2024年11月17日 (日)
2024年10月 3日 (木)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。 ⑧ 日本のモダンガール おてんば娘
モダンガール 日本には、おてんば娘という表現がありますが、
第一次世界大戦による大戦バブルは、日本にも成金を生みます。
2024年10月 2日 (水)
2024年10月 1日 (火)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。⑥ モダンガールとペーパーパラソル
磁器のフィギュアのことを調べるうち
傘について気が付いた事があります。
オモチャのフィギュアの話からリアルな女性のファッションに話を切り替えます。
ジャンセンの水着が売りに出されたのが1920年代後半
海水浴の効用が説かれ 人々が
海辺に出かけるようになった時期です。
当時のトップファッションの水着です。
みんな傘を持っています。肌がよわい白人女性だからでしょうか。
傘をよく見ると洋傘ではありません。
この時期の、傘をさした女性の写真はたくさんありますから調べて見ました。
つづく
2024年9月30日 (月)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。⑤ 二つの世界大戦
さて、第一次世界大戦です。
大正3年(1914)から、大正7年(1918) ヨーロッパを主戦場に
英仏露伊日米の連合国と
中央同盟国 ドイツ ハンガリー オスマン帝国 ブルガリアが戦ったわけですが、
日本は連合国側で参戦します。
この戦争、ヨーロッパを主戦場とした戦争で、ヨーロッパの国々が破壊されつくします。
それまでドイツは工業国で、陶磁器や生活用品 工業製品の生産国でした。
アメリカに敵対したドイツ製品は、アメリカから排斥されます。
味方のイギリスもフランスも戦争に男手をとられ 工場は破壊され生産能力を失います。
戦場から遠く離れたアメリカは、ドイツのお株を奪い、
あらゆる工業製品の生産国として躍り出て、また同盟国、戦場となって生産力を失くしたイギリスやフランスといった同盟国の需要も取り込んで、下品な言い方ですが ぼろ儲けします。
ついては、日本もドイツに代わり、
陶器やオモチャ、生活雑貨を戦争景気に沸くアメリカに輸出して、ぼろ儲けします。
東南アジアや南米といった市場も
ドイツやイギリスの商品が止まり、多治見や瀬戸の陶磁器が面白いように売れていきます。
戦争に参加しながら、戦場から遠く離れて、商売に励むわけですから、
こんな美味しい話はありません。
オールドノリタケや、名古屋の陶磁器が世界に羽ばたいた時期です。
大戦景気・大正バブルは、大正四年から大正九年
あのオシャレな加納町役場が建つ少し前です。
しかし、バブルは必ずはじけます。
暗黒の木曜日といわれる株の大暴落、世界恐慌の始まりです。
アメリカは世界大戦で、生産能力を失ったヨーロッパに工業製品も軍事物資もドンドン送り込みます。
しかし、戦争で疲弊したヨーロッパの国々はアメリカに借金をして品物を買いますが、
支払いができません。気が付けばアメリカの金庫は不良債権の山です。
アメリカが抱えていたのは不渡り手形の山です。
株の大暴落です。
つづく
2024年9月29日 (日)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。④ アールデコ 二つの世界大戦の狭間に 咲いた仇花
2024年9月28日 (土)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。③ 海外に盛んに輸出されていた加納の和傘
加納には「昭和15年の岐阜市との合併」のまえに編纂を決議され作り始められた加納町史という上下二巻の町史があります。
あまたあるこの手の町史のなかでも、きわめて立派な町史であり自慢できるものですが、
この402ページに、大正11年(1922)頃の、加納の雨傘の仕向け先として
年間250万本の雨傘の販売先が記録されています。
さらに、次のページには、昭和初年(1926)頃の 加納の日傘の販売先が書かれています。
加納の日傘が、国内に販売された量が 50万本
外国に輸出された量が、国内向けと同量の50万本とあります。
