2009年12月24日 (木)

エインズレイのティファニーブルーのデミタス。

L1040309 メリークリスマス。

といってマア、アラ還の団塊堂など、目出度さもデミタスくらいで、ネタもないから、ちょうど先日届いた、AINSLEYの、ティファニーブルーのデミカップがあったから、アップした次第で恐縮。

アシッドゴールドのボーダーが、上質でエインズレイとしてはナカナカではなかろうか。

ティファニーといえば、30年も前にデパートにショップがオープンした頃は、団塊堂も三十歳、仕事盛りで、デパートもまた面白いくらい売り上げを増やしていた時期で、クリスマスの時期のティファニーのショップは、バーゲン会場の様な混みようで、ケースの周りには二重三重にアベックが取り囲み、ショップは入場制限をして、外に行列をする有様だった。

「ティファニーで朝食を」なんて映画による知名度と、オープンハートやらティアドロップといったデザインの素晴らしさ、なによりシルバーなら一万円という、程よい価格が、爆発的人気の源だったわけで、男性にとっても、ティファニーは、とても有効で、有難いクリスマスアイテムだったのです。

 ティファニーも 想い出となり クリスマス。  団塊堂L1040307_2

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2009年12月20日 (日)

手続き。

L1040259_2 ここの所の不景気、とりわけアメリカの不景気は、かなりな様子で、団塊堂、ボーナスを当てにしてオークションで落札した、アンティークカップがアメリカから届き始めているけれど、ワタクシ的には凄い物が幾つか手に入った。不景気・円高は、わたくし的には有難いけれどゾットする。大変な事になっていて、まもなくもっと大変な事になる予感がする。

さて昨日今日と、手続きの書類つくりと、パソコンの設定でフラフラの団塊堂で、おまけに昨日は何年振りかの20センチもの積雪で、コマメに雪かきなんかしたから、この週末はブログも書けない始末。久々の大雪なのに写真も撮らずじまい。

今月は車検に始まって、保険の書き換え、401Kの手続き、厚生年金の申請、年賀状つくり、パソコンのプリンター設定、無線ランの設定ともうフラフラ。

明日は、仕事が終わったらすぐ年金相談へ。いよいよ年金の申請です。

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2009年12月17日 (木)

還暦二日目の朝に、団塊堂むせび泣く。

L1040302 今朝起きて居間へ行ったらオイラの椅子に何やら金文字の豪華な箱が置かれているではないか。エッ!これって還暦祝い?なんて、箱を開けてみたら、なんとサイドゴアのウィングチップのブーツではないか!オイオイどうよ、還暦のオイラへのプレゼントかよって、家内は私より早く寝て、まだベッドだからどう考えても息子なわけで、英国製のトリッカーズなんて一流ブランドだから家内がそんなものを呉れるわけも無く息子なわけで、オイラ思わず涙目になってしまったのよ。

それにしてもサイドゴアってどうよ。オイラだってガチガチのアイビーリーガーだった訳で、若い頃サイドゴアのブーツなんて履いた事もあるけれど、サイズは大丈夫かよって。サイドゴアって紐が無いからジャストサイズってのが難しくて、おまけにブーツだから重くってサイズが合わなければ悲劇で、履いてみないで買うなんて無謀だよって。嬉しいけどマズ悲劇だろうなって、だから音がしないように早速履いてみたのよ。そうしたらジャストフィットで申し分なし。考えてみれば息子の足とオイラの足は同じサイズで、彼が履いて合わせていれば大丈夫なわけで、もうオイラ、ウルウルしてしまって胸の奥から熱いものがこみ上げてしまって、今日まで生きてきて、息子が大学に合格したときの次ぎくらいの感動だったわけです。

ファッション批評のブログなんか書いていて、グラフィックデザイナーのムスコだけれど、サイドゴアのブーツなんてファッション的には、上級アイテムなわけで、これなんてつまりカナリ上級者でなければコナセナイものであって、オイラにこれをプレゼントしてくれたって事は、オイラはこれを履きこなす事が出来ると観てくれた訳で、脚の長さで言えば、オイラ「舘ひろし」というより「猫ひろし」なわけで、歩き方だって近頃はオシッコと一緒で切れが悪くてジジくさいから反省して、思わず背筋をピーンと張ってしまったのだ。今日からは歩き方だって「舘ひろし」しなければイケナイナって思ったのだ。

ありがとうよ! うれしかったよ。

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2009年12月16日 (水)

たどりついたら、そこはドシャ降り。

団塊堂の還暦初日は、今年一番の寒さで、お天気までもがオイラに冷たくあたるのかなんて、少し思ったけれど、何やら身体が軽く感じられて、元気一杯今日も働いてしまったのだ。

解散!と宣言して、今日まで「この家は、オトーサンが居て君達がいた」けれど、今日から「この家は君達がいてオトーサンが居る」のだ。全て君達の好きなようにしていいから、オトーサンが今夜帰らないとしても探さないで欲しい。帰らなかったらオトーサンは“幸せの青い鳥”を探しにいったと思って欲しい。なんて事を、言ってみたいと少し思っているけれど、言ってはいない。

L1040270 さて、いつもアグレッシブに生きてきたオイラ、若いころから、死ぬとしたら定年の翌日に、柿の木がカパッと折れるように!と願ってきたけれど、今夜も未だ生きている訳で意気地なしの口だけ野郎とソシラレてもそうだと思う。

