2024年11月17日 (日)

アガベる。

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さて、老人は古い車に乗っているから、いよいよ車が故障し始めて、
ここ数年、毎年 諭吉がマイクロバスに乗って家を出ていく。
二か月ほど前、いよいよ動かなくなり、ディラー入りした。
考えてみれば、もう軽自動車なら買い替えが出来たのにと家内は言うが、
エンスーの老人は何とか直して乗り続けたいし、ディラーのメカニックは何とか直しますと、ネットでアメリカに問い合わせしたり頑張ってくれているが、さすがに二か月も車のない生活には耐えられなくなってきた。

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数日前にも、もうギブアップしたいとディラーに電話をいれたが、もう少し頑張るからとの返事。
代車を探すからというが、大きなアメ車しかない会社だから、なかなか難しい。
もう、軽トラで良いのだが。



すでに老人は、
たとえ「神田うの」が、いいわ と言ってくれても、
それに耐えられないのだ。
老人は。

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アガベに なんの関係もない話で恐縮。

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2024年10月 3日 (木)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。 ⑧ 日本のモダンガール おてんば娘

モダンガール 日本には、おてんば娘という表現がありますが、

第一次世界大戦による大戦バブルは、日本にも成金を生みます。

 

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1931年撮影  毎日新聞

バブリーでパワフルな日本のモダンガールです。
アメリカのギャッビーに少しも負けていません。
この写真でも、傘は和傘です。

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1924年撮影




銀座を歩く三人の女性、先頭のクロシェにワンピースの女性、
まさにモダンガールです。和傘です。
奥の着物の女性、着物といっても大正ロマンですが、着物姿に洋傘です。
今風に言えば、トレンディな女性が和傘の日傘です。

洋傘が買えないから和傘というわけでもなさそうです。




ここで面白い資料を見つけました。
昭和四年に発行された「岐阜傘に関する調査研究」という251ページの本です。
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加納にあった、岐阜農林学校(岐阜大学農学部の前身)教授の岡村精次、
助教授の神馬仁太郎さんによって書かれたもので、
序文は岐阜市長が書き、発行者の横には岐阜市役所の記入もあります。



この本の、 最終章 結論 の中に

明治維新後は外国文化崇拝の世の中であって蝙蝠傘が便利であった為に傘を用ふるものは何となく趣のあるもので、殊に婦女子の日傘においてさうである。
近来婦女子の間に断髪、洋装、絵日傘と云う珍妙な風俗が流行してきたばかりでなく、一般に婦女子の日傘は需要が増加する傾向がある。
歴史は繰り返すが徳川時代に婦女子は紙張の日傘を用いたものである。 
と、あります。



でました。


近来婦女子の間に断髪、洋装、絵日傘という珍妙な風俗が流行とあります。


もちろん、モダンガールともフラッパーとも書いてありませんが、
当時の先端的な流行として和傘・日傘が使われていたということが書かれています。

洋装なら洋傘、和装なら和傘という、我々の中にある常識とは逆の選択です。
モダンガールにとって和傘・日傘という選択は
アールデコの時代のファッションとして必然であり定石であった、
つまり逆輸入された、云わばパリ直輸入の、
もっともトレンディな選択であったのです。
断髪・洋装・絵日傘
なんども申し上げてきた、アールデコ期
のモダンガールのファッションです。



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image by shirokiya/public domain


念押しで、日本のビーチフラッパーの写真。
大正ロマンですね。


露出は少ないですが、かなり先端をいくファッションであったことは間違いありません。
いずれも和傘です。

私たちの加納の和傘が、世界のモダンガールの人気アイテムだったという件、

あながち、アンティーク老人の妄想でもないなと、
ガッテンして戴けましたでしょうか。



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その後、加納の和傘は急激に生産量を増し、昭和15年には900万本、
最盛期の昭和24・25年には1,500万本もの生産量となりますが、
このころから洋傘の普及で、あっという間に市場を失います。
「なんである アイデアル」 
植木等のコマーシャルが
普及しはじめた白黒テレビで盛んに流されたのは昭和38年頃です。



長文にお付き合いいただきありがとうございました。
おわり

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2024年10月 2日 (水)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。⑦外国のファッション誌に見る和傘