アメリカに23万本 イギリスに8万本 オーストラリアに4万本
フランスにも2万本 というように
驚くほどの、加納の和傘・日傘が海外に輸出されていました。
また、大正11年には、イギリスへ19万2千本輸出されたという記述もあります。
加納町役場が建設された大正から昭和の初めにかけて
加納の和傘が、世界に羽ばたいていたことがわかります。
加納の和傘は、かなりインターナショナルな商材だったのです。
2024年9月27日 (金)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。② オールドノリタケから加納の傘へ
さて、老人は、20年ほど前からオールドノリタケを集めています。
退屈しのぎに海外のオークションをパトロールしていると同じようなフィギュアが出品されていました。
それが 加納の和傘と何の関係があるのだとの声が聞こえてきそうですが
2024年9月26日 (木)
岐阜市加納の和傘がアールデコスタイルのモダンガールの人気アイテムだった。① 幕末・明治の加納
さて、老人が住む 岐阜市加納は 東海道線を挟んで岐阜市の南部一帯をさし
戦前 和傘の大きな産地で
「加納の和傘」として
大正11年(1922)ころには年間250万本もの傘が生産されていたという記録が残っています。
当ブログでは、オールドノリタケのカテゴリーやアンティークの記事のなかで
何度もアールデコスタイルやモダンガールについて書いてきましたが
近頃 老人は 「中山道加納宿文化保存会」とやらに参加して
地元 加納の歴史を勉強させていただいています。
加納の和傘が大正時代に 大量に海外に輸出され
当時の先進的な女性の
つまり モダンガールやフラッパーと呼ばれる女性の
重要なファッションアイテムだったのではないかという事について
老人の発見を ご報告させていただきます。
2024年9月10日 (火)
アガベチタノタ白鯨で多肉な老人の今日この頃。
さて、九月も半ばに入ろうかというのに あいかわらず猛烈な暑さで
コロナ以来 外出を控えたせいで足腰の衰えを感じ
今年はウォーキングを再開 なんて思っただけで
とても外出する気にもなれず
インドアでアガベやオベサ ユーフォルビアと語りながら
引きこもりの老人の今日この頃 皆様 いかがお過ごしでしょうか。
さて 春に 病院帰りに寄ったお気に入りのショップで
アデニウムが随分とお値打ちに大量に販売されていて
この手の塊根植物というのは随分と高価で
また 高価ゆえに購買意欲をくすぐるところがあって
先端的なインテリアショップやトレンドファッションのショップで売られていたのだが
柴三郎三枚で我が家の玄関ホールのウエルカムプランツとなった。
去年からオージープランツを少しやっていたのだが
生きているのか枯れてしまったのかわからないオージープランツに
周りの 生きているのか枯れてしまったのかわからない老人をみるようで嫌になった。
さて 春から 二鉢ほど星になったが
長かった梅雨もやり過ごし 過酷すぎた夏も何とか乗り越えて
オベサもパキポディウムもロフォフォラも元気だ。
なかでもアガベには沼を予感するが
インドアのみならず
エドワーディアンな廃墟趣味がコンセプトの老人の庭に
アガベの「吉祥冠 錦」の大株を置いてみたら
アンティークなテラコッタのプランターとあいまってとてもいい。
ただし 雨がくると室内へ避難で大変だが。
さて 究極は アガベではないかということでチタノタのブルーを思いきって手に入れたが
多肉を思いすぎて夜も眠られない
多肉が好きすぎて朝早く眼が覚めてしまうという強迫症状のなか
更にアガベの究極は 鋸歯が乱れたボール型の白鯨ではないかと
昔読んだ メルヴィルの「白鯨」に通じるところもあって散財。
ホームセンターの三百円の苗で楽しんでいたのだが
渋沢栄一の出番。
ベランダが定位置だが 雨雲レーダーを監視しながら室内へ避難
さて これからの冬越しを考えると 鉢の数は これが限度だな。
このところ ちょっと世間に出たけれど
やはり老人には引きこもりが最高だ。
NO PLANTS NO LIFE
2024年5月 6日 (月)
唐十郎死去。
2024年5月4日午後9時1分、急性硬膜下血腫のため
唐十郎(からじゅうろう)氏死去。
まことに安っぽい言い方で恐縮だが 唐十郎は私の青春の全てでした