リストラでサラリーマン生活を途中下車したせいで、定年をマットウ出来なかった引け目が何時も心の片隅にあったけれど、今日からはハレテ、「アラ還」。遊んでいたってオカシクないのに敢えて働いている立派な老人な訳でもう怖いものナシで胸張って生きていこうと思う。そう思ったら、今日は身体が軽くて、壮快で、クダラナイ仕事も楽しく働けたのだ。

さて、いよいよ年金が戴ける訳で、先日届いた“ねんきん定期便”にはオイラのサラリーマン生活の総決算というべき一覧表があって面白かった。

厚生年金保険の標準報酬月額と保険料納付額が月別に一覧表になっている。団塊堂、昭和47年にサラリーマンとなり初任給は四万五千円、二年目には六万円になり三年目には七万八千円になり、この年デパートに転職して九万八千円、次の年には十二万六千円になり次の年には十五万円とスサマジイ高度成長だったわけで、つくづくもの凄い時代だったのだと思う。四十代のバブルの時期は管理職の階段を毎年駆け上がった時でもあり、毎年四万円程度給料が上がっていて、今思うと凄いと思うけれど、団塊堂決して給料が高い業界だったという訳でもなく、世の中の人たちはモット凄かったのだろうと思うと、団塊の世代は、お蔭様で本当に良い時代に仕事をさせて頂いたと思う。

といいつつ、老人の悪い癖で、昔話と自慢話に呆けている間に、団塊の世代がたどり着いた定年後の世界は、ドシャ降りで、大変な事になってしまっていて。年明けの二月三月には不景気の二番底、とてつもない恐慌になるとの予測もあって、株が三分の一なってしまったなんて騒いでいたけれど、株というのはゼロにだってなるのだという資本主義の真実を、この眼で見られる来年は、刺激にあふれた年になりそうだけれど、貧しくとも資本主義が嫌いな還暦のオイラは、傷つく事も失う物もなく、高みの見物なのだ。

来月からは給料に年金が上積みされるんだもの、生きていりゃこそだよね。死んだ奴も沢山いるからね。団塊の皆様! これからですよ!!

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2009年12月13日 (日)

同窓会。

L1040287 今年も恒例の大学のクラブの同窓会。バカヤローと言って誰も傷つかず、名前は呼び捨てで、今更喧嘩する元気はないけれど口の悪さは昔のまま、この仲間、数えてみれば四十年以上の昔からなのだ。

今年は我々の学年が還暦、とても厳しい年の瀬で、我々の次世代はホボ全滅で今年の参加は残念ながら九人。

L1040286 久しぶりに聞いたベケットだのサルトルだのイヨネスコだのアラバールだの。そう団塊堂、70年安保で燃え上がるA大名古屋校舎のとりわけ過激だった演劇研究会のOBなのです。

千数百人の学生のうち女子学生は十数人の砂漠の様なキャンパスだったけれど我が演劇研究会の周りだけは何時も他の女子大の生徒がタムロしていて、もちろん我々のクラブは男しかいないし、女子大には男がいないわけで、うちからは常時三つくらいの女子大に役者を貸し出して、女子大からは女優を借りているわけで、そのL1040285 女子大は勿論だれもがあこがれるミッション系なわけで、しかも彼女らは女優を夢見てるわけで人並み以上の美人揃いで、ハーフのボタンフロントのジーンズを履いてロングヘアーの京ちゃんやら、お嬢様を絵に描いたようなマリチャンなんかが大学間違えたのってくらい毎日通ってくるから、知らない間にクラブの周りには関係者と名乗る学生も増えて居ついてしまい、本当は美術部だったりジャズコンボだったり、新聞会のY君までもが知らない間に部員然として今日にいたるわけなのだ。

L1040288 四十年の時間を経てなおベタベタと濃い付き合いの仲間だけれど、演劇研究会なんてのは叛乱分子ばかりで、芝居の度に喧嘩して離合集散を繰り返していて、ワタクシ団塊堂など典型的で実はクラブに所属していたのは一年足らずで、ほとんど部の外で「演劇集団NON」やら「変化紙人形上演委員会」なんてデッチ挙げて暴れていたわけで、それがなぜ同窓会の幹事なのだと自分でも不思議だけれど考えてL1040282 みれば同窓会に出てくる仲間はソンナ奴ばかりなのだ。

さて、昨日初めて知ったけれどK君もH君も団塊堂も12月生まれ、まさかこの三人で年金の話をする日が来ようとは。

還暦に、「たどりついたら、そこはドシャ降り」で「傘がない」だったりするけれど「金がない」から、未だしばし働く事にはなるわけで、しかし皆なんとかたどり着いたわけで、演劇などというものに歌舞いて親からは馬鹿扱い・社会からは異端扱いだった我々の、この平安は何なのだと自問しつつ、いつか演劇を捨てた自分に少しウシロメタクもあったのだ。

 BS 2でジェームス・ブラウンを聴きながら。

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2009年12月 8日 (火)