アールデコ期のフランスの有名画家 ルイ・イカール(1888年~1950年)の版画が二点あります。


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退廃的な美人女性が差している傘は、和傘です。



この他にも この時代のファッション誌には和傘がふんだんにでてきます。


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もう少し 年月をはっきりさせ確信を持てる資料がないか調べてみました。



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これは、アメリカ版ヴォーグの大正13年(1924)3月上旬号の表紙です。

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パリのパラソル店の店頭のイラストで、ピエール・ブリッソーの作品です。


傘のディスプレイの真ん中に和傘があります。


Chanel


つづく

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2024年10月 1日 (火)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。⑥ モダンガールとペーパーパラソル

磁器のフィギュアのことを調べるうち 

傘について気が付いた事があります。

オモチャのフィギュアの話からリアルな女性のファッションに話を切り替えます。

 

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ジャンセンの水着が売りに出されたのが1920年代後半

海水浴の効用が説かれ 人々が

 

海辺に出かけるようになった時期です。

 

当時のトップファッションの水着です。

みんな傘を持っています。肌がよわい白人女性だからでしょうか。

 

傘をよく見ると洋傘ではありません。

この時期の、傘をさした女性の写真はたくさんありますから調べて見ました。

 

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この写真は、傘の内側がよくわかります。どう見ても和傘です。
キャプションには、トラディッショナル ジャパニーズ スタイルとありますから、和傘にまちがいありません。

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この傘も、内側の糸かがりまでよく映りこんでいます。
和傘にまちがいありません。


ただ、ここまで紹介してきた写真、雨の日の写真がありません。
そうです、日傘だからです。

③のブログで、昭和初年つまり 大正15年
加納の日傘が 国内向けと同量の50万本ほど海外に輸出されていたことを紹介しました。 


日傘・ペ-パーパラソルというと、なんだか安物に思いがちですが
加納町史によれば、日傘には絹などが使われていて、雨傘より日傘の方が高価であったという記述があります。


ちなみに昭和四年の和傘の原価が紹介されています。
雨傘の原価が 84円80銭  そのうち紙代が 80銭
日傘の原価が 92円25銭 そのうち絹代が38円45銭


ということで日傘は 安価な紙の傘として輸出された訳ではない事がわかります。



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つづく

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2024年9月30日 (月)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。⑤ 二つの世界大戦

さて、第一次世界大戦です。

大正3年(1914)から、大正7年(1918) ヨーロッパを主戦場に

英仏露伊日米の連合国と

中央同盟国 ドイツ ハンガリー オスマン帝国 ブルガリアが戦ったわけですが、

日本は連合国側で参戦します。

 

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この戦争、ヨーロッパを主戦場とした戦争で、ヨーロッパの国々が破壊されつくします。

 

それまでドイツは工業国で、陶磁器や生活用品 工業製品の生産国でした。

 

 

アメリカに敵対したドイツ製品は、アメリカから排斥されます。

味方のイギリスもフランスも戦争に男手をとられ 工場は破壊され生産能力を失います。

 

 

戦場から遠く離れたアメリカは、ドイツのお株を奪い、

あらゆる工業製品の生産国として躍り出て、また同盟国、戦場となって生産力を失くしたイギリスやフランスといった同盟国の需要も取り込んで、下品な言い方ですが ぼろ儲けします。

 

 

ついては、日本もドイツに代わり、

陶器やオモチャ、生活雑貨を戦争景気に沸くアメリカに輸出して、ぼろ儲けします。

東南アジアや南米といった市場も

ドイツやイギリスの商品が止まり、多治見や瀬戸の陶磁器が面白いように売れていきます。

 

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戦争に参加しながら、戦場から遠く離れて、商売に励むわけですから、

こんな美味しい話はありません。

オールドノリタケや、名古屋の陶磁器が世界に羽ばたいた時期です。

 

大戦景気・大正バブルは、大正四年から大正九年

あのオシャレな加納町役場が建つ少し前です。

 

しかし、バブルは必ずはじけます。

 

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昭和四年(1929)10月24日 ウォール街で株の大暴落がおこります。

暗黒の木曜日といわれる株の大暴落、世界恐慌の始まりです。

 