空に星があるように この世にゃ夢もあるだろう と
紅テントを切り裂く様に登場した麿赤児
怪しげな大久保鷹
野心まみれの田舎青年 不破万作
おいでおいでと手招きで
思わずシュガータウンにもっていかれそうになった オカマの四谷シモン
唐十郎の状況劇場は まさに怪物屋敷
七十年代最高の演劇空間でした。
田舎の新聞社の鉛くさい編集局で 朱の筆を持ち新聞の校閲の新人の私
あさま山荘事件は始めたばかりの二月で テルアビブは五月
テレックスの読み上げに小さく拍手し
転向じゃないんだよと小声で言い訳。
名古屋の白川公園 岐阜の美江寺 腰巻お仙 だったか 二都物語だったか
まだまだ熱い七十年代でした。
恭しき娼婦 S43.11.15 名古屋市西区青少年ホール
ところで 状況劇場の状況とは サルトルに由来し
1964年の状況劇場の旗揚げは サルトルの「恭しき娼婦」だったと初めて知った。
大学演劇のスタートを 不条理演劇の ベケットの「勝負の終わり」でスタートした私は
二作目の秋の公演で サルトルの「恭しき娼婦」の上院議員を演じたが
正直つまらない芝居だな 中途半端な社会派新劇だなと思っていた。
状況劇場のスタートもこんな事だったんだな。
そして僕たちも アンダーグラウンドで
こんなふうに 変わっていきました。
変化紙人形 S46.10.29~11.5 名古屋 納屋橋ジロー
半世紀以上前のことですが。
2024年2月29日 (木)
最後の晩餐。老人、和と洋のブルー&ホワイトで遊ぶ。
年末に手に入れた染め付けの器がとてもよく
このところ郷土史 とりわけ江戸・明治あたりの
地元・加納藩・中山道加納宿の歴史を学びながら遊んでいる老人としては
手に入れた染め付けの なます皿の絵柄が
「赤壁の賦」やら 孟宗の「雪中筍掘り」という
幕末の骨董の真ん中のものだったと
食事のたびに 器に白髪を映してナルシスな今日この頃
団塊の年金プアー諸氏におかれましては
いかがお過ごしでしょうか。
さて、前回のブログで
染め付けをプロレタリアチックと書いたが
ヴィクトリア期や 幕末日本のプロレタリア―トが
釉薬がかかった白い磁器で食事ができたなんてことは無い。
しかし、現代にあって あえてブルー&ホワイトを選ぶという精神。
ヴィンテージジーンズに通じるものがある。???
とにかく 「貧乏を忘れない。」 笑 貧乏なのに。
と、いうことを食事の度に確認したいと思う染め付けの器なのだ。
とはいえ、和の染め付けだけでは
アンティークコレクターの“わたくしらしく”ないという事で
すこし西洋のブルー&ホワイトを混ぜてみようと
円安と国際宅急便の高騰にもかかわらず
久しぶりに散財してみた。たあいないビンテージだが使って楽しい。
さて、ロイヤルウースターのシュガーボウル。
ティーカップとしては少し大きすぎた、カフェオレボール、ミニ丼、かな。
絵柄の エイボンシーンといえば
伝説のマス釣り師 フランク・ソーヤーが住んだ
フライフィッシャーの聖地 エイボンだ。
そんなに古くはないが
いま、転写の物が レトロで人気で 値上がりしているようだ。
Rare Royal Worcester Ltd Pair
"Palissy Avon Scenes 1790"
Sugar Bowls c1950
染め付けのティーポット 日本語で言えば急須だが
ただの急須では面白くない。
イギリスの Wood &Sonsの人気パターン“Yuan”のポット。
この六角の物は60年ころまで作られていたということだ。
中国の元の時代 イスラムを想起させるとんがった形と鳥の絵付けが
日本人的には、非日常的でよい。
ウースターのボウルと合わせてティーセットとしたいのだが。
Antique Wood & Sons
"Yuan" Small Lidded Teapot
c1916- 1920
洋陶には珍しい小皿 ロイヤルドルトンだ。
食卓で出番の多い小皿だが 和の物では当たり前すぎて面白くない。
ワトーシーン(宮廷恋愛シーン)など私の趣味ではないが。
醤油皿に レモントレイに
一人茶会のナッツトレーにどうだろう。
Rare Pair of Royal Doulton
Watteau Flow Blue Pin Dishes
Small Plates c.1900