HUTSCHENREUTHER PORC. DEMITASSE CABINET CUP & SAUCER

L1040240 上品で美しいフッチェンロイターのキャビネットカップであります。濃いコバルトの藍の上に、抑えた色合いの金彩、さらに黒真珠を思わせるジュールがとてもシックです。ソーサーは中央が台状にふくらんだスタンドというスタイル。

「いかなるものよりも品質の優れたものをつくる」というのがフッチェンロイターが1822年バイエルン王に誓った開窯の条件でした。

フッチェンロイターは、ウイーン会議が開かれた1814年、ドイツ南東部のホーエンベルグカルル・マグヌス・フッチェンロイターによって開かれた窯。L1040241 さらに1822年には前述のバイエルンにて開窯許可を得た。当時、陶磁器は王立窯が全てであり民間人による開窯は始めての事だった。2000年にはローゼンタール社と合併。

L1040262 さて、ジュールという手法であります。当ブログに何度も登場する手法で、下手するとトテモ下品になる手法でニッポン物やオールドノリタケのジュール・金点盛りなど悪趣味な物が多い。ところが同じ手法でもヨーロッパの物には、卑しさが感じられない。文化の本質的な違いだと思う。この後つづく二点のカップにもジュールがあしらわれている。結構オイラの趣味もチャラチャラしているのかも知れないが、まずはこのカップの渋さを評価してほしい。さあ、まもなく始まるオイラのアラ還ライフも、このように渋く美しくありたいと思う。

参考 「王侯・貴族の愛したうつわ」 編集 岐阜県現代陶芸美術館

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2009年12月 5日 (土)

吾が生 既に蹉跎(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。

L1040130 人間、何かを捨てないと、新しいものを拾うことはできない。好きな人間とわずかな本があればいい。私の場合捨てることで、大きな自由と、さっぱりした気分を手に入れた。                       高峰秀子

高峰秀子さんは、五十一になったとき、これで夫婦そろって五十の大台に乗ってめでたいが、あとはいかに美しく老いるか、死をどうするかが問題だと考えたという。そして五十五歳になったとき、人に惜しまれて女優業を引退。六十二の年に、女優時代の大きな家を圧縮して三間の家にし、家財道具を売ったり人にやったりして、皿もコップも夫婦の分だけ、椅子も四脚という極限の簡素さにしてしまった。

                                                             引用 老年の良識 中野孝次

高峰秀子さんといえば骨董蒐集でも有名だけれど、その骨董をどうされたかは中野老師は触れていない。

さて、団塊堂、いまだに現役時代の資料が捨てられずに書斎に山積みになっている。経済やら未来予測などというカテゴリーの書籍など十年たつと何の意味も持たなくなる。自分が作った書類だってアノ会社にとって画期的なものだったと思うが今はクソッタレなものだ。これらが結構な量で秘密事項もあって捨てるにすてられない。でももう捨てようと思う。

書籍は美術と「釣りの随筆」以外は全て処分するつもりだ。ここ数年、もっぱら図書館を利用し週に五冊のペースで読書を楽しんでいるけれど、書籍は脳に所有されるべき物で本棚に所有されるべき物ではないと近頃思う。だから書斎なんて前時代の遺物だと思う。だってそうしないとコレクションのカップが並ばないのだよ。

吾が生 既に蹉跎(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。 

                                                                         徒然草 第百十二段

自分の人生はもうけりがついた。これからはもう、義理はすべて欠くことにしょう。社会の決まりや礼儀さえ思うまい

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2009年12月 1日 (火)

1羽の白鳥を盗む者、2羽も3羽も白鳥を得る。ニッポン物アールデコのカップ&ソーサー。

091117_003 アールデコ期のアメリカへの輸出陶磁器であります。さて、誰の目にも明らかにアールデコなのですが、アールデコは、こうだからアールデコなのだと一言でいうのは、アールヌーボーに比べて難しい。

あの、クネクネとした曲線のヌーボーに比べて直線的という特徴があるが、例えばこの絵付けなどどう説明しようか。

末續尭氏は「日本のアールデコ」のなかで、この絵のパターンを「分解再合成の手法」Reorganizingと定義している。日本独特の展開で、絵柄を平面的な幾つかのパーツに分け、再び合成したもの、としている。

ナイーブなこの絵のテーマ、白鳥を盗んだ盗人を、仲間の白鳥が必至に追いかけるホノボノとした白鳥の友情物語だが、さてこの盗人、一羽の白鳥を盗んだら仲間の白鳥まで付いて来て、さらに(皿に)カップの一羽も含めれば合計三羽の白鳥を手に入れる事が出来るわけで、まさに“濡れ手で粟”なのである。友情もホドホドにという教訓を含んでいる。なんて解釈がヒネクレ過ぎか。

091111 裏印は、オールドノリタケと類似しておりハンドペインテッドジャパンとあり、ノリタケと同じ下がり藤を逆転させた物、中にIEとあるのが企業名であろうか。大正あるいは昭和初期の名古屋絵付け、オールドノリタケのウッドランドパターンと同類。と思う。

091117_002_2  さてさて、たとえば昭和10年頃、日本の珈琲碗皿の66%は岐阜県の滝呂(現在の多治見市滝呂町)で作られていたという。ちなみに昭和9年(1934)のアメリカの陶磁器輸入高の68%が日本からであり、ドイツから18%、イギリス5%、チェコスロバキア4%、フランスその他が5%だったという。岐阜県の東濃地方・愛知県の瀬戸・名古屋の陶磁器商社の輝かしい時代だったのです。やがて日米戦争に突入する前夜の事である。