アメリカは世界大戦で、生産能力を失ったヨーロッパに工業製品も軍事物資もドンドン送り込みます。

しかし、戦争で疲弊したヨーロッパの国々はアメリカに借金をして品物を買いますが、

支払いができません。気が付けばアメリカの金庫は不良債権の山です。

アメリカが抱えていたのは不渡り手形の山です。

株の大暴落です。

 

つづく

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2024年9月29日 (日)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。④ アールデコ 二つの世界大戦の狭間に 咲いた仇花

19世紀半ばから、日本の美術品やら工芸品がヨーロッパに伝わり、
日本人の画家や学者が出かけるようになると、
日本の植物画や浮世絵の抑制された表現・余白の美しさに新鮮な美を感じた人々によって、
19世紀末、アールヌーボーというスタイルが流行します。
エミールガレのガラスなどは、その代表です。


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さらに二十世紀に入ると、アールデコというスタイルが流行します。
曲線的なアールヌーボーに対して 大量生産が可能な直線的なデザインが主流になって、
芸術の大衆化が実現します。




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日本の大正期は、いや日本だけでなく、
この時代は、世界的に見ても人々の生活様式が大きく変わった時代です。
アールデコの流行 モダンガールの登場です。

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シャネルがパリに帽子屋を開いてクロッシュ・釣鐘型の帽子で人気を博したのが1910年。
香水 No5を発表したのが1919年、ギャルソンヌ・ルックを発表したのが1924年、断髪 男装の麗人というやつです。

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アールデコの時代の新しい女性像、ポールポワレやシャネルによって提唱されたコルセットからの女性解放、戦争にとられた男手にかわって、めざましく女性が社会進出を遂げた時代です。

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この時代を語るのに、二つの世界大戦をさけて通ることはできません。


我が町 加納も戦争に翻弄されることになります。


「戦争を知らない子供たち」の私が戦争を語るのもナニですが、
第一次世界大戦です。
つづく

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2024年9月28日 (土)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。③ 海外に盛んに輸出されていた加納の和傘

加納には「昭和15年の岐阜市との合併」のまえに編纂を決議され作り始められた加納町史という上下二巻の町史があります。

あまたあるこの手の町史のなかでも、きわめて立派な町史であり自慢できるものですが、

 

この402ページに、大正11年(1922)頃の、加納の雨傘の仕向け先として

年間250万本の雨傘の販売先が記録されています。

 

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さらに、次のページには、昭和初年(1926)頃の 加納の日傘の販売先が書かれています。

 

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加納の日傘が、国内に販売された量が 50万本

外国に輸出された量が、国内向けと同量の50万本とあります。

 

アメリカに23万本 イギリスに8万本 オーストラリアに4万本 

フランスにも2万本 というように

驚くほどの、加納の和傘・日傘が海外に輸出されていました。

 

また、大正11年には、イギリスへ19万2千本輸出されたという記述もあります。

 

加納町役場が建設された大正から昭和の初めにかけて

加納の和傘が、世界に羽ばたいていたことがわかります。

加納の和傘は、かなりインターナショナルな商材だったのです。

 

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さて、次回は モダンガールについてです。
つづく

 

 

 

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2024年9月27日 (金)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。② オールドノリタケから加納の傘へ

さて、老人は、20年ほど前からオールドノリタケを集めています。

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オールドノリタケというのは、名古屋の日本陶器・ノリタケカンパニーが、
明治中期から第二次世界大戦に至る半世紀に生み出した輸出陶器のことを言います。
オールドノリタケのことは
当ブログのカテゴリーのなかから オールドノリタケをクリックして読んでいただくとして
東日本大震災いらい こわれてしまう陶器のコレクションからは遠のいていましたが
数年前久しぶりにオークションを覗くと
オールドノリタケのアールデコ期の物が異常に値上がりしていることに気が付きました。

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なかでも、フィギュアがとても値上がりしていました。

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ピンディッシュやトリンケットディッシュといわれる物ですが
オールドノリタケの アールデコのコレクターとしては 
ひとつは持っていないとカッコつかないというものです。
いまでは手に入れるのに
渋沢栄一をマイクロバスやら観光バスに乗せてつれていかないといけなくなりました。


