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2007年1月 5日 (金)

横山伸哉君の死を悼む

月並みだけれど若すぎる、余りにも早過ぎる。

享年49歳。

君の訃報を 「きっこぱぱさん」からのメールで知りました。新年の初メールが、君の訃報とは。

広告業界での君の活躍は以前から聞いていました。後輩の君の活躍は同じカテゴリーを追求してきた小生にとって誇りでもありました。

昨年暮の演研の同窓会に君が始めて参加してくれて、永年、噂に聞いていた君を観て、柔らかな物腰の向こうに君の切れと洗練を見たよ、うれしかった。昇りつめた君の肩書きを見て君の今までの努力を察し、そして今後の君の苦労を思っていました。

IWANAはかねがね、勤め上げた定年の翌日に、柿の木がバキッと折れるように死にたいと思っていました。いま荒波のなかでグシャグシャになりながら死ぬきっかけも掴めないまま恥をさらして生きながらえていますが。

君との別れに際し、二千年前のローマに生きたセネカの言葉を送ります。

「いずれは去らねばならぬ所を、少しばかり早く去ったところで、それが何でしょう。配慮しなければならぬのは、長く生きることではなく、充実して生きることです。芝居と同じように人生でも、問題は、それがいかに良く演じられたかであって、いかに長く演じられたかではない。」   君は役者として素晴らしかったよ。

若くは演劇を志し、そして魑魅魍魎の広告業界を激しく走り抜けた君に、先輩として言えるのは「短くない人生などない。」という事です。 よく頑張ったね横山、お疲れ様。Photo_1

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野に咲く花のように」カテゴリの記事

コメント

驚きです。横山氏の突然の訃報をこんな形で知ることが残念です、心より哀悼の誠を奉げます。彼が残してくれたものを、大切にしたいと思います。

投稿: 1048bashi | 2007年1月 6日 (土) 00時01分

信長も漱石も太宰も安吾も皆
50ぐらいしか生きなかったけれど
誰も それを短かったとは 言わないだろう
横山氏に 安息あれ!

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2007年1月 6日 (土) 14時52分

一月七日降りしきる雪の中、横山伸哉君は三百余名の参列者に見守られ仏になった。
弔辞にあなたの口癖が紹介された「マグロだよマグロ。止まったら死んじゃうんだよ!」
全速で泳ぎ回ったあなた。元旦に倒れ集中治療の甲斐なく五日早朝逝去。
皆を楽しませ感動させ気配りし大いに意見を聴き、しかし最後は自分の思うままに仕上げたそうな。
役者冥利につきる、あなたのプレゼンテーションをみてみたかった。
遺影が「もうひとつとっておきがあるんです」と言わんばかりだ。
出棺のとき、いつしか雪はやみ、眩しいばかりのあなたの旅立ちとなった。
あらためて、合掌。きっこぱぱ

投稿: きっこぱぱ | 2007年1月 8日 (月) 08時25分

マグロか・・・。
男だね。頑張ったんだね横山。最高だよ。
好きだよ、そういう男。

でもな、今度は
野に咲く花で良いぞ。
             かさねて合掌。

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2007年1月 8日 (月) 09時58分

偶然このブログを見つけました。
横山さんの死を悼み、こうしてブログに書いてくださった方がいたこと、別の立場で彼を知る者としてありがとうございますという気持ちでいっぱいです。
12月中旬から「胸が苦しい」って言っていたのに・・「忙し過ぎ、働き過ぎだよ。生きてればこそだよ・・後で褒められても仕方ないんだから・・」って半分冗談で言っていたのに本当にこんなことになってしまったんだね。
救えた命ではなかったか?という後悔の念が今だ強くて、私には、セネカの言葉を受け止めるにはもう少し時間がかかりそうです。ただ、楽しみに出かけていった演研の同窓の方からこうして哀悼の意をいただききっと彼も喜んでいることでしょう。
こんなにも早い死に向かって疾走していった横山さん。いつかきっとまた会いたい人です。