ひと足早く里帰りしていたオールドノリタケのデコと一緒に記念撮影。今夜も我がコレクションルームでは、陶器たちが、アメリカでの暮らしを振り返りながら、なにやら同窓会。つらかったとか楽しかったとか。

Nippon Demi Cup & Saucer Man Stealing Geese Art Deco

091117_004

参考 日本輸出陶磁器史 (財)名古屋陶磁器会館

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2009年11月28日 (土)

あと、二日。

091128_005 さて、しんちゃん。あと二日だよ、君が失業者になるのも。権威やら出世なんてものはコバカバーナにして生きてきた君だけれど、名刺と定期券の無い人生って奴の本当の意味が間もなくわかるよ。オイラだって、権威やら出世なんてものを馬鹿にはしていたけれど結構それで生きていたところもあって、会社を辞めて人と会うと名刺を出されたりして、おいらはタダのオイラでオイラはオイラなんだって事が説明が出来ないところがあって、オイラに名刺を差し出す奴の失礼にムッとしたりしたけれど、とりあえず相手に悪気は無いのであってしょうがない。

091128 さて、今日明日と週末を挟んで銀行は休みだから昨日あたりに退職金は振り込まれたのかな?なんて他人の財布を詮索したりして下品極まりないけれど失礼。しんちゃんの退職金あたり、プレゲのクラシックグランドコンプリゲーション7637を買ってもかなりお釣が来るな。共働きのA君なんてパルミジャーニ・フルリエ「トリックウェストミンスター トゥールビヨン」あたりが買えるななんて羨ましいかぎりです。人生最初で最後の大金をパァーツと時計に使ってあとは生活保護という生き方だって美しいと思うけど如何よ。

かくいうオイラも実は、退職金の残りの「401K」を来月には受け取る資格が出来るけれど、堅実で小市民でケツの穴の小さなオイラは401Kを定期預金で運用したから手数料分のマイナスで済んだけれど、投資信託で運用した某君なんぞ大切な退職金が三分の一になってしまったワケデ身近にいっぱいある本当の怖~い話なんだ。人生最後の大金を小利を追ってアジャパーなんて事にならぬよう平安を祈る。でもね、株が下がっている今がチャンスだぜって天使が囁くのを聞いた様な気がするけれど空耳かな。でも天使のはずが悪魔だって話も良くある話だし。091128_006  

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2009年11月26日 (木)

世界一じゃなきゃいけないんですか?

二番ではダメなんでしょうか!!って、まさに今年の流行語大賞になりそうな蓮舫女史の発言は、全くその通りなのだけれど、その通りだから虎の尾を踏んでしまったようなきはするけれど、大方の国民は事業仕分けのレンホー女史に喝采だと思う今日この頃、我が家にスーパーコンピュータが届いた。

091128_004 といっても我が家の場合、スーパーとはあの主婦の店みたいに安いという意味で、あの何千億円もの税金を使うものではなく、八万円足らずのデルの通販のパソコンなわけで、我が家の蓮ホーも“それじゃなきゃいけないの、もっと安いのじゃダメなんでしょうか!!”って鋭い追及があったけれど、八万円のコンピュータなんて馬鹿みたいな物で、今使っているものなんぞ七年前に二十万円もしたのだ!なんて反論してオイラの要求なんていかにツツマシヤカでササヤカなものなのかを必死に訴えて我が家の蓮ホーの裁定を得たのだ。

さて、世界一のスーパーコンピュータについては、好き嫌いで言えば団塊堂は好きな方で、今後、政治による復活があったら良いとは思う。

だがしかし、ノーベル賞のオジイサンたちが、並んで記者会見なんかすると、おいおい、あんた達のコンピュータである頭だって、東大が一番手だったら京大の更にアトだったわけで(しんちゃんゴメン。)三番手・四番手が一番手を抜いてノーベル賞を取ったりしたわけで、蓮ホーの「二番手ではダメなんでしょうか?」という問いの答えみたいな実例ではないのか?と思う、だから山田くん、蓮ホー議員に座布団を三枚上げてくれ。

まあとにかく。

科学というのは宗教と一緒で、大げさにしようと思えばどこまでも大げさになるもので、しまいには手段が目的になってしまって、手段だけが自己爆発してしまったりする。

スーパーコンピュータの世界だって撤退したメーカーも、撤退した国もあるから日本が世界一を目指している訳で、でなければならぬものでもない。といいつつ、日本の科学は、月は目指さないもののスーパーコンピュータは復活して欲しい。それが政治だと思う。

そしてガンバレ蓮舫その調子!!!

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2009年11月23日 (月)

世の中全部がユニクロで良いのか!