これで 久々に 老人のコレクター魂に火がついてしまいました。


とはいえ リタイアして十年以上すぎ
年金生活の老人には すでに手が届かない世界です。



退屈しのぎに海外のオークションをパトロールしていると同じようなフィギュアが出品されていました。
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ドイツやイギリスの物で何とか 老人にも手に入れることができるお値段でした。



なかでも 老人の気をひいたのが 傘をさしている姿です。


冒頭に申し上げたとおり
老人は かって和傘の一大産地であった 岐阜市の加納にすんでいます。
子供のころ 駄菓子屋さんで こんなオモチャの傘を見たことがあります。
もう止まりません。
アールデコのフィギュアのコレクションが始まります。


それが 加納の和傘と何の関係があるのだとの声が聞こえてきそうですが
関係があったのです。しかもきわめて濃厚な関係が。
つづく

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2024年9月26日 (木)

岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。① 幕末・明治の加納

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さて、老人が住む 岐阜市加納は 東海道線を挟んで岐阜市の南部一帯をさし

戦前 和傘の大きな産地で

「加納の和傘」として

大正11年(1922)ころには年間250万本もの傘が生産されていたという記録が残っています。

 

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当ブログでは、オールドノリタケのカテゴリーやアンティークの記事のなかで

何度もアールデコスタイルやモダンガールについて書いてきましたが

近頃 老人は 「中山道加納宿文化保存会」とやらに参加して

地元 加納の歴史を勉強させていただいています。

 

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加納の和傘が大正時代に 大量に海外に輸出され

当時の先進的な女性の 

つまり モダンガールやフラッパーと呼ばれる女性の

重要なファッションアイテムだったのではないかという事について

老人の発見を ご報告させていただきます。

 

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とても 長いブログになりますので、何度かに分けてアップさせていただきますが
トイレは先に済ませておいてください。
さてさて、今回はアンティークというより
岐阜市加納の郷土史
あるいは 中山道加納宿の文化についてのブログですから
かなりローカルなレベルでの展開となることをお許しください。

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写真は 大正15年(1926) に建てられた 旧加納町役場の写真です。
建物の様式は イスパノ様式 アメリカンなスペイン様式
あるいは マイアミアールデコと呼ばれるスタイルです。
すでに取り壊されてしまいましたが
これから老人が語ろうとするアールデコのスタイルで 大正ロマンの物です。
設計者は 武田五一という 東大出で のちに名工大の学長 あるいは京大の建築科を立ち上げた有名な方で
昔の岐阜市の公会堂や 今も岐阜公園内にある名和昆虫研究所の建物は この方の作品です。
つまり 我が加納の役場は 当時の 最高の建築家によって建てられた
とても オシャレな建物だったのです。

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さて、老人は「文化保存会」の一員ですから
今回は 少し硬い話もさせていただきます。
ここで、加納町役場が出来た頃の 加納の状況について触れてみたいと思います。
長かった江戸時代がおわり 加納城を中心とした武士の町だった加納は
江戸幕府の崩壊 封建制度の崩壊で立ち行かなくなります。
わかりやすく言えば 加納は 武士という仕事と身分を失って 貨幣経済に放り出された 失業者の町になります。

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加納町史に書かれた当時の状況です。
維新後の加納町は、明治の初年以来、衰微の一路をたどる外はなかった。城下町であった加納の中心加納城は廃殷せられ、加納藩県は その名残をとどむるのみとなり、城郭侍屋敷は見る蔭もなき荒涼たる草野と化していくのであった。
一方 中山道の宿駅として殷賑を誇った町方は、人馬の行旅頓にとだえ、あまつさえ鉄道の開通と共に往還寂寥をきわめ、屋上軒下に残る酒房や真誠講の看板は、いたずらにチリにまみれて、夕やみに暮れていく有様であった。くわえて明治24年10月の大地震は、わずかに余命を楽しむ窮余の民をして、死地におとしいれせしめた感があった。
滅するものは滅し、いくものはいった。
と、あります。悲惨です。
濃尾大地震を伝える画です。

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更に、加納は明治から大正にかけて、何度も大洪水に見舞われます。