醤油とワサビにまみれた宮廷の恋人達の図とは、意地悪が過ぎるかな。
老人には、恋なんて遠い日の花火だから。
2024年1月22日 (月)
プロレタリアチックな染め付けの器で。
ここ数年、コロナで来客もなく、
老夫婦だけの食事だと、とくに食器など気にすることもないから、
スーパーの総菜はトレーにそのままで食卓にのぼるのが常だし、
割れたコーヒーカップの、はぐれたソーサーが一番使用頻度の高い皿だったり、
ごはん茶碗もバラバラで、
食器棚が、売れない茶碗屋のワゴンセールの様な状態になっていた。
このところ、ほとんどアンティークも買っていないし、
外出も散財もしていないからと、食器棚の中味を更新することにした。
さて、今回のお気に入りは、明治期の「なます皿」
煮物にも サラダにも重宝する。
食卓の洋風化で、
なます皿などと言うものは姿を消してしまったが、
骨董屋さんでは見ることがある。
使ってみるととても良い。
ブルー&ホワイトだけでは少しナニだから、
食卓の差し色に有田の色絵の物も入れてみた。
しかし、ちょっと誤解を生みそうな華やかさではある。
絵柄は松竹梅と鳳凰にタケノコ掘り。
孟宗竹の語源になった孟宗の孝子伝説だ。
骨董だけでなくアマゾンのイマエモンも入れたが、
五枚で二千円の美濃焼の文字皿がピカイチだったりする。
染め付けはいいよね、
「貧の美」というやつで、プロレタリアチックで。
2024年1月 1日 (月)
2023年10月19日 (木)
庭に居ます。
さて わが庭の秋の一番花がおわり
今は 日陰の庭で次の開花を待っているのだが
購入した苗のナーサリーパワーがきれ
徒長はするが二番花となるとなかなか難しい。
この夏はとても暑かったが
どういうわけか薔薇はとても元気に咲いた
ただ 一本のバラが九月に葉を落としてしまった。
さっそくプランターの土を掻き出すとコガネムシの幼虫が七匹
根はスッカリ食われ ゴボウ状態。
土を再生させ 水は控え目にし メネデールの散布で 一か月
すっかり葉を落としたバラに たくさん芽が付き
回復のきざし。
老人の人生にも「メネデール」 お風呂に入れてみようか。
しかし いまさら 芽が出てもね。
いろいろあったけれど
庭があってこその人生だったな。
2023年4月28日 (金)
オールドノリタケ マンオンキャメルで アフタヌーンティーセットを完成する。
老人は この一年半 オールドノリタケの
マンオンキャメルのパターンを追い求めてきたワケだが
どこかのキャッスルの執事のごとく
客人をもてなすあれこれを執拗に考え周到に準備してきた。
ちょっとしたアフタヌーンティーの設えをほぼ完成させたがどうだろう。
メメントモリ 老人に明日はないワケで
死を思えばコレクションは常に完成にちかくあるべきで
老人は つねに終末を意識した緊張感の中にある。 ナンチャッテ
ロシアの赤鬼プーチンのウクライナ侵略戦争のせいで
エポックメーキングなアイテムではないか。
以前 くわしく書いたが
イギリスにもチェコにもマンオンキャメルのコピーメーカーは存在した。
チェコのヴィクトリア窯のマンオンキャメルも
本物のノリタケとは明確に区別されるようになった。
昨今の海外送料を考えたら大変なことになってしまうし
コンポート皿やサンドウィッチプレートで提供するくらいが
テーブルの収まりがいい。
シュガーポットがタクサンあるからそれを使おう。
ティーパーティとなると なんとしてもティーポットが欲しい。
2023年3月15日 (水)
とても珍しい オールドノリタケ ウェディングカップルのソルト&ペッパー。
オールドノリタケ ラスター彩のアールデコドールの塩コショウ入れ。
1920年代の物
紳士はこの時代の正装トップハット。
女性は、いわゆるアールデコ期のギャツビースタイルのようでもあるが
カップルのファッションはヴィクトリアンタイルであり
S&Pシェイカーズであるが
ウェディングのケーキトッパーのようでもある
結婚式には
この時代から一般でも純白のウェディングドレスが着られるようになるが
多くはまだ こうしたスタイルだった。
オールドノリタケのアールデコドールで男性が登場するのはとても珍しいし
男女ペアで残っているのはとても貴重
オールドノリタケの時代を濃厚に伝える面白いものだ。
裏印 MADE IN JAPAN印 マロン
大正10年~昭和8年頃(1921~33)