091122 着るものはユニクロで“しまむら”で、くすりはマツキヨで、コーヒーはドトールだったらどうなんだろう。いずれも今日この頃は、団塊堂御用達のお店だけれど、そんな世の中になったら、そこに働く人はみんなアルバイトだったりパートさんで低賃金労働者なわけで、安上がりな社会は有り難いけれど、結局はみんな貧乏になってユニクロが晴れ着なんて悲しい世の中になってしまうと思う。

といいつつ、近頃は団塊堂きわめて節約モードなわけで、ここ数年はマツキヨのビニール傘をもっぱら愛用していて、それも尚且つ自分で買った物ではなく、雨が降るたびに駅で息子が買ってきて、ガレージにいっぱいぶら下がっているビニール傘を愛用していて、すっかりマツキヨのビニール傘が似合うようになった自分に感心したり、少し反省したりしているのだ。

さて、団塊堂、昔から、傘は丸善と決めており、三十年来、傘はマルゼンオリジナルの愛用者で、忘れたら必死に戻って探すくらいの高価な傘を持っていると、ほとんど傘を置き忘れるなんて事はなくなり、7~8年は絶対使える。

だからずっと傘は丸善だったわけで、オイラはケチだから丸善の傘なのだと思っている。だから、なんでそんな高価な傘を買うのだといってオイラを馬鹿にするくせに、安物の傘をいっぱいガレージにぶら提げている家内は馬鹿で贅沢だと思っている。だから昨日、久しぶりに丸善で傘を買った。誰も誉めてくれない還暦の自分を誉めてやりたいから。

これだけ書いたら絶対、丸善からお歳暮に早矢仕(ハヤシ)ライスのレトルトパックなんが届くと思う。オイラ、丸善のハヤシライスが好きなんだ。

写真はクリックしないで下さい、値札が読めてしまいます。

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2009年11月21日 (土)

明治の華・横浜SATSUMA千顔のデミタス。その弐

091118_005 明治維新といわれる混迷の時代に、日本各地の諸窯では華麗な陶磁器が盛んに製造され、諸外国に輸出された。主な消費地であった欧州では、それらを「SATSUMA」と総称して嗜好されている。

本薩摩と呼称される薩摩焼の窯地は、主に鹿児島市内多賀山近辺の堅野系といわれる諸窯と、苗代川系といわれる諸窯であった。

「SATSUMA」の前提は、いわゆる「薩摩焼」とイコールではなく、それらは最初にも触れたが、幕末から明治時代にかけて製造された日本各地の輸出陶磁であった。したがって輸出されなかったり、輸出できなかった遺品を「SATSUMA」と呼称するわけにはいかない。

「SATSUMA」の産地は主流の鹿児島、京都を筆頭に東京・横浜・大阪・神戸と諸外国に開港された都市にあり、後には金沢、美濃も加わった。

           引用 幕末明治の薩摩(SATSUMA)焼 大森一夫著

091118_004_2 本品の横浜「SATSUMA」の発祥は、明治3年ころ京都の宮川香山が横浜南大田の富士見台下に窯を開設した事によるが、明治8年ころ本町通りに店を構え相生通りに工房を開設した井村商店は明治10年代には職工200余名を擁し外国人の好みの意匠を取り入れた陶磁器で大いに繁盛したという。ほかにも中村屋や鎮導商店などが店を構え明治18年ころにはおよそ400名だった製陶関係者は明治25年ころには600名に増加した。

さて、小さなデミタスの内にも外にもソーサーにも、狂おしいほどビッシリと人物が描かれている。ポーダーは櫻の花のようである。人物の華やかな衣装といいまるで元禄花見模様ではないか。茶溜りには金彩で龍が描かれている。千顔というが果たして何人の人物が描かれているのやら、薩摩焼ならさしずめ「人物風俗文洋茶碗」と呼ぶべきか。

樋口一葉の「うもれ木」の書く、SATSUMA絵付け画工の心意気、「天晴道(あつぱれみち)の奥を極めて、萬里海外の青眼玉に日本固有の技芸の妙、見せつけくれん。」職人の心意気が、デミタスの小さな面にびっしりと巡ってナカナカであります。091117

Satsuma 1000 faces Demitasse cup and saucer

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2009年11月17日 (火)

明治の華・横浜SATSUMA千顔のデミタス。その壱

091118_004 描き出だすや一筆(いっすい)の筆さきに、五百羅漢十六善神、空に楼閣をかまへ、思いを廻廊にめぐらし、三寸の香炉五寸の花瓶に、大和人物漢人物(からじんぶつ)、元禄風の雅なるもあれば、神代様(じんだいやう)うづたかく、武者に鎧(よろひ)のおどしを工夫し、殿上人(でんじやうびと)に装束の模様を選らみ、或は帯書きに華麗をつくす花鳥風月、さては楚(そ)を極むる高山流水、意の趣く処景色とゝのひて、濃淡よそほひなす彩色の妙、砂子打ち(ぼつうち)を樂と見る素人目に、あつと驚嘆さるゝほど、我自身おもしろからず、筆さしおきて屡々(しばしば)なげく斯道(しだう)の衰頽(すいたい)、あはれ薩摩といへば鰹節(かつをぶし)さへ幅のきく世に、さりとは地に落ちたり我が錦襴陶器。

樋口一葉(ひぐちいちよう)は、その著「うもれ木」の中で、明治20年代の東京SATSUMAの状況をこう書いている。一葉の次兄・虎之助は東京SATSUMAの東京絵付けの名人といわれた「奇山」で一時高輪に住んでいた。

さらに、一葉は、

美術奨励の今日うまれ合はせながら、此処東京の地にばかり二百に剰る画工のうち、天晴道(あつぱれみち)の奥を極めて、萬里海外の青眼玉に日本固有の技芸の妙、見せつけくれん腸(はらわた)もつものなく、手に筆は取り習らへど、心は小利小欲のかたまり、美とは何ぞ儲け口か。