金華山の裏手に発する荒田川、金華山の表の麓からくる清水川が加納で合流し、さらには長年 格上の尾張藩の洪水調整池とされてきた美濃は木曽川の水まで押し寄せます。つまり加納は岐阜の悪水が集中する場所でもありました。


更にさらに、豪雨があったと思えば日照り続きで、凶作と飢饉がくりかえされます。
職を失った武士のみならず、農民も困窮を極めます。
こうした困窮のなかで 加納では傘造りが盛んになります。
先ほどの加納町史にもありますが、特有の手工業、加納の傘づくりは農民の副業として、武士の内職として加納の経済を救うことになります。
和傘づくりは徹底した分業です。骨屋 轆轤屋 つなぎ屋 張屋 仕上げ屋など
 一本の傘ができるまでに だいたい10軒くらいの業者を経
ることになります。
大きな機械も たくさんの資本も必要のない傘造りは、困窮した加納にとって格好のビジネスモデルだったのです。
つづく

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2024年9月10日 (火)

アガベチタノタ白鯨で多肉な老人の今日この頃。

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さて、九月も半ばに入ろうかというのに あいかわらず猛烈な暑さで

コロナ以来 外出を控えたせいで足腰の衰えを感じ

今年はウォーキングを再開 なんて思っただけで

とても外出する気にもなれず

インドアでアガベやオベサ ユーフォルビアと語りながら

引きこもりの老人の今日この頃 皆様 いかがお過ごしでしょうか。

 

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さて 春に 病院帰りに寄ったお気に入りのショップで

アデニウムが随分とお値打ちに大量に販売されていて

この手の塊根植物というのは随分と高価で

また 高価ゆえに購買意欲をくすぐるところがあって

先端的なインテリアショップやトレンドファッションのショップで売られていたのだが

柴三郎三枚で我が家の玄関ホールのウエルカムプランツとなった。

 

去年からオージープランツを少しやっていたのだが 

生きているのか枯れてしまったのかわからないオージープランツに

周りの 生きているのか枯れてしまったのかわからない老人をみるようで嫌になった。

 

さて 春から 二鉢ほど星になったが

長かった梅雨もやり過ごし 過酷すぎた夏も何とか乗り越えて

オベサもパキポディウムもロフォフォラも元気だ。

 

なかでもアガベには沼を予感するが

インドアのみならず

エドワーディアンな廃墟趣味がコンセプトの老人の庭に

アガベの「吉祥冠 錦」の大株を置いてみたら

アンティークなテラコッタのプランターとあいまってとてもいい。

ただし 雨がくると室内へ避難で大変だが。

 

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さて 究極は アガベではないかということでチタノタのブルーを思いきって手に入れたが

多肉を思いすぎて夜も眠られない

多肉が好きすぎて朝早く眼が覚めてしまうという強迫症状のなか

更にアガベの究極は 鋸歯が乱れたボール型の白鯨ではないかと

昔読んだ メルヴィルの「白鯨」に通じるところもあって散財。

ホームセンターの三百円の苗で楽しんでいたのだが

渋沢栄一の出番。

 

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ベランダが定位置だが 雨雲レーダーを監視しながら室内へ避難

さて これからの冬越しを考えると 鉢の数は これが限度だな。

 

このところ ちょっと世間に出たけれど

やはり老人には引きこもりが最高だ。

NO PLANTS   NO LIFE

 

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2024年5月 6日 (月)

唐十郎死去。

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2024年5月4日午後9時1分、急性硬膜下血腫のため

唐十郎(からじゅうろう)氏死去。

 

まことに安っぽい言い方で恐縮だが 唐十郎は私の青春の全てでした

空に星があるように この世にゃ夢もあるだろう と

紅テントを切り裂く様に登場した麿赤児 

怪しげな大久保鷹

野心まみれの田舎青年 不破万作

おいでおいでと手招きで 

思わずシュガータウンにもっていかれそうになった オカマの四谷シモン

唐十郎の状況劇場は まさに怪物屋敷

七十年代最高の演劇空間でした。

 

 

田舎の新聞社の鉛くさい編集局で 朱の筆を持ち新聞の校閲の新人の私

あさま山荘事件は始めたばかりの二月で テルアビブは五月

テレックスの読み上げに小さく拍手し

転向じゃないんだよと小声で言い訳。

 

