だからと諦めかけたけれど、新聞の、岐阜の柳ケ瀬に「おじいさんの時計屋さん」という処があって、修理に困った時計コレクターからの依頼が殺到しているという記事を思い出して出かけた。

柳ケ瀬の路地に小さな二坪程の店がある、爺さんの机と客からの依頼の時計が壁に沢山かけられて、客は座る場所も無い。確かにお爺さんだ、ピノキオに出てくるようで、頑固そうで、優しそうだけれど目の奥が光っていて。そして、やはり、この類の人にありがちな話し好き。もちろんIWANAもその類だから話は止まらない。持っているもの持ってくる物を見れば診断書も履歴書も無くったってお互い全てお見通し。この時計、機械が良いから直りますよ、だから直して使わないといけないよ。でもね、この重錘式時計という奴は調整が大変でね・・・一ヶ月時間を頂戴よ。というわけで諭吉一枚。

古い振り子式の掛け時計には、この時計の様に重錘駆動とゼンマイ駆動の物がある。子供の頃、学校の図書館や時計屋さんの店先には「鳩時計」があったよね、あの鳩時計も錘のついた重錘駆動、錘が二つ付いていたりしたよね。

この時計が留守をしていた一月は、我が家の居間は、まるで神様の居ない神棚のようで、ブルータスの居ないシーザーの行列の様で、いやタモリの居ない「笑っていいとも」みたいな間の抜けた日々だった。

居間に、この時計が復活して、脱進機の規則的なカチカチという音が復活して、ようやく我が家のペースが戻ったような気が強くした。この時計こそ、我が家のペースメーカーだったのだと改めて実感。

それにしても、この佇まい、民芸風で、派手すぎず、頂部の飾りが象徴的で良いだろ?

文字盤も白一色でシンプルで知的だろ?時計って本当にいいよね。

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2007年3月 5日 (月)

柴田正明作 常滑花活

0702214_002_2   陶芸のマーケットの零落ぶりはかなりなもので、いったい現在、陶芸家として居られる人が、どれ程この世の中に居るのかと思う、多分、三十年前より大幅に減っているのではないか。

この国は、豊かになったのか貧しくなったのか。

0702216_001 写真は1977年に名古屋のギャルリー・ユマニテで行われた「常滑5人の個性」展のDMに載った物。前列左から北村堅治・久田邦男 後列左から鯉江良二・沢田嘉予子・柴田正明氏。陶芸のメッカ東海地方でも、最も元気が良く熱気に溢れていた常滑の新進気鋭の5人だった。

作者の柴田氏は1949年生まれ、IWANAと同い年だけれど、当時すでに注目の作家だった。この5人のその後を調べてみようとネットで検索したけれど、驚くほど情報が少ない、ならば沢山書かなければと思うが、だからこそ迂闊な事を書いてはいけないなと思う。

作品はIWANAが最も愛する物だけど、説明は要らないと思う。皆さんの網膜に映る全てで批評戴けば良いのでは。

例えば、江戸時代。茶道で使われる水指は、その頃の大工さんが半年働かないと買うことが出来なかったようです。今の価格に換算すると三百五十万円ぐらいだろうか。蕎麦ちょこは一個が女の人の一日の賃金に等しかったようです。

現在の様に量産がきかなかった時代に陶器というのは大変高価な物だったのです。

現在は、安くて、オシャレな陶器も、使いやすい陶器も溢れているけれど、陶芸家が生きられない時代というのは、どうよって思うのよね。

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2007年3月 1日 (木)

十五の春 岐阜・梅林公園の思い出

Bairin_005_1 母さん、今年も、梅林公園の梅がいっぱい咲きました。

今年は、暖冬で、すでに満開です。

でも、あの日はとても寒い日でしたね。学校へ行くあぜ道が霜で白かったのを覚えています。IWANA 十五の春の、岐阜の県立高校の合格発表の日です。

前日に宗宮君が夜中に尋ねてきて不合格だったと親戚の人から聞いたと。IWANAと、ほぼ同じ成績だった彼も、ワンランクレベルを落として臨んだ高校だけれど。しょげかえる彼を慰めながら、彼は後半遊んだからな・・と思いつつ、自分まではとは信じられなかったのです。でも困った事に、実はスベリ止めの私立の受験は、担任がお金の無駄だと言って受け付けてもらっていなかったのです。

Bairin_002 爆発しそうな不安と、あきらめきれない希望を抱いて、母と向かった高校にIWANAの番号は有りませんでした。合格発表の最後に、便箋で、以下の者は下記の高校へ発表を見に行くようにと書かれていました。ようやくそこに自分の番号がありました。

行った事の無い街の、見たことも無い高校へ、発表を見に行くことになりました。どこをどう行ったのか記憶はありません。

二次志望という事で下位の高校に救われました。高校受験などというのは、模擬試験の成績で予め振り分けられる為、そんなに番狂わせがあるはずもないのに、どうした事かIWANAの中学から受けた18人の内12人が落ちてしまったのです。

母親とは、合格祝いはテニスラケットという約束でした。中学では演劇に夢中で、母親からは、高校では演劇はダメと言われていたのです。理科がとても好きだったIWANAは密かに医学部を目指していました。高校ではテニス、そして医学部と夢を描いていました。

Bairin_003_2 

岐阜から電車で30分もかかる田舎の高校を見て岐阜へ帰ると、母は梅林公園へ行こうと言い出しました。誰とも会いたくない気持ちですが、母親への負い目から梅林公園へ付き合いました。母親は「植東」の田楽を食べさせてくれました。当時の我が家の状況で言えば嵐山の吉兆でランチをするようなものです。母は何もIWANAを責めないけれど、教育者あがりの母親の落ち込みは痛々しい程です。IWANAは、必死で馬鹿を言いながら、心配するな大学受験では絶対リベンジするからと・・・。でも、そんな自信など何処にもなく、心の中はグシャグシャでした。

帰りに母は、柳ケ瀬でテニスのラケットを買ってやると言ってききません。不合格だったし、もうテニスどころでは無いよといっても、無理やり押し付けられました。欲しかったテニスラケットも虚ろな気分で持って帰りました。

あれほど好きだった理科が全く解らない教科になり、もちろん医学部など想像だに出来ず、校章を隠す様に帽子を被る劣等感に苛まれながらの三年間だったけれど、田舎の高校は、いい奴ばかりで、全くやる気の無い教師も居たけれど、とても良い先生も居て、あの苦しかった三年間はとても充実した三年間だったと思います。

母さん、「植東」の豆腐田楽はIWANAの出発点だと思うのです。十五の春に一番悲しかったのは僕ですよ、でも僕より悲しんでくれた母さんがいたから僕は頑張れました。

Bairin_001_1 あの日の豆腐田楽は、消しゴムの様で、景色は白黒だったけれど、今日の梅林公園は、淡く上品な色に溢れて、豆腐田楽も芋田楽も柔らかく美味しかったです。

母さん、天国で梅は咲いていますか?

豆腐田楽は有りますか?

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