と嘆いて、

さればこそ売国の奸商(かんしやう)どもに左右されて、又も値下げ又も値下げと、さらでもの、痩せ腕ねぢられながら、無明の夢まだ覚めもせず、是では合わぬの割仕事に、時間を厭ひ(いとい)費用を減じて、十を以って一に更ふる租画濫筆(そぐわらんぴつ)、

と、このままでは。

091118_001 今十年と指をらぬ間に、今戸焼の隣に座をしめて、荒もの屋の店先に、砂まみれ成らんも知れた物でなし。

と指摘しているが、まさに東京SATSUMAは明治の三十年代には急速に衰退していく。

さて、今回は、明治の輸出陶磁器の、SATSUMAについてであります。

今回の物は、銘は・大日本 中村造とあり、明治半ばの横浜の中村屋の物ではないかと考えられます。

さてさて話は長くなりますが、まず何故、薩摩焼ではなく〔SATSUMA〕と書いたのか?

やはり、長くなり過ぎます。次回をお楽しみに。                     つづく

引用 岩波文庫 闇櫻・うもれ木 樋口一葉 昭和十四年

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2009年11月14日 (土)

山椒魚な日々。

091114 さて、団塊堂など既にセカンドライフな訳で、穴に入って出られなくなった山椒魚の様に小さな穴から世間など見ていると、近頃にぎやかな、民主党の事業仕分けなど痛快で、政権交代はやはり無血革命だった訳で、革命には裁判が付き物で、事業仕分けなど、まさに人民裁判で、レンホー女史などマニフェストという毛語録を掲げた紅衛兵の様で美しい。何時の日かレンホー女史がコウセイ女史と呼ばれる日が来ても団塊堂はレンホー女史をやさしく愛で守ってやりたいと思う。事業仕分けに掛る事業は既に財務省の官僚によって抽出された物で、官僚主導だなどと言えなくもないが官僚の智慧を使わない手は無いのだとも言える、かって「かたやまさつき」なんて生意気な官僚が大蔵省の密室の中でエラソウニやっていた事なのだ、さてこの、公開の席で与党議員と民間の有識者によって仕訳が行われたあたり、民主党のヤリカタは痛快で政治主導が嫌でもワカル、小泉あたりもこんな事がしたかったのではと、これをやられると、もう谷垣自民党など全く見る影も無く、町村など亀井静香静かにしろって喧嘩しているしかないと可哀想だ。といいつつ、この程度では全くラチガあかないわけで、更に過激に仕分けする必要があるけれど、つまり子供手当てなんてのは、それくらい過激な策なわけで、日本はコンクリート政治から“友愛社会”を選択したわけで、社会主義で文句があるかsign01と思う今日この頃、091114_001 団塊の世代の皆様いかがお過ごしでしょうか。

数年前にはサカイヤタイチさんなど団塊の世代のリタイヤで「団塊の黄金の時代」が来るなんて言ったけれど、団塊の世代は、今は右も左もアップアップで誰も声を上げないから「団塊の世代の取り上げられてしまった年金」を取り戻して国民年金の六十歳支給なんて話は、何処からも聞こえてこないけれど、オイラの主張は自分勝手だろうかエゴだろうか。でもね、本当に大変なのは団塊より少し若い世代なのだよ其処のお若いの。アンタだって黄色くなり始めた銀杏の葉だぜ。嗚呼それにしても還暦まで約一ヶ月、来年二月からは、厚生年金の報酬比例部分が支払われる。これで少し楽になるとアンティークカップを見つめるオイラはアンティークカップ依存症という心の病かも知れない。

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2009年11月10日 (火)

Antique Porcelain Nippon Moriage Leaf Gilt Teacup Cup & saucer

091107_001 明治期のイッチン・モリアゲという技法の豪華絢爛なカップ&ソーサーです。

幕末・明治の金工や七宝などの工芸品には素晴らしい物が多く、骨董市場に名品が出ればすぐに海外の業者が買い付け海外の美術館やコレクターの手に渡るそうです。

日本の工芸品は、19世紀末のヨーロッパの万国博覧会に出品され、絶賛されます。それらは、圧倒的に高度な技術によってもたらされたものであり、文句無く美しく、日本の武家社会によって醸成された品格を備えていました。

にもかわらず、我々日本人は、それらの幕末・明治期の工芸品の事は殆んど無知といっても良いでしょう。もちろん、それらは輸出品であったわけで、我々の目に触れる事は少なく、名品の多くは海外に存在するわけで、仕方の無い事ではありますが、団塊堂もオールドノリタケのコレクションを進めるなかで、幕末・明治の輸出陶器の事を少し知ることができました。

幕末・明治の輸出陶器の代表は、なんといっても“SATSUMA”です。そしてもう一つが、日本の技法が世界のアンティーク蒐集家の共通語になってしまった“MORIAGE”です。