名古屋の白川公園 岐阜の美江寺 腰巻お仙 だったか 二都物語だったか

まだまだ熱い七十年代でした。

 

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 恭しき娼婦 S43.11.15  名古屋市西区青少年ホール 
      

ところで 状況劇場の状況とは サルトルに由来し

1964年の状況劇場の旗揚げは サルトルの「恭しき娼婦」だったと初めて知った。

 

大学演劇のスタートを 不条理演劇の ベケットの「勝負の終わり」でスタートした私は

二作目の秋の公演で サルトルの「恭しき娼婦」の上院議員を演じたが

正直つまらない芝居だな 中途半端な社会派新劇だなと思っていた。

状況劇場のスタートもこんな事だったんだな。

 

 

 

そして僕たちも アンダーグラウンドで

こんなふうに 変わっていきました。

 

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変化紙人形 S46.10.29~11.5  名古屋  納屋橋ジロー

 

半世紀以上前のことですが。

 

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2024年2月29日 (木)

最後の晩餐。老人、和と洋のブルー&ホワイトで遊ぶ。


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年末に手に入れた染め付けの器がとてもよく

このところ郷土史 とりわけ江戸・明治あたりの

地元・加納藩・中山道加納宿の歴史を学びながら遊んでいる老人としては

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手に入れた染め付けの なます皿の絵柄が

「赤壁の賦」やら 孟宗の「雪中筍掘り」という

幕末の骨董の真ん中のものだったと

 

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食事のたびに 器に白髪を映してナルシスな今日この頃

団塊の年金プアー諸氏におかれましては

いかがお過ごしでしょうか。

 

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さて、前回のブログで

染め付けをプロレタリアチックと書いたが

ヴィクトリア期や 幕末日本のプロレタリア―トが

釉薬がかかった白い磁器で食事ができたなんてことは無い。

 

しかし、現代にあって あえてブルー&ホワイトを選ぶという精神。

ヴィンテージジーンズに通じるものがある。???

 

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とにかく 「貧乏を忘れない。」 笑 貧乏なのに。

と、いうことを食事の度に確認したいと思う染め付けの器なのだ。

 

とはいえ、和の染め付けだけでは

アンティークコレクターの“わたくしらしく”ないという事で

すこし西洋のブルー&ホワイトを混ぜてみようと

円安と国際宅急便の高騰にもかかわらず

久しぶりに散財してみた。たあいないビンテージだが使って楽しい。

 

 

 

さて、ロイヤルウースターのシュガーボウル。

ティーカップとしては少し大きすぎた、カフェオレボール、ミニ丼、かな。

絵柄の エイボンシーンといえば

伝説のマス釣り師 フランク・ソーヤーが住んだ

フライフィッシャーの聖地 エイボンだ。

そんなに古くはないが

いま、転写の物が レトロで人気で 値上がりしているようだ。

 

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Rare Royal Worcester Ltd Pair

"Palissy Avon Scenes 1790"

Sugar Bowls c1950

 

 

染め付けのティーポット 日本語で言えば急須だが

ただの急須では面白くない。

イギリスの Wood &Sonsの人気パターン“Yuan”のポット。

この六角の物は60年ころまで作られていたということだ。

 

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中国の元の時代 イスラムを想起させるとんがった形と鳥の絵付けが

日本人的には、非日常的でよい。

ウースターのボウルと合わせてティーセットとしたいのだが。

 

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Antique Wood & Sons

"Yuan" Small Lidded Teapot

c1916- 1920

 

 

洋陶には珍しい小皿 ロイヤルドルトンだ。

食卓で出番の多い小皿だが 和の物では当たり前すぎて面白くない。

ワトーシーン(宮廷恋愛シーン)など私の趣味ではないが。

 

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醤油皿に レモントレイに

一人茶会のナッツトレーにどうだろう。


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Rare Pair of Royal Doulton

Watteau Flow Blue Pin Dishes

Small Plates c.1900

 

 

醤油とワサビにまみれた宮廷の恋人達の図とは、意地悪が過ぎるかな。

 