投稿: ある友人 | 2007年1月10日 (水) 02時19分

ある友人様
お立ち寄りありがとうございます。
毎日、たくさんの人が「横山伸哉」君の名前を検索して、このブログを訪れて下さいます。驚いています、改めて、彼の交友の広さと大きさを感じます。
是非、皆様のコメントをお願いしたいと思います。

「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」  
                兼好「徒然草」

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2007年1月10日 (水) 09時16分

またお邪魔しました。
一昨日知人からTELがあり、彼が亡くなったことをやはり非常に驚いていました。
少しばかり年下の知人は、彼から仕事というものについて様々な事を学んだとのことで、叱られもしたが今こうして何とかやっていられるのも横山さんの教えによるところも大きいのだと、そして東京へ会いに行こうかとも思っていたのにと・・・ふたりでまたしみじみため息ついてしまいました。
やっと名古屋に戻って来たと思っていたのにね・・・。
20年程前の初めてあった頃の彼は、ものすごく鋭いものを内に秘めている印象でした。
日常の発言はユーモア溢れるものでいつも周囲に笑いを振りまいていながらも緊張感を忘れうっかり緩んだ気持ちで対応しているとスパッと切り捨てられるような、そんなこわさもあわせ持っている人でした。
そんな彼が、最後は少し疲れていてキャサリン・ジェンキンスの歌声に癒されると言っていたけれど・・・。
IWANA様、長々と書いてしまいました。私の知らない大学時代の彼もきっと何かひきつける魅力を持った人だったのでしょうね。こうして遺影まで載せて追悼してくださっているのですから・・

投稿: | 2007年1月13日 (土) 08時14分

ある友人様

大学の四年間を一世代とするなら横山君は二世代下です。しかし横山君の事は、何も知らないけれど、全て知っているような気がします。

私たちのA大Nの演劇研究会の同窓会は毎年12月、欠かさず20年つづいています。「きっこぱぱさん」の努力が全てですが、実は、私も「ぱぱさん」も部員であったのはほんの僅かです。

不思議な集団で、いつも離合集散を繰り返し、IWANAの世代はクラブとして芝居をやったのは二回だけです。しかし面白いメンバーばかりで、いつも勝手な団体を名乗り部室を勝手に使い他所で芝居をやっていました。いつも名古屋の状況の小さな熱帯低気圧くらいの存在でした。

横山君の世代は、我々よりは少しレベルが上でオリジナルの台本で場末だけれど劇場を借りて公演を行っていた世代です。

同じフィルターをくぐり、同じ世界でタムロし、同じ門を出て、同じ世界へ出て、同じ世界で呼吸した。それだけで全て通じるものがあると思います。

同窓会は今や横山君の世代に中心が移っていますが、先輩後輩なんて敷居の全く無い我がクラブは、全てが同志であり戦友です。

闘い続けた横山氏も、ようやく年に一度くらいは、そんな世界に戻って、まどろんでみたいと思ったのでしょうか。同志というのは、いいものです。

投稿: 団塊堂主人 IWANA | 2007年1月13日 (土) 10時07分

A大演研、自由で熱い集団だったんですね。そして、彼にもその中で生き生きと過ごした一時期があったのですね。
何年ぶりかで出席する同窓会を嬉しそうに語っていた姿がよみがえります。
良かった。
最後にありのままの自分でいられる仲間たちとの時間を持つことが出来て・・・。
彼もきっとこの点は、神様に感謝しているのではないかな?

本当は、まだまだこの世界に留まって、いずれはIWANA様のように心豊かな時間の中に身を置きまどろんでみたかったでしょうが、今となってはこれも運命だったのだと思うしかありません・・・。

それにしてもここを見つけ、こうしてコメントすることで、私はずいぶん救われました。
ありがとうございました。
同時にIWANA様の素晴らしいコレクションにも癒されました。ほっとしました。

これからも時々立ち寄らせて下さい。
コレクション楽しみに拝見させていただきます。
もう一度、ありがとうございました。

投稿: ある友人 | 2007年1月16日 (火) 01時32分

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