今回は、およそ120年の時を経てアメリカから里帰りしたモリアゲと金彩のカップ&ソーサーです。こまかな点盛りも施され大変手の込んだ物です。

091107_002 カップは大ぶりでけっして洗練されたサイズではありませんし、ソーサーの裏側などは和皿そのものです。カップは石膏型成型で作られていますが、未だこなしきれていない感じがあります。石膏型成型は慶応三年(1867年)にはパリ万博から帰国した瑞穂屋卯三郎によって日本に紹介されていますが、本格的に取り入れられるのは明治のなかばからのようです。

091107_004_2 このカップも“伏せ焼き”で焼かれています。以前、当ブログのオールドノリタケの金彩とジュールのカップやヨーロッパのカップとの比較で紹介した、カップを正立ではなく、伏せて裏向きにして焼いた物です。まだ技術的には不十分で口縁部はザラついています。磁土は酸化鉄の薄青みを帯びており瀬戸の千倉石を含んだ物であり。愛知県の瀬戸で焼かれた物と考えられます。瀬戸の生地に名古屋絵付け、名古屋絵付けに付いてはまた後日書きたいと思いますがイッチンは名古屋絵付けの得意分野でありました。

ノリタケの前身・森村組の本拠地名古屋、美濃・瀬戸・名古屋に拡がる一大産地は日本の輸出陶器の中心でありました。団塊堂が大学時代を過ごした名古屋の東区・北区こそ、このイッチン・モリアゲの産地でありました。

さて、趣味の良し悪しは別として(笑)、団塊堂的には貴重なコレクションです。明治の日本の輸出陶磁器の息吹を強烈に感じさせてくれます。コレクターとしては必ず手に入れねばならぬ物であります。盛り上げのロスも少なく、盛り上げとしてはミントコンディションと言って良いでしょう。勿論こんなカップ、生活には使えないタグイの物ですから。

最後に、オールドノリタケの盛り上げの花瓶と、ドラゴンのカップ&ソーサーを一緒に記念撮影です。

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次回のカップは“SATSUMA”のデミタスのご紹介です。趣味の良し悪しは別にして。(W)

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2009年11月 7日 (土)

冬たちぬ、きみ生きめやも。

091107_003_2 おいおい、それって、「風たちぬ、いざ生きめやも」じゃないのか?って。それにアレって夏ではなかったのか?なんて、そんな事はどうでもいいから語感で言っただけで、今日は立冬だもの。

今日は朝から、おいおい、ときどき思うけれど、「きょうは」を変換しても「こんにちは」を変換しても「今日は」となるけれど、とりあえず今日は「きょうは」なわけで、今日は朝からアンティークカップの写真撮りを済ませて少し充実した気分で、カメラをフィールドコートのポケットにしのばせて愛車・ブロンプトンで公園にボタリングしたのだ。途中でお腹が痛くなったりしないようにウォッカをヒッカケテ出かけたのだけれどポカポカ陽気で飲酒運転気味だったのだ。

091107_005 秋といえば菊なんだけれど、オイラの目指すのは茶屋の「とうふ田楽」。今朝はなんとなく味噌がのった「とうふ田楽」が食べたかったのだ。

さて、10月の百貨店の売上が発表されて、たまらない程の前年対比マイナスだけれど、状況はマスマス悪くなりそうで、だからこんな時に少々の脅しに負けて会社を辞めたりしたら大変だぞって。まあしかし、オイラ、外野席ながら「百貨店ファッションの終焉」は抗う事でできない事実で「昨日の最適」は「今日の不適合」でファッションに走りすぎた百貨店は、もう取り返しが付かないところまで来てしまったと思う。

さてさて、紅葉も落ち葉へとかわり、森も冬のきざし。

冬たちぬ、きみ生きめやも。

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2009年11月 3日 (火)

文化の日。

091103 文化包丁

文化鍋

文化住宅。

そして今日は「文化の日」。

どこか昭和で、貧しさと隣り合わせの文化という言葉。

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2009年10月31日 (土)

「川喜田半泥子のすべて」展を。

091025_001_2 さて、人間は、才能とお金と時間があったらナニが出来るだろう。

大方の人は、お金があってもナニも出来ないし、時間があってもナニもできない。そして才能があってもナニも出来ずに終わってしまう人も多いのが世の中だと思う。

しかし、才能も、お金も、時間も有り余るほど持ち合わせて、存分に生きた男がいた。川喜田半泥子(かわきたはんでいし)である。

091025_004 まあ、半泥子さんの詳しい事は、ネットで検索していただくとして。

団塊堂ちかごろは週末ごとに美術館巡りなどしていて、ナカナカ楽しいのであります。とりわけ、あの“バブルの時代”のお陰でご当地では美術館が充実していて、いや中身はともかくとして、バブル期の建物だけでも面白くて、トイレなんて最高に面白かったりするのだ。功罪いろいろあるけれど美術に関してはバブルは最高で、これを楽しまない手はないのであって、お金もかからないし、少し文化人気取りしたりして、妙齢の美しい御婦人を同伴したりしたら最高だと思う。いや最高です。

091025_003 さてさて、またまたM百貨店を辞めるS氏からメールが来て、遊ぼうというから、平日は仕事で駄目だと言ったら“よく仕事なんかしてる暇がありますね”ときた。シンチャンたら!、先月のメールでは、「あと二年、会社にしがみつきます。」なんて言ってたくせに。

団塊堂の上を行く数寄者のハズのS氏が「しがみつく」なんて“らしくない”よななんて思っていたけど、やっぱり辞表をだして、そうよ!シンチャン「泥舟の腐った蜜柑」の人生なんて棄ててしまえよ!!なんて、他人の不幸は“A Taste of Honey”だけれど、俺たちもっと違う人生があるのじゃないか?