老人には、恋なんて遠い日の花火だから。

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2024年1月22日 (月)

プロレタリアチックな染め付けの器で。

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去年の暮れに、台所の整理をしながら
お正月のことなどを考えていて、


ここ数年、コロナで来客もなく、

老夫婦だけの食事だと、とくに食器など気にすることもないから、

スーパーの総菜はトレーにそのままで食卓にのぼるのが常だし、

割れたコーヒーカップの、はぐれたソーサーが一番使用頻度の高い皿だったり、

ごはん茶碗もバラバラで、

食器棚が、売れない茶碗屋のワゴンセールの様な状態になっていた。

 

 

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このところ、ほとんどアンティークも買っていないし、

外出も散財もしていないからと、食器棚の中味を更新することにした。



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さて、今回のお気に入りは、明治期の「なます皿」

煮物にも サラダにも重宝する。

食卓の洋風化で、

なます皿などと言うものは姿を消してしまったが、

 

骨董屋さんでは見ることがある。

使ってみるととても良い。

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我が家の日常の食器は、すべて労働者階級的な生活美を基準とした?
質素な染め付けの物であるべきとしているが、

ブルー&ホワイトだけでは少しナニだから、

食卓の差し色に有田の色絵の物も入れてみた。

しかし、ちょっと誤解を生みそうな華やかさではある。

 

絵柄は松竹梅と鳳凰にタケノコ掘り。

孟宗竹の語源になった孟宗の孝子伝説だ。

 

 

骨董だけでなくアマゾンのイマエモンも入れたが、

五枚で二千円の美濃焼の文字皿がピカイチだったりする。

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染め付けはいいよね、

「貧の美」というやつで、プロレタリアチックで。

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2024年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます


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皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします
本年もよろしくお願いいたします


オールドノリタケ
イッチン盛上げ
ドラゴンパターン カップ&ソーサー
明治43年頃(1910)

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2023年10月19日 (木)

庭に居ます。

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さて わが庭の秋の一番花がおわり

今は 日陰の庭で次の開花を待っているのだが

購入した苗のナーサリーパワーがきれ

徒長はするが二番花となるとなかなか難しい。

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この夏はとても暑かったが

どういうわけか薔薇はとても元気に咲いた

ただ 一本のバラが九月に葉を落としてしまった。

さっそくプランターの土を掻き出すとコガネムシの幼虫が七匹

根はスッカリ食われ ゴボウ状態。

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土を再生させ 水は控え目にし メネデールの散布で 一か月

すっかり葉を落としたバラに たくさん芽が付き

回復のきざし。

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老人の人生にも「メネデール」 お風呂に入れてみようか。

しかし いまさら 芽が出てもね。


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いろいろあったけれど

庭があってこその人生だったな。

 

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2023年4月28日 (金)

オールドノリタケ マンオンキャメルで アフタヌーンティーセットを完成する。

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老人は この一年半 オールドノリタケの

マンオンキャメルのパターンを追い求めてきたワケだが

どこかのキャッスルの執事のごとく

客人をもてなすあれこれを執拗に考え周到に準備してきた。

 


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ちょっとしたアフタヌーンティーの設えをほぼ完成させたがどうだろう。

 

メメントモリ 老人に明日はないワケで 

死を思えばコレクションは常に完成にちかくあるべきで

老人は つねに終末を意識した緊張感の中にある。 ナンチャッテ


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ロシアの赤鬼プーチンのウクライナ侵略戦争のせいで

ヨーロッパからの航空小荷物はベラボウな運賃になっており


コロナが収束しても一向に落ち着きそうにない。

海外オークションの面白味がなくなった。


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オールドノリタケのマンオンキャメルパターン
西洋陶器の模倣から脱したノリタケが


