明治期のイッチン・モリアゲという技法の豪華絢爛なカップ&ソーサーです。
幕末・明治の金工や七宝などの工芸品には素晴らしい物が多く、骨董市場に名品が出ればすぐに海外の業者が買い付け海外の美術館やコレクターの手に渡るそうです。
日本の工芸品は、19世紀末のヨーロッパの万国博覧会に出品され、絶賛されます。それらは、圧倒的に高度な技術によってもたらされたものであり、文句無く美しく、日本の武家社会によって醸成された品格を備えていました。
にもかわらず、我々日本人は、それらの幕末・明治期の工芸品の事は殆んど無知といっても良いでしょう。もちろん、それらは輸出品であったわけで、我々の目に触れる事は少なく、名品の多くは海外に存在するわけで、仕方の無い事ではありますが、団塊堂もオールドノリタケのコレクションを進めるなかで、幕末・明治の輸出陶器の事を少し知ることができました。
幕末・明治の輸出陶器の代表は、なんといっても“SATSUMA”です。そしてもう一つが、日本の技法が世界のアンティーク蒐集家の共通語になってしまった“MORIAGE”です。
今回は、およそ120年の時を経てアメリカから里帰りしたモリアゲと金彩のカップ&ソーサーです。こまかな点盛りも施され大変手の込んだ物です。
カップは大ぶりでけっして洗練されたサイズではありませんし、ソーサーの裏側などは和皿そのものです。カップは石膏型成型で作られていますが、未だこなしきれていない感じがあります。石膏型成型は慶応三年(1867年)にはパリ万博から帰国した瑞穂屋卯三郎によって日本に紹介されていますが、本格的に取り入れられるのは明治のなかばからのようです。
このカップも“伏せ焼き”で焼かれています。以前、当ブログのオールドノリタケの金彩とジュールのカップやヨーロッパのカップとの比較で紹介した、カップを正立ではなく、伏せて裏向きにして焼いた物です。まだ技術的には不十分で口縁部はザラついています。磁土は酸化鉄の薄青みを帯びており瀬戸の千倉石を含んだ物であり。愛知県の瀬戸で焼かれた物と考えられます。瀬戸の生地に名古屋絵付け、名古屋絵付けに付いてはまた後日書きたいと思いますがイッチンは名古屋絵付けの得意分野でありました。
ノリタケの前身・森村組の本拠地名古屋、美濃・瀬戸・名古屋に拡がる一大産地は日本の輸出陶器の中心でありました。団塊堂が大学時代を過ごした名古屋の東区・北区こそ、このイッチン・モリアゲの産地でありました。
さて、趣味の良し悪しは別として(笑)、団塊堂的には貴重なコレクションです。明治の日本の輸出陶磁器の息吹を強烈に感じさせてくれます。コレクターとしては必ず手に入れねばならぬ物であります。盛り上げのロスも少なく、盛り上げとしてはミントコンディションと言って良いでしょう。勿論こんなカップ、生活には使えないタグイの物ですから。
最後に、オールドノリタケの盛り上げの花瓶と、ドラゴンのカップ&ソーサーを一緒に記念撮影です。
次回のカップは“SATSUMA”のデミタスのご紹介です。趣味の良し悪しは別にして。(W)
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