091025_005 さて、シンチャン! 時間は死ぬくらい出来たし、お金は少し入るし、才能は・・・あるかどうかこれからジックリ見せて戴こうじゃないの。いや、オイラはこれで良いのだと、レコードと本に埋もれて死んでいくのも、かなり暗いぞ。

きっこぱぱさん・マッキーバーさん・熊さん、あなた方がお住まいの、岐阜県多治見市岐阜県現代陶芸美術館で12月23日まで開催の「川喜田半泥子のすべて」、素晴らしい催しだぜ。

こんなオシャレな人生があるのか。芸術というやつは遊びからしか生まれてこないな。才能もお金も時間も全て揃った男のすべて。オトコっていいよな!って団塊堂絶賛なのだ。オマエラ絶対みてこいよ!

冒頭の写真の額、波・和・遊 ハウ アー ユウ なんて、半泥子さんオヤジギャグかましたりして。

岐阜県現代陶芸美術館

091025_007_2 写真は、多治見市 虎渓山 永保寺。

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2009年10月27日 (火)

ねばならぬ。

091027_002 すべてのコレクターの到達点は完集にあって、つまりこれと決めたものの完全なる蒐集であって、総ての種類の完全なる蒐集であったり、総ての時代の完全なる蒐集であったり、そのうち欠けている物があれば、それはあらゆる困難を排して手に入れねばばならないのであって、そのミッシング・リンクになっている種類の物が何処かに有ると知ったら千里の馬に乗ってでも行って手に入れるのだ。そして手に入れたら、ヘナヘナとその場で倒れこむ程の快感を得るものだけれど、手に入れたとたんに次のミッシング・リンクに向かって走りはじめるわけで際限がないけれど、際限の見えるような物ならばコレクションの対象としてはくだらない物なわけで、その人の器の大きさや人生の大きさが際限を決めるところもあってほとんどのコレクターはそのストレスにクタクターなのだ。・・・・なんてくだらないオチで御免。

団塊堂、“器の小さなお人”ですから、この程度で、そこそこシアワセを感じる今日この頃ですが、みなさん如何お過ごしですか。

新型インフルエンザのワクチンが来る前に大流行で、ワクチンって予防薬なわけで、我われ庶民は来年三月だなんて、マスゾエの仕事が如何に口先だけだったか思い知らされる今年の秋であります。でもね、6000円の予防注射なんて打つのかよ庶民は?6000円あったらロイヤルウースターの19世紀の手描きのアンティークカップが買えてしまうもの。

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2009年10月24日 (土)

ROYAL WORCESTER CUP & SAUCER HAND PAINTED 1890

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 ・・・・ ロイヤル・ウースター(英)のボタニカルアートのカップ。ロイヤルウースターは、そのDATING TABLEによって一年単位で製造年を特定できるから気持ちが良い。 裏印のマークの下の小文字のaからこのカップは1890年(明治23年)製。

091024_006_2  1851年、第一回万国博がロンドンで開かれ、その後、パリ万博、ウイーン万博とヨーロッパは熱い万博の興奮に沸くことになります。時あたかも日本は、幕末・明治の大変革の時、これらの万博で、日本の工芸品は驚きを持って迎えられヨーロッパに日本ブームを巻き起こします。

シーボルトが持ち帰った日本の植物画は博物的興味のみならずヨーロッパの絵画表現に大きな影響を与えましたが、たとえば、世紀末のヨーロッパを席捲したアールヌーボーの流行を語るにはナンシー派のエミール・ガレなどに大きな影響を与えた日本の高島得三(北海)の植物画を見逃す事はできない。

091024_007 農務省留学生・高島得三がナンシー森林水利学校に入学したのが1885年、翌1886年にはガレと交友、ガレに日本の植物図鑑を贈ったりしている。この後1889年のパリ万博でガレは大成功を収めアールヌーボーは大きな潮流となります。

この時期のロイヤル・ウースター(英)には、日本の植物画に影響を受けた作品が多くみられます。フランスのアールヌーボーの流れが大きく影響を与えていた事は明白です。

このデミタス、清楚な野の花に金彩の縁取りを与えて華やかさを増しています。ソーサーの2つの花束はカップの花と連続しています。カップの正面と裏面で異なる二つの絵柄が楽しめる。ペインターのサインはカップとソーサー共に同一です。デミというよりキャビネットサイズのカップ。ミントコンディション。

091024_003 というわけで予告してからアップするのに時間をかけて恐縮。このところ素晴らしい物が続いているでしよう。団塊堂のアンティークカップ蒐集熱はマスマス上がっています。

さて、オールドノリタケに始まった団塊堂のアンティークカップコレクション、ここらで原点の日本の物にUターン致します。近代から現代の狭間の日本をアンティークカップを通して見てみたいと思います。

次は、明治期のニッポン物の、凄い物をアップ致します。これは団塊堂コレクションとしては正に快挙というべき物です。オールドノリタケファンの皆様にも、是非その節は、お立寄りいただきたいな。 なん茶って。091024_005_2

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