初めて他から模倣される立場になった

エポックメーキングなアイテムではないか。

メイトー名古屋製陶所との壮絶な産業スパイ戦のことは

以前 くわしく書いたが




イギリスにもチェコにもマンオンキャメルのコピーメーカーは存在した。

メイトーのマンオンキャメルも

チェコのヴィクトリア窯のマンオンキャメルも

近頃はイーベイでは ノリタケスタイルとして 

本物のノリタケとは明確に区別されるようになった。







さて 妄想のアフタヌーンティー
アフタヌーンティーならば 二三段のケーキスタンドが欲しい
先日イーベイで 見つけたが 
ラックが組み立て式でないため

昨今の海外送料を考えたら大変なことになってしまうし 
後々の仕舞いかっても考えてやめた。


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ケーキはケーキ皿でサービスするとして


スコーンは 


コンポート皿やサンドウィッチプレートで提供するくらいが


テーブルの収まりがいい。

スコーンとなるとジャムポットが欲しいが 


シュガーポットがタクサンあるからそれを使おう。


ティーパーティとなると なんとしてもティーポットが欲しい。
ティーポットは ティーパーティーのシンボルだ。
なんとかマンオンキャメルのティーポットを見つけた。

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コバルトと金彩のマンオンキャメルは


マルキ印の英国輸出品だが 


このポットのみM-JAPAN印(米国向け)。


室礼として 花瓶は欠かせない


暖炉や食器棚に一対の花瓶が常識だが

とりあえずは テーブル上で邪魔にならない 控え目な小さな花瓶。

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ティーバッグレストあるいはナッツトレーとしての小さなボウルも。


という事で オールドノリタケのマンオンキャメル
アフタヌーンティーのテーブルコーディネイト
ほぼ完成です。


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むかついたらゴメン 老人のドリームズ カム トルーだ。

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2023年3月15日 (水)

とても珍しい オールドノリタケ ウェディングカップルのソルト&ペッパー。

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オールドノリタケ ラスター彩のアールデコドールの塩コショウ入れ。

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1920年代の物 

紳士はこの時代の正装トップハット。

女性は、いわゆるアールデコ期のギャツビースタイルのようでもあるが

カップルのファッションはヴィクトリアンタイルであり

ベルエポックでありエドワーディアンだ。

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S&Pシェイカーズであるが

ウェディングのケーキトッパーのようでもある

結婚式には

 この時代から一般でも純白のウェディングドレスが着られるようになるが

多くはまだ こうしたスタイルだった。

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オールドノリタケのアールデコドールで男性が登場するのはとても珍しいし

男女ペアで残っているのはとても貴重

オールドノリタケの時代を濃厚に伝える面白いものだ。

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裏印  MADE IN JAPAN印 マロン 

大正10年~昭和8年頃(1921~33)


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2023年1月16日 (月)

オールドノリタケ マンオンキャメルのぺディスタルカップ。

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茶会セットというにカップが二点では様にならないので更に二点ほど買い足した

ロシアのせいで 国際宅急便の送料がバカ高くて大変だ




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マンオンキャメル てっきり転写だと思っていたが

キャメルや人物の描写に微妙な違いがある

手描きの証拠だ

良い時代だったのだな。


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もう充分に遊んだのだが この十年を振り返りつつ

これからの十年があるとすると 

もう少しなんとかなるかもしれないと思う今日この頃だ。

 

 

裏印 ブルーマルキ印 

1906年(明治39年)~1910年代 英国輸出向け

 

 

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2023年1月10日 (火)

オールドノリタケ マンオンキャメルのレモントレイ。

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いい映画は主役もさることながら 脇役を揃えることだ

茶会の道具も脇役をかためることで厚みがでる。

 

茶会というからには レモントレイも欲しい

いざ探すとなると難しいアイテムだ 

若干の金彩の剥がれがあるが気にせず手に入れた。

レモントレイとしては少し大きいがナッツやクッキーに使ってもいいかな。

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裏印 ブルー マルキ印

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2023年1月 5日 (木)

その後のオールドノリタケ。マンオンキャメルの香炉

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さて その後も老人は コツコツとお小遣いをやり繰りしながら

わずかながらコレクションを続けているわけだが

人生はコンプリートできないが

コレクションならコンプリートできるかも という事で

 

オールドノリタケのマンオンキャメル 空想の茶会セット 

足りない物を少しづつ足しています。

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茶会といえば 香炉

すきま風の茶室なら良いが 今風の家で香など焚けないが

ポプリポットとして。

 

金彩のスレ 

百年の年月愛された記しだ。

 

裏印

グリーン マルキ印 1906年(明治39年)~1910年代 英国輸出向け

